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東京サルベージ【第34回◾️帽子】

帽子のコレクションが増えてきた。
いい年になってきたので、できればボルサリーノやらKNOXやらのハットが似合う大人になりたいが、一向に似合う雰囲気は身につかぬ。
といっても、もともとカブリモノを嗜む傾向にはなく、服屋ですすめられても「いやぁ似合わないから」と避けて通ってきた。
被るようになったのはストリートダンスをはじめて45歳を過ぎてからである。それもバケットハットの一択、つばが広くないもの、に限るである。
キャップほどカジュアルではなく、かといってハットほど大仰ではなくという感じで辛うじてここに落ち着き、同じような帽子ばかりが増えている。
シャカリキになって踊り、頭からも汗をかくものだから、洗濯が必要になるため、数が増えていくのである。

ダンスで帽子をかぶるようになったのは無論ダンスファッションというわけではなく、身元を不明にするためである。いわば必要に迫られてである。
ダンスレッスンの〆めフリを踊るとき、若い連中がカメラを鏡の前において、自分の動画を撮ったりしていることは、ダンスレッスンを始めたころから薄々と気づいていた。(まあ、俺は自分の下手な踊りを見返すつもりもないし、何だか後ろにへたくそが後ろに写りこんじゃって悪いね)、という気持ちだった。
しかし、「へたくそが写りこんでいる」という状況を軽んじてはいけないということがある日はっきりとわかった。

「ピョートルさん、先週〇〇さんのレッスンでてたでしょ?」

とあるレッスンで一緒だった若者が声をかけてきた。

「××さんのストーリーズで観ました」

ストーリーズ・・・。ああ。ストーリーズね。なんだそれ?
それを通じて俺が誰かのレッスンに出席したことが把握できる仕組みになっているのか?
どうやら、インスタグラムとかいうSNSがあり、ストーリーズはその1機能で彼らがレッスン動画をせかせかと載せているらしいということがわかってきた。無論、映り込んいる私を載せるためではなく、その前方でこれみよがしに踊る自分の姿をこれみよがしに発信するためである。

(あんなものを世界中に発信されては困る!)

己の研鑽のために動画を撮ってチェックする感心な奴らだと思ってきたが、映り込んでいるへたくその身からすれば、そんなものを誰からもアクセスできるところに垂れ流しにされてはかなわないのである。
とあるレッスンで中年の私と同じくらいの年の初心者の女性(つまり中年の初心者の女性)が、動画を撮っている若い生徒(これみよがし系)に腹を立て、レッスンを出て行ったことがあった。
ずかずかと最後方からインストラクターめがけて歩み寄り、
「人に断りもしないで動画を撮ってる人がいるんで出ていきます!」と怒り心頭に叫んでドアを荒々しくしめて出て行った。
私は内心(いいぞ!もっとやれ!)と思ったが、言われた方は何がいけないのかさっぱりわかっていない感じできょとんとしていたが、何となくレッスン場に重苦しい雰囲気とくすくす笑いが同居するような微妙な空気が漂った。
私はといえば、その女性に共感しつつも、かといって腹を立てて場を去ることもできず、できれば映りこまないように、カメラがあるときには他人の影に隠れながら踊る日々だった。

(あ、帽子でも被るか・・・。)

帽子を目深に被り、身元不明感を出せばよいのではと思いついたのは随分たってからである。
試しに店でキャップを被ってみたが、思わず噴き出してしまうほど似合わない。今度は天空の城ラピュタのパズーみたいな帽子を被ってみたが、とっちゃんボウヤができあがりこれも苦笑いである。ハットはチビッコギャングができあがると同時に、あれを着こなす麻生太郎って凄いんだなと変なところで感心した。そんなこんなでいきついたのが件のバケットハットなのだ。
やがて、コロナになってマスクをつけて踊ることが当たり前になった。
最初は息苦しくてかなわなかったが、慣れてしまうと身元不明感がマシマシになるのだ。マスクとハットと眼鏡でほとんど顔は露出しないようになった。私は(あ、いいかも)と思った。

そしてさらに時がたち、コロナも2年目を過ぎてしまった今、私も最後にレッスンの〆で一丁前にカメラを鏡の前に置き、おのれを撮影をするようになってきた。やはり、自分の癖というかダメなところは記録を確認して直すのが良い。第一、1日寝れば昨日のレッスンで何をやったかなぞあらかた忘れてしまう。
撮る方になると思うのだが、さすがにインスタグラムなぞで己のダンス動画を公開してやろうという気持ちにはさらさらなれないが、まあ、ぶっちゃっけ後ろでだれがどのように写っているかなど気にしないもんである。
とはいえ、名も知らぬレッスンで居合わせただけの誰かのインスタグラムとかに、無様で素顔の自分の記録が残っていると思うと、あまり良い気持ちはしない。誰かハッキングして消し去ってくれねえものかなぁと、切に思うのである。

取材、執筆のためにつかわせていただきます。