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彷徨うおっさん25 妻への「誰のお金で生活できてると思ってるんだ」は絶対悪か?(3/4)追い詰める妻と夫の本音

 前回は、夫がうんざりするお金の使い方に対する、妻側の言い分に共感を示しつつもそのズレを述べてきた。今回は夫を追い詰める妻の在り様と、「誰のお金で生活できてると思ってるんだ」の言葉の本音について述べたい。

<夫を追い詰める妻>


 他力本願で理想を追う未熟な専業主婦VS現実に折り合いを付けたい一馬力の夫。
 お金の限界を知れば、嫌でも現実に目を向けざるを得なくなる筈だ。案外未熟な専業主婦は、家計の把握や必要な出費といった現実を見ておらず、理想ばかり口にしていないだろうか。

 話し合いの末に理想に折り合いがつけられれば良いが、感情的になって夫に大きく譲歩させていないだろうか。

 そんなことはないよ、うちは夫のことを考えているよという意見も出そうだが、本当だろうか?

よくあるケースとして。。。
① 不機嫌になる、頑固にふさぎ込む、所謂女性論(女性はこういう生き物だから男が気を使え、夫の共感が足りない、など)を口にする。
② 自分の希望する部分については勝手に話を進める。買ってしまって後で夫にお金を普請する。
③ 夫の財布を管理してお小遣いを減らす。
④ 子供を味方に引き入れたり、自身の両親を介入させて話を優位に進める。

 世論、他家庭との比較、子供を盾に取った態度、ジジババの介入、離婚のちらつかせ。。。〇〇さんちはこうだった、私の子供の頃はこうだったなどと頑固に持論を言い続け、終いには泣いたり怒ったり不機嫌垂れ流し。
 件の言葉が漏れ聞こえる未熟な専業主婦家庭の例では、案外こういう話ばかり耳にする。おっさんの周囲だけだろうか?

 こうした態度を感情論、先回り戦術、家庭内の焦土化とおっさんは呼んでいる。家族との関係にこんな謀略は似つかわしくない。

 大変でも多少なりとも自分の自由になるお金を自分で稼げれば、ここまでの感情の大波もなく、夫を追い詰める必要もなくなるのではないだろうか。

<誰のおかげで発言の裏の本音>


 結論から言うと「誰のお金で生活できてると思ってるんだ」の真意について、追い詰められた時のそれは、夫の自由を求める気持ち、妻のお金の使い方に抗する信念の発露ではないだろうか。たまにモラハラ夫が自分の思い通りにするために使う事もあるが、おっさんの感覚では近年そっちの例はまれに思う。追い詰められた夫が陰で愚痴っている程度の言葉が、追い詰められてつい出た感じに思う。

 「誰のお金で生活できてると思ってるんだ」発言について、色々なコメントや論考を読むと「男はプライドの生き物だ」などと単純化して書かれているものが多いが、これが妙な誤解を生んでいるように思う。
 おそらく「食わせてやっている」という類の支配欲的なプライドを露骨に持つ男性など、現役世代にはほとんどいないだろう。むしろ、妻側の無限の要求に対する困惑が、積もり積もって苦しみへと変化し、耐えがたくて喘ぐように出てくる言葉ではないだろうか。だってそれ俺の給料じゃん、なんでそんなに要求できるの? と。

 男は女の条件を飲まなければ孤独にされてしまうと短絡しがちでもある。離婚もあるが、単に家庭内で冷遇されたり、子供に悪評を吹き込まれたりといった卑劣な切り離しもよく聞く。元から独身天涯孤独ならばさして問題ないが、しかるべき恋愛や家庭構築を経た男性は、愛着を持った家族を失う脅威におびえてしまう。

 それはプライドなどという軽薄な感情ではないように思う。本当に耐えがたい寂しさや喪失感、無力感からくるものと思う。そこまで深刻な想いだからこそ多少は無理をする。つまり必死で妻のご機嫌を取ろうとする。

 例えばどんな時にその苦しさと戦うか。

 マイホームなど家庭に対する投資を中途半端に行わせた後、妻側から後出し修正案を出されまくるといった人がいた。やれ間取りは、やれ調度品は、やれ庭木は、やれ子供部屋は。。。

 専業主婦の家庭だと全部夫の出費である。少しは自分の想いだって反映したいし、無駄に思うものは否定したい気持ちだって出てくる。だが妻の希望を蹴ると、それまでの家庭の状況が変わる可能性に苛まれる。可能性ではなく、実際夫が押し切るとその後ずっと言う妻もいる。押し切ったはずが、なんやかんやなし崩されて、妻の希望を全部受け入れるしかなかった夫もいる。
 
 それでも妻を女性として、家族として愛している(愛したい)。だから苦しい。愛する家族を失う事に対して耐えがたい気持ちが強い。

 プライドなんぞで、血反吐を吐くような大金払ったり、何十年のローンなんて組めるもんじゃない。

<そして限界を超えて>



 だが、男が自身の人生を削って手にしたお金を、妻が大切にしなかったり、自分の想いを遂げるために謀略を巡らせるような場面を見ると、流石に男も変わってしまう。自身の愛情が妻に伝わらない。信じていたけど妻は結局は自分のわがままを通したいだけだった。そう思ってしまう。

 そして家庭ってなんなのだろうとうんざりしてしまう。失いたくないと思う強い気持ちの向こう側に、いっそ失ってしまった方が楽だという気持ちが見えてくる

 かといって別れれば、子供との繋がりを取り上げられる(親権は母性優先の原則に従う判例が大多数)。ああ俺はどうしたらいいのか。そんな気持ちの果てに
出てきた言葉
が「誰のお金で生活できてると思ってるんだ」ではないだろうか。

次回に続く


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