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映画『オッペンハイマー』×書籍『「ご冗談でしょう、ファインマンさん 上』

映画『オッペンハイマー』公開2日目のレイトショーで見てきた。けっこう人は入っていた。土曜日の夜ということもあると思うけど。

その日が公開日とは忘れていた3月30日の夜、Twitterのトレンドに「オッペンハイマー」の文字が躍った。

あ、今日が公開日だったか。4月1日に見ようと思っていたが、ネタバレ見たくないので、あれ、行かれるじゃんということで、もういてもたってもいられなくなり、全くの予定外の公開2日目に見に行くことに。

ネタバレも何もない、史実を追っているからというツイートを見て、それもそうだなと。また、ある程度予習した方がいいというツイートも見た。

結果的には予習なんてする暇もなく見に行った。

復習でいくつかのツイートやサイトや一つの動画を見たが、完全には史実通りではなく、映画としての脚色はあるようだ。まあ、そんなもんだと思う。

チケットをネット予約するときに知った。

150分もの長い映画なの!『RRR』と同じかよ!(『RRR』はより正確には149分だと記憶しているが)そんなに長い時間、絶対に楽しいとは思えない映画、持つのか?

そこは不安だった。

昼下がりにバーミヤンでカフェイン摂取しているから、トイレも不安だった。

しかし、杞憂だった。

3時間の長さを感じさせなかった。

以下、映画の内容にも触れていきます。

ネタバレというほどではないと思いますが、広い意味ではネタバレになると思います。あらすじをネタバレと言えばそうですし。

私は極力あらすじさえ見たくない方なので、自分なら映画鑑賞前に以下は読みません。同じような考え、趣向の方は、またここにお越しいただけると幸いです。


さて。

「赤狩り」に関しては、知識がまったくないので、出てくる人物については全く知らなかった。

共産主義がそんなにもこの世界の脅威になっていたのかということに関しては、『サピエンス全史』でその一端を知った。待望の文庫本が昨年の文化の日に出ましたね。資本主義の危機のところは確か下巻だったかと。

「赤狩り」がらみのところは、内容的にも、人物像的にも見ていてつらいものがあったが、前半からの錚々そうそうたる物理学者の名前が出るたび、私は物理学科出身なので、ほぼわかり、オーと唸った。

物理学者同士の会話も、ああ、あれのこと指しているな等だいたい分かった。

テラーの発言も「それ、水爆じゃん」と心の中でツッコミ入れていたら、わざとタイミングをずらせたようにそれを水爆とわかるように会話の中でその単語が出てきた。原爆すらまだできていないのにね!

テラーが水爆の父と呼ばれていることは、映画後の復習で知ったが。テラーの名を最初どこで知ったかは後述。

いずれにせよ、見ながら、確かに、予習しないと特に文系でこういう分野興味のない人は、物理学者も用語もわからないだろうなあとは思った。

でも、その辺全然わからなくても、映画見るのにそんなに支障ないような気もするけど。

より詳しく知りたければ書籍があるし。

マンハッタン計画の場所を選ぶのにそんな背景があったのかと(ちょっと脚色入ってるかなと疑ってるけど)。そして「ロスアラモス」という地名が出たとき、また唸った。

その固有名詞を初めて知ったのは、高校生か大学生のときに図書館で借りて、のちに買った(手元のは奥付が1991年10月5日第23刷発行になっている)『「ご冗談でしょう、ファインマンさん」Ⅰ』である。

今手に入れるならば、文庫本。単行本ではⅠだったのが上になっている。

リチャード・P・ファインマンもマンハッタン計画に参加している。でも、映画の中には出てこないよなあと思いながら見ていた。

はたして、ファインマンの名前は一度も出てこなかった。

しかし、太鼓ドラムをたたいている男が出てきたよ。しかも二度も。

「あれファインマンだろ!」(心の絶叫)

ドラムの名前忘れた…と思いながらも映画館で飛び上がりそうになった(ドラムの名前はボンゴ)。

おそらく原作では描写されているであろうその姿、映画ではああやって背景にさりげなく入れるんだなあと思った。

「理論の方の統括はベーテにやらせろ」(ちょっとセリフ違う)で、おお、ベーテが出てきた!

ベーテこそ『「ご冗談でしょう、ファインマンさん」』を読んでいなければ知らなかった物理学者。

そして、テラーも確か出てきたよなあと記憶違いじゃないよなあとここは映画を見ながらひとりモヤモヤした。

家に帰って調べたら、やっぱりテラーも出ていた。

以下はすべて、上巻のうち「下から見たロスアラモス」からの引用である。この下からというのは物理的な下ではなく、立場上、一番下っ端という意味である。

オッペンハイマーとの会話にこんなのがある。

「ええっ?僕がそこまで言うんですか?この無名のリチャードがしゃしゃり出て、そんなことまで?」
「そうだ、無名のリチャード君よ。その通り言ってくれたまえ。」

マンハッタン計画が始まった頃はまだ博士号の学位も持っていなかったファインマンだが、こと物理に関しては忖度なしの本質をついた発言でどんどん頭角を現したようだ。

テラーについてだが、やっぱりだった。

テラーのようにどえらく頭の良い男に、いたずらをするのはなかなか楽ではない。

「二人の金庫破り」のところで出てくる男かと思ったが、ちょっとだけ記憶がずれていた。まあ、いずれにせよ、これでは水爆とイメージが結びつかない。ファインマンのイタズラがらみで出てくるわけだから。

テラーは、映画ではちょっとマッドサイエンティスト風に描かれていたしな。

主役のオッペンハイマーについては、映画では異才ぶりが当然のごとく強調されるが、以下のような描写は1次情報を持った者ならではで、映画とは違った側面が垣間見える。

僕たちはオッペンハイマーその他の連中に引き抜かれたことになるのだが、オッペンハイマーは実に忍耐強い人で、僕たち一人一人の個人的問題にも深い思いやりを示してくれた。彼は結核で寝ている僕の家内のことをたいへん心配してくれて、ロスアラモスの近くに病院があるかどうかまで気を使ってくれた。僕は彼にそのような個人的な立場で会ったのははじめてであったが、その親切さは身にしみた。

映画を見てからここを再読して(まったく記憶になかったが)、オッペンハイマーがケンブリッジ大学に留学してホームシックになったことや、女好きだったことも関係しているのかなとも思った。

目標に向かって有無を言わせずぐいぐい引っ張っていくタイプのリーダーもいるが、オッペンハイマーはむしろ今風の細かい気遣いでみんなをまとめるタイプだったのかなと思わせるエピソードだ。

オッペンハイマー一人で原爆を作ったわけではもちろんないのだが、この人がリーダーでなければ超一流の物理学者もまとめられず、戦争終結前に原爆を作るということもなかったかもしれないと、ここを読んで思った。

映画の中でも「彼はもはや物理学者ではなく政治家だ」というようなセリフもあった。

※ オッペンハイマーがブラックホールの研究をしていたということはこの映画で初めて知った。ブラックホールという名前も出てこないくらいだったが。その辺も、あ、ブラックホールや中性子星の話じゃんと分かったのがうれしかった。

原爆実験が成功するシーンでは、日本人なら不快感や複雑な気持ちを抱くことが多いだろう。

あのはしゃぐ様子は特にそうだ。

しかし、私には理解できた。

原爆というところからいったん距離を置いてみてほしい。

例えば、ロケットの打ち上げに置き換えてみれば、開発に携わったものたちの緊張からの解放、歓喜の爆発、当然じゃないか?

まったくの未知なるものへの挑戦。

あれが原爆ではない平和利用で、日本でされたものだったら、プロジェクトXの格好の材料だよ。

さらに戦時下の異常事態ということを少しでも想像してみれば。

被爆者の苦しみを表す映画は、被爆国である日本で作ればいい。あるいは海外でもそこに深く切り込む作品があればなお素晴らしい。

しかし、あらゆる核兵器の絡む作品にそこまで求めるのは酷だと思う。

小学生のころから、被爆者の悲惨な写真を見せられた身としては、描写に生ぬるさを感じはしたが、そこまでやる必要もこの映画としてはたしてあるかという疑問もある。

それでも「オッピー、オッピー」の大コールの中、オッペンハイマーが見た幻覚には、今まで経験したことのない鳥肌が立ち、時間差で悪寒が走った。

実験での核爆発のシーン、映画は映画として劇場体験が至高だが、ここではファインマンの体験をそのまま引用する。

 全員に黒眼鏡が配られていた。(中略)僕は実際に目を害するのは紫外線だけだろうと考え(中略)トラックの窓ガラスの後ろから見ることにした。ガラスは紫外線を通さないから安全だし、問題のそいつ・・・が爆発するのがこの目で見えようというもんだ。
 ついにそのときが来た。ものすごい閃光がひらめき、その眩しさに僕は思わず身を伏せてしまった。トラックの床に紫色のまだらが見えた。「これは爆発そのものの像じゃない。残像だ!」そう言って頭をあげると、白い光が黄色に変わってゆき、ついにはオレンジ色になった。雲がもくもく湧いてはまた消えていゆく。衝撃波の圧縮と膨張によるものだ。
 そしてその真ん中から眩しい光をだす大きなオレンジ色の球がだんだん上昇を始め、少し拡がりながら周囲が黒くなってきた。そしてそのうち消えていゆく火が中でひらめいている、巨大な黒い煙のかたまりに変わっていった。
 だがこのすべては、ほんの1分ほどのできごとだったのだ。すさまじい閃光から暗黒へとつながる一連のできごとだった。そして僕はこの目でそれを見たのだ!この第1回トリニティ実験を肉眼で見たのはおそらく僕一人だろう。

思いのほか長くなってしまった。このあと大音響の描写もある。そして、それで爆弾の成功を体感し、大きな解放感を感じたとある。

とにかく原爆実験のあと、ロスアラモスは沸きかえっていた。みんなパーティ、パーティで、あっちこっち駆けずりまわった。僕などはジープの端に座ってドラムをたたくという騒ぎだったが、ただ一人ボブ・ウィルソンだけが座ってふさぎこんでいたのを覚えている。
「何をふさいでいるんだい?」と僕がきくと、ボブは、
「僕らはとんでもないものを造っちまったんだ」と言った。

この映画はやはり映画館で鑑賞すべき映画。けっして楽しいものではないが、体験しておく価値のある映画。

その上で各自が考えればいい。

原作はちょっと分厚いしなあと私もひるむ。(『哀れなるものたち』も2/3くらい読んで無期限休業中だ)

しかし、この『「ご冗談でしょう、ファインマンさん」上』の「下から見たロスアラモス」はおススメ。図書館で借りて読むでもいいと思う。

…まさかの原稿用紙11枚分になっていた…それでもまだ削ったとこあるんだけどな。

削ったというより、アインシュタインについて、触れそびれたー。

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