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『ある意味バイトの番外編①』

     前回までに、中学生〜大学生までの間でやった『アルバイト歴』をほぼほぼ晒したわけで、さて次回(今回)からはどうするか?って感じで終わりました。さぁどうしましょ?と考えてましたが、このnoteでは、なんとなくアルバイト歴を晒しながらの自分史みたいになってますので、ここは時系列通りに、ちゃんと正社員として就職した後の仕事話をして行こうかな。
    と、その前に番外編、就職活動自体が面白かったので、その話を書きますね。このシリーズ読んでいらっしゃる方は、おわかりでいらっしゃると思いますが、ここの主人公の俺(もちろん私本人)は現在50代ど真ん中の世代。大学生時代がバブルと言われた好景気に浮かれてた時代の真っただ中にいたわけで。この当時の就活は『売り手市場』と言われ、学生側が企業を選べるくらい、学生=売り手が優位な時代。大概の企業は、より良い人材を他社より先に確保するために『青田買い』と呼ばれる、就職協定前の『内々定』が横行していた。ちなみにこの就職協定っていうのは、企業側が採用をしてよい日程というのが決まっていて、その後でないと正式に『採用』を発表してはいけないという決まり。これは各企業が採用決定のスタートを足並み揃えるためにしていたんだろうね、表面的には。力の強い企業だけが有利にならないように?なのかな?政府側の指針みたいのがあったのだと思う。俺の大学4年時代の1990年は8月の半ばころだったかな。その日までは企業側も正式な採用発表=書面的なものは渡してはいけない。って感じだったかな。
 なので、就職活動自体は大学4年になるかならないかのころから周りは動き出していた。俺はそんな周りの動きに触発されて5月くらいから本腰入れ出す状態だった。そうそう、この時代は出身大学による学歴が重視されている時代なので、大学のレベルで就活の動き方も、だいぶ違ったようで、いわゆる3流大学にいた俺の知っている範囲の話となります。たとえば、それなりの大企業様は大学別の採用スケジュールが違ったり、企業側からの案内が来なければ説明会にも参加できないというわけ。今でいうとエントリーシートっていうのを送ったりして、企業からの返答を待つ感じなのかな。そのエントリー枠が学校によって違ったりしてたわけ。
 俺の周りの平均的な就職活動のスケジュールはというと、
・OB訪問 3~5月
・説明会参加 5~6月
・個別説明会 6~7月
・面接 6~7月 
・採用決定(内定) 8月
ざっとこんな感じだったかな。
 OB訪問、これを就活スタートとする人も多かった。興味ある企業に先輩がいる場合、直接連絡して会って話を聞く。部活やサークルなどで直接知っていたり、先輩の同期や友人を紹介してもらって会うというものだった。そのパターン以外でも、企業側も早く学生と接触できるということから、だいぶ協力的だったようで、学生は大学の学生課などでOBの就職先企業を調べて、その企業御中○○様で手紙だしたり、直接代表番号に電話して「○○大学の○○と申します」で取り次いでくれるところもあった。で、OBとアポとって会って話を聞く。大概は企業側も人材確保したいので、OBに領収証切って良しと含み食事や酒の席が用意される。そこで問題なければOBが「人事の紹介する」となり次の段階へとなる。俺は希望先に先輩みつけられなかったので、特にOB訪問はしてなかったけどね。
 説明会、俺はここが就活スタート。就職関連の雑誌的なものが4年生になるころに学生援護会やリクルートなどから送られてきていて、そこにある希望企業のスケジュールに合わせて、参加意向の手紙や電話して日程決定。会場が広い場合は、参加の連絡なしで直接行く場合もあった。ここでバブル時代のすごいのが、アポとって説明会などに行くパターンだと、ほとんどの場合「交通費」というものが頂けた。初回の説明会だと、大概は¥1000で、多いとこで¥3000頂けたこともあった。当時は埼玉の上福岡というところに住んでいたので、¥1000として、都内へ往復交通費差し引いても牛丼1杯くらい食べれたな。と、就活って金銭的にも〝お得〟な感じもするのだが、ここの『アルバイト歴を曝せ』シリーズに書いているように、通常生活がバイトで成り立っていた俺、就活で昼に時間を使うと、そのまま収入が減ることになったわけ。 
 だからといって就職活動サボるわけにもいかないので、どうしたものかと考え、説明会参加バイト!?を思いつき実行することとなる。興味ある企業の説明会があった場合、その説明会の会場が新宿だった場合、前後の時間に新宿で説明会がある企業を探して参加予約をいれていくってわけ。そんな感じで1度に最低2件、多いときで4件回って「交通費」を頂くという『バイト』を始めた。なので、うまく回れると¥4000~5000くらい〝稼げた〟ので、時給¥650で6~7時間分くらいにはなったな。悪くないでしょ(笑)。企業によっては「交通費」以外にも、ボールペンなどのノベリティ商品や記念品、出版物などのいろんなものをお土産的に紙袋いっぱいにくれたりした。ここで問題になるのが、こちらは「交通費」目当てだけでいろんな職種の企業回りしているので、そこを回っているときや、同種の企業の場合は別に良いのだが、本命企業に行くときに、異なる業種の紙袋持って行くわけにもいかないので、リクルートスーツに似合わない大きなカバン持ち歩いていくこともあったわ。
 もともと希望はマスコミ、特に新聞社に就職したかった。そしてそこで書く勉強と実績をつけてフリーのスポーツライターになるっていうのが当時の俺の夢。そこを見越して学内のスポーツ新聞を書く委員会に所属していた。時代は『売り手市場』と言われていたが、マスコミだけはそこにあてはまらず、特に俺のような3流大学生には、狭い門だったね。新聞社、出版社、テレビ局、テレビ制作会、CM制作会社などを中心に説明会参加。その前後には商社、食品などのメーカー、物流など業種問わずにいっていました。これがなかなか面白かったな。

 という感じで、今回はここまでで、どんな説明会や面接、はたまた協定の解禁日の様子などは次回
『ある意味バイトの番外編②』に続く。

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