K634

小説書いてる人。 それだけでは食べていけていない人。 文字を連ねていると、過去にも、未…

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小説書いてる人。 それだけでは食べていけていない人。 文字を連ねていると、過去にも、未来にも、世界中どこへでも、視えない世界、違う扉を開いた世界へも、何処へでも行ける。そして、いろんな人や物に出会える。 ここnoteでは、主人公「俺」の過去の物語を紡いでます。ほぼ実話です。

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アルバイト歴を晒せ

#このタグを見た人はアルバイト歴を晒せ というハッシュタグの付いたSNSで見てしまった。もちろん馬鹿正直に指示に従わなくてもよいのだが、ちょっと思い出してみたら、面白いくらいにその頃の情景が、出てくる出てくる。 そしてその晒したSNSは、いつもの投稿より少し反響が多かった。 あらためて見返してみると、その一つ一つに様々なエピソードがあって、その一つ一つが「経験」となって今の自分を形成しているなぁってね。ちょっと感慨深くもあったりして。 そこで、自分を作っている分析っていうよう

    • 「就活話が止まらないので もう一つ番外編」

      就職活動話が止まらないので、もう一つ。  改めて当時のこと思い出しながら書いていると、その業界を本気で目指している方や本気で実際に働いていらっしゃる方々に、大変失礼な就活していたわけですが、実は『警視庁警察官』の試験も受けていました。これは高卒で警視庁の婦警さんになっていた友人のデコちゃんに『受けるだけでいいから、受けてもらえると私のポイントになるから』って話から始まり、自分的にも就活マニアな感じになっていたので、公務員試験を受けておくのもの悪くないなってなっての記念

      • 『ある意味バイトの番外編②』

        今の時代、就活ってなかなか大変そうだよね。そういった苦労をされている方々には、ほんと申し訳ないくらいふざけた就活しながら、お金までいただいてバイト代わりにしていたっていうのが前回までの話。そんな流れで、バイト話から少し離れて当時の就職活動の話させてもらいますね。  まぁそんなわけで、就職として興味ない業種の説明会にも参加したりしてたのですが、それも行ってみると面白いもので、そこで働いている方、しかも基本的に自分の会社に愛情ある方が自社の説明をするわけじゃないですか。もち

        • 『ある意味バイトの番外編①』

          前回までに、中学生〜大学生までの間でやった『アルバイト歴』をほぼほぼ晒したわけで、さて次回(今回)からはどうするか?って感じで終わりました。さぁどうしましょ?と考えてましたが、このnoteでは、なんとなくアルバイト歴を晒しながらの自分史みたいになってますので、ここは時系列通りに、ちゃんと正社員として就職した後の仕事話をして行こうかな。 と、その前に番外編、就職活動自体が面白かったので、その話を書きますね。このシリーズ読んでいらっしゃる方は、おわかりでいらっし

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        アルバイト歴を晒せ

          『あの人と共演⁉映画・ドラマのエキストラ 編』

          これも単発でやったバイトなのですが、ちょっと面白い仕事だったので、あらためて書こうかなって。 それはTVドラマやらのエキストラ。 大学時代に3回ほど行った仕事。だと思ってたけど、確認のためWikipedia見て共演(笑)の俳優さんとか確認したら、これ高校生の時にやっていたのかもしれない。ギャラは1回の撮影参加で¥2500くらいだったかな。もうほんと記憶が定かではない。 1度、事務所に行って登録した後は、前日までに電話すると(メールなんてなかったからね)集合時間と場所

          『あの人と共演⁉映画・ドラマのエキストラ 編』

          『今夜飲み会!!困ったときの単発日払い編』

          大学生時代は、前回までの内容な感じで、 ・学生服販売 ・スポーツクラブ ・水産加工品 年末販売 ・スキーインストラクター 等を季節労働的にやっていた訳で、時期によっては現在の月収など遥かに超えるギャラを頂いていた。ハズなのですが、バカな学生が身の丈以上のものを持っていると、脳がバグっていくのでしょうね。バブルの背景も言い訳にしますが、使い方が派手でした。マルイなんかで、当時流行りのDCブランドの服を買ったり、付き合ってあいた彼女ととのデートの食事は、フレンチのフルコース

          『今夜飲み会!!困ったときの単発日払い編』

          『お歳暮 などなど 年の瀬お仕事は魚介の発送』

          学生時代に季節労働的やっていた?なっていた?(笑)スポーツクラブ、学生服売り場、スキー場等のバイトの話は、これまでにしてきたとおりですが、その合間的に毎年末2-3週間限定でやっていたバイト話をさせていただきましょう。これは大学1年〜4年まで、毎年12月2週目くらいから12月29日くらいまでやっていたお仕事。さらに言うと、高校生の頃から出入りしていたトーメン水産(過去の投稿参考)でのお仕事でした。  大学1年の11月ころだったかな、高校のころバイトしていたトーメン水産の工

          『お歳暮 などなど 年の瀬お仕事は魚介の発送』

          『スキーインストラクター(✕)でなくって 〝インチキ〟ラクター(〇)編②』

           大学2年冬、年も明けると、朴ノ木平のスクールの校長の言葉をうのみにしていた俺は、もう雪山に行きたくて行きたくて、行けばスキー三昧の日々が送れる。頭の中はそればかりとなり、本分である学校の試験なぞは適当に、しまいには学年末の試験も幾つかすっぽかして、1月の半ば過ぎには山に向かってしまっていました。1度、単発で菅平のスクールへ行き、修学旅行で初心者学生へのコーチを何とかこなし、その足でそのまま岐阜朴ノ木平スキー場へ行くこととなる。  朴ノ木平スキー場は、飛騨高山より車30分くら

          『スキーインストラクター(✕)でなくって 〝インチキ〟ラクター(〇)編②』

          『スキーインストラクター(✕)でなくって 〝インチキ〟ラクター(〇)編①』

           時系列少し遡って大学1年の3月の出来事から、この話はスタートしたいと思います。バイト歴で言うと『吉野家』あがって、引っ越しも終えて、三越で『学生服販売』やっていた頃。所属していた『スポーツ大東編集委員会』(通称 スポ編)の合宿という行事がありました。発行していた学内のスポーツ新聞の編集作業を共同生活の中で一致団結で進行しましょう、という“てい”のもの。この合宿というのは年2回(だったかな?)ありまして、新聞は年4回だっけかな?記憶が怪しいですが・・・その他、体育会所属の各部

          『スキーインストラクター(✕)でなくって 〝インチキ〟ラクター(〇)編①』

          『なんちゃってスポーツクラブ トレーナー編②』

           大学3年5月頃、約半年バックレたバイト先のスポーツクラブに、ばったり会ったエアロビのインストラクターH山さんに連れられて出戻った後の話です。東武東上線の鶴ヶ島駅より徒歩2-3分ってところに『OAK2/オークツー』は新設されました。そこにオープニングスタッフとして働かせてもらえることになったわけで。スタッフ集まっての顔合わせ的なミーティングが開かれました。ほとんどが鶴ヶ島での新規採用の中、社員さんは以前から気ごころ知れたH川さんを中心に知った顔もチラホラ。バイトも数人川越から

          『なんちゃってスポーツクラブ トレーナー編②』

          『なんちゃってスイミング インストラクターからの〜スポーツクラブ トレーナー編』

           また日にち空いてしまってスミマセン。これがまた、忙しかったわけではなくて(汗)年末年始がっつりとゆっくりさせていただきまして・・・。何はともあれ、今年またお付き合いいただきありがとうございます。  さて前回の話で、受け持っていた幼児クラスの子達は、今やその当時の自らの年と同じくらいの子がいたりなんかする歳になっているわけで。そんな30年以上昔のお話をさせていただいてます。 幼児や小学生のまだ泳ぎが上手くない子供たちのクラスを中心に、サポートのコーチをしていました

          『なんちゃってスイミング インストラクターからの〜スポーツクラブ トレーナー編』

          『なんちゃってスイミング インストラクター編①』

          毎度どうでもよいバカバカしいバイト話お付き合いいただき、誠にありがとうございます。 また、他の執筆進行や私事で少し間が空いたこと、お詫び申し上げます。 さて今回のバイト話はといいますと、スイミングスクールのインストラクターなんぞをやっていたりした話となります。 これは大学2年になってのこと。前回書いた学生服販売の仕事が、4月で一旦落ち着くので、その後ろの5月〜のお仕事です。当時住んでいた東武東上線の上福岡駅の2つ隣の駅、川越にある『川越スイミ

          『なんちゃってスイミング インストラクター編①』

          『季節労働⁉老舗百貨店で学生服販売②』

          この仕事何が良かったかって、とにかくギャラが半端なく良かった。世の中バブル時代でもあったので、当時はどの業界もそうであったと思われます。3つ上の女子の先輩の話ですが、卒業後ある商社に総合職で就職、その会社の業績が好調で1年目から大盤振る舞いのボーナスが貰えて、2年目の夏には都内に、中古ですが即金でマンション購入してたりと。これはだいぶ良い例かもしれませんが、そんな時代でしたね。  そんなわけで、老舗の百貨店、業界的にも社員の給料は良い時代。バイトではなく契約社員という〝

          『季節労働⁉老舗百貨店で学生服販売②』

          『季節労働⁉老舗百貨店で学生服販売①』

          バブル時代真っ盛りの80年代後半、大学1年の後期試験も終わる頃、前回記したように、実家を離れひとり暮らしを始める。その引越のタイミングで、当時やっていた活動の先輩よりバイトの紹介をいただく。 ちなみにその活動とは『スポーツ大東』編集委員会(通称 スポ編)といって、通っていた大東文化大学の体育会直属の委員会で、学内の体育会系部活動の活動報告をする広報紙を作っていた。年間に、学内のスポーツ新聞を3回、雑誌を1回発行していた。元々は新聞記者やルポライター志望していたの

          『季節労働⁉老舗百貨店で学生服販売①』

          『みんな大好き 牛丼の吉野家 編②』

          今はどうなっているのかわかりませんが、当時のバイトはできる仕事内容によってレベル分けされていました。 『カウンター』 『肉盛』 『店長代理』 というように、大きくは3段階。 『カウンター』はそのまま、カウンター内など=ホール側の業務。新人はここに含まれました。肉盛は厨房業務。店長代理は店舗内のほぼすべての業務が出来て、指示する事が出来るという人。それを基本にシフトも組まれていた。例えば4人体制の時間は、店長か『店長代理』が必ず1人はいるうえで、『肉盛り』1人以上、他2人

          『みんな大好き 牛丼の吉野家 編②』

          『みんな大好き 牛丼の吉野家 編①』

          「牛丼ひとすじ〜♪80ね~ん♫ やったねパパ明日はホームランだ」のcm、覚えてらっしゃる方は俺と同年代、50歳以上になりますかね。今回のバイト話は、その『牛丼の吉野家』で、先のcmが流行った少し後の80年代後半のお話。 塾講師編にてチラッと書きましたが、仕事のもらえない塾からのギャラでは、バブルな時代の大学生のお遊びには、賄い切れなかった。そこで、 今となっては覚えていないが『アルバイトニュース』か『FromA』で近所のバイトを探した。 当時通

          『みんな大好き 牛丼の吉野家 編①』