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東京サルベージ【第26回 ■ シャンプーマニア 】

ついに出来たのか…。

私は震えるような手でスマホから予約をし、そこに急行した。

店は恵比寿の商店街を抜けた小綺麗なビルの5Fにあった。


恵比寿に九州発のシャンプー専門美容院が上陸したのだ。九州発というのが良い。天孫が降臨したのも九州だった。私は自転車をぶっこいだ。


私が、シャンプーマニアになってずいぶんと歳月がたつ。

美容院でシャンプーのメニューを掲げていれば片っ端から入っていきたい衝動にかられるし、財布が許せばそれを行ってきた。


シャンプーをされながらうたた寝をする。時には寝よだれを垂らす。

このような至福な時間を私は他に知らぬ。

毛穴が清潔になり、血行が促進され毛髪に良いだけでなく、頭のコリをほぐすと、それに連なる顔の皮膚や眼の疲れにも良い。

「痒いところはありませんか?」と言われても「ありません」ときっぱり答える。

もう少し右・・・と思いながら敢えて言わない。

シャンプーマニアとしての矜持である。


一見の中年男がふらりと現れて、「シャンプーオンリー」というのは少し警戒心を抱かせるのかレセプションの女の子に「え?」という表情をされるし、店が忙しいときには「カットのお客様優先なので」と断られることもあった。メニューに掲げられているのにも関わらずである。居酒屋に来て、お通しと前菜だけ食って帰る客、そんな位置づけだったのかもしれない。


ああ、シャンプーの専門店ができないものか・・・。私は一日千秋の思いでそういった店の出現を心待ちにしていた。ヘッドスパ専門店ならば結構あるが、ヘッドスパまでいくと価格もそれなりだし、そうしょっちゅう行くには時間も価格も大がかりでどちらかといえばメインディッシュとしても通用するメニューだ。前菜だけ気兼ねなく食って帰れる店、そんな店が現れないものか・・・と。


秋葉原あたりに、女の子に耳かきをしてもらう店というのはあったが、猫カフェやメイド喫茶ができても、シャンプーの店というのはついぞ現れなかった。


それがとうとう・・・できた。自転車をひらりとおり、私は店の前にたたずみ感無量の面持ちだった。


「男性の方も歓迎ですよ」

瀟洒な店内は女性客をターゲットにしていることは一目瞭然だったが、メンズのコースもあったしオヤジも差別せずに心ゆく洗髪してくれた。

「かゆいところはございませんか?」当然、かゆいところは聞かれても教えない。

私は大満悦だった。


だが、本当のことを言えば、俺が、シャンプー専門店は、己の手で作ってやりたかった。もし、どこかの奇特な金持ちがポンと出資してくれたら、自分がそういう店を作りたいと思っていた。


私が考えていた業態は新橋の駅前とかに、立ち食い蕎麦屋程度の物件を借り、出勤前の寝不足ぎみでオイリーなサラリーマン(オヤジ)たちが、得意先回りや気合の入ったプレゼンの前に、洗髪しスッキリするというタイプの店だ。


新橋の駅前の中年男をターゲットにもかかわらず、店舗は森の水車小屋をイメージしていなければならぬ。BGMには、小川のせせらぎの音や鳥たちのさえずり、子犬のキューンキューンという甘え声などを流す。スターバックスの店員のように爽やかな笑顔でシャンプーマイスターたちが疲れ果てたオヤジたちを出迎える。きっと美容師の資格はとったけど、シャンプーガールやシャンプーボーイの段階で辞めてしまった人材も少なくないだろう。だが、なにうちの店でシャンプーの技量を高めに高めればよい。


だが、具体的に新橋界隈で物件を探したりしたわけではなく。悲しいかな、頭の中のごっこ遊びに過ぎなかったのだ。(ああ、先を越されたな)私は施術を受けながらそう思った。


「ありがとうございました。またお越しください」

まだ一見の中年男がふらりと現れるのには敷居が高い店らしく、訪れる男性客は少ないようで、担当してくれた女の子は「もっと男性客の方にも知って頂きたい」とゆってくれた。


(この店がオヤジ達に溢れますように、中年男のオアシスになりますように)

私は、恵比寿のシャンプー専門店を後にしながら、夢が満たされた思いと、そのパイオニアにはなりえなかった自分を少し寂しく思った。


気づけば、洗髪後の襟足が寒い季節になっていた。

取材、執筆のためにつかわせていただきます。