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屋上の記憶。

 与えられたテーマに沿ってモノを作ることが苦手だ。
 保育所に通っていたころは、自由に好きな絵や文字を描いて、先生に褒めてもらって、嬉しくなってまた描いてってやっていたのに、小学校に上がると先生とぼくのやり取りは「授業」という形になり、「〇〇について書く」や「□□の絵を描く」という縛りができて、ぼくは途端に自由を奪われた気持ちになる。小学校五年生の頃、写生の授業があった。みんなはめったに上がることのできない屋上に行くことに興奮している。たぶん季節は秋で、長袖を着ていたような記憶がある。グラウンドで吹いた風と、屋上で吹く風はなぜこんなに違うのだろう。屋上の風の方が透明。山の上の空気が澄んでいるのと同じことなのだろうか。大きく息を吸って、吐く。女子のスカートがはらりと舞って、男子が「パンツ見えたー」とからかう。女子は「見んなよ男子ィ!」と怒りながらも嬉しそうだ。屋上から見えるパノラマな景色、それぞれ好きなところを切り取って、画用紙に描いてゆく。みんなは、電車が通る線路沿いの町並みを描いたり、「うら山」と呼ばれていた小高い山を中心に描いたり、中には自分の家を見つけて家の周辺を描いている子もいた。
 ぼくは、どこを切り取っていいか分からずに屋上内をうろうろとする。先生に声を掛けられたが、「いや、まだどこ描くか迷ってて…」と笑ってごまかす。再びうろうろする。屋上内を檻に閉じ込められたゴリラのようにうろうろとしているぼくを、たぶん全員が「サボってる」「遊んでる」と思っていただろう。違うんだよみんな。違うんだよ先生。この時点ですでにぼくは、今でいうところの、バグを起こしていたんだ。描きたい景色が見つからないんだよ。どこを切り取ったって、それはぼくの描きたいものではないんだ。わかってる。授業とは、学校とは、社会とは、そういうものだと言うことなんて、小学校五年にもなれば、分かりきっているんだ。でも描けないんだよ。ぼくは探すことをあきらめて角の縁に座って、町並みを見るともなく見ていた。電車が走っている。ぼくの住む町の駅は普通列車しか停まらないので、特急列車の時は通るスピードが速い。普通列車が来ると駅に近づくにつれスピードが落ちるので屋上からでも列車の中にいる人までよく見えた。平日の午前中の列車内は空いていて、座っている人の背中がちらほら見える程度だったが、列車がゆっくりとスピードを落としてホームに滑り込もうとする一瞬間、ぼくは列車の中から窓越しに外を見ている幼い子どもを見つけた。小さな両手を大きく開いて窓にべったりと手も顔も押し付けて、こちらを見ている。ぼくはその子をじっと見つめる。その子を乗せた列車が駅のホームに消えてゆくまで、目で追い続けた。そしてぼくは画板を膝にのせ、真っ白な画用紙に向かって一心不乱に描き始めた。
 教室の後ろの壁に、みんなが描いた屋上からの風景画がずらりと並んでいる。うら山側、駅側、それぞれ角度は違えど屋上から見えた「僕たち、私たちの暮らす町」というテーマに相応しい絵。その中に一枚だけ、車窓から外を眺めている子どもの絵が混ざっていた。どう見てもその一枚だけが浮いている。ぼくは先生に呼び出された。

「あれ、本当に見えたの?走ってる電車だよ?そんなことあるかなぁ?」

先生は笑っている。
ぼくは突然わからなくなってしまう。ぼくは本当にあの子を見たのだろうか、あれはぼくの想像の世界だったのだろうか。でも、ぼくの見た列車の中のあの子は、あの瞬間、たしかにあの屋上から見える町並みの中にいたんだ。だからぼくは、ちゃんと屋上から見た景色を切り取ったんだ。みんなよりちょっと細かく切り取りすぎただけなんだ。自慢じゃないけれど、ぼくは視力2.0だぞ。両眼ともだぞ。あの子の、眉毛の上でぱつんと切られた前髪もネイビーブルーのトレーナーも、全部ぼくの想像だっていうのかい?先生。

「……見えた」

ぼくは精一杯の声で答えた。その声にもならない小さな声で下を向いたまま答えるぼくの姿は、どう見ても嘘をついた子に映っていただろう。

今でも、あの時の屋上の風や、クラスメイトのはしゃぐ声、教室の匂い、先生の半笑いの顔、全部覚えている。
もちろん、列車から外を眺めているあの子のことも。