Angel Wing ~6~ 「強襲する悪意 そして……」

前回

「あ、あんな所に人!? 浮かんでる? ど、どうやって……!?」

「よう……随分といいご身分じゃねえか。そうやって運んでもらうのか?」

 突然の出来事に混乱する美羽をよそに、男はルディアをせせら笑った。

「パトリック・ランス!」

 それに呼応するルディアの叫びが聞こえた直後、美羽は背中が軽くなったのを感じた。その一瞬後、視界が白一色に覆われる。その正体は新雪のように輝き、空を舞う純白の羽根だった。やがて羽根が重力に引かれて舞い降り、視界が晴れると、上空に豊かなブロンドの髪を風に靡かせる少女が浮かんでいた。背中には新雪のように輝く純白の翼を携えている。その翼から遅れて飛散した羽根が一枚、美羽の顔の上へと舞い降りてくる。

「そ、そんな……まさか……?」

「美羽さん、できるだけ遠くに逃げて下さい」

 突然の出来事に頭がついていかない美羽に、ルディアが上空から警告した。美羽は鼻の上に着地していた羽根を掴むと、ルディアと照らし合わせるようにして掲げ、悟りを得たように呟いた。

「ルディアが……願いの天使」

「パトリック・ランス……まだ懲りていないのですか!」

「俺をその名前で呼ぶんじゃねえよ、願いの天使!」

 上空ではルディアと男が言葉の応酬を始めていた。どうやら、お互いに知った仲らしい。

「呼ぶなも何も、それがあなたの名前でしょう?」

 ルディアの言葉には多少の戸惑いが見てとれた。知り合いとは言えども、今の男の姿は普段とは様子が異なるらしい。

「惜しいな……実は俺、少し前に名前が変わったんだ……」

「変わった……?」

「ああ、そうだとも……」

 訝しむルディアに向かって、男は不気味に笑った。そしておもむろに己を親指で指すと、高らかに名乗りを上げる。

「今の俺の名前はパトリック・ランスウィングだ。せっかくだから、ランスウィングと呼んでくれ」

 ランスウィングの名乗りを聞き、ルディアの表情がさらに険しくなった。

「ランス……ウィング? ですが、あなたはーー」 

「隙ありぃ!」

 ルディアの僅かな動揺の隙を突き、ランスウィングが肩からの突撃をかました。

「ああーっ!」

 完全に不意を突かれたルディアは、ボディチェックをまともに受け、空中を滑るようにして後方に吹き飛んでいく。

「ルディア!」

「くっ……」

 美羽の叫びが響く中、ルディアはわずかに息を漏らしながら空中で体を強張らせた。すると、超常的な力で姿勢が強引に制御され、彼女の体はなんとかその場に留まった。

「あなた……油断なりませんね」

「そっちは動きに切れがねえな。どうしたよ?」

 余裕綽々のランスウィングが挑発する。

「……あなたのほうこそ……何故そのような力を?」

「知らねえな。ただ、一つ言えることは……オレはツイてるってことだよ! はあっ!」

 ランスウィングが再び一気に間合いを詰め、今度は拳を繰り出した。飛行のスピードが乗せられた正拳を、ルディアはかろうじて腕で防ぐ。

「ぐっ……」

 だがダメージを完全に抑えることは叶わず、反動で後方へと体がよろめいた。

「オラオラどうした! その程度かよ!」

 荒ぶるランスウィングは、間髪入れずにそこへ蹴りを繰り出した。ルディアはそれも辛うじて防いだが、続けざまにチョップが放たれた。瞬時の反応で防御すると、ランスウィングはその反動で回し蹴りを放った。ルディアはそれもなんとかいなしたが、すべての攻撃が確実に満身創痍のルディアの体力を削り取っていた。

「……何、これ……」

 まるでサンドバッグにコンビネーションを打ち込むかのような光景を地上から見上げていた美羽の心は、言い知れぬ恐怖で満たされた。しかし、なぜかルディアの警告どおりに逃げ出そうという考えは起きず、二人の戦いから目を離そうともしなかった。そうしているうちにも、ランスウィングの攻め止まらない。

「こいつでとどめだ!」

 ランスウィングが体を捻り、大技の構えに入った。若干の隙が生じた格好だが、ルディアにそこを突く余裕はない。そのまま、左肩にギロチンのような鋭い踵落としを見舞われてしまう。

「があっ……!」

 まともに攻撃を受けたルディアの体は地上へと急降下し、勢いよく地面に叩きつけられた。衝撃で辺りに砂埃が立ち込め、彼女の姿をかき消す。

「ルディア!」

 美羽は居ても立ってもいられず、ルディアの落下した場所へと駆け寄った。やがて砂埃が晴れると、彼女の目に願いの天使の姿が飛び込んできた。

「そんな……」

 美羽はその姿に目を見開いた。ルディアは純白の翼をボロボロに傷つけられ、地面にうつ伏せに倒れている。彼女を最初に見つけた時と同様、身動きひとつせず、もはや飛ぶことはおろか、二度と立ち上がることすら叶いそうにない。

「はっはっは! いいザマだな!」

 上空からランスウィングの残忍な声が響いた。美羽はその場に呆然と立ち尽くしたまま、ルディアの姿を眺めた。すると、彼女の肢体がぴくりと動いた。

「え……?」

 美羽が戸惑いを見せる中、ルディアはゆっくりと両手を動かして地面に手のひらを着けた。そしてそこを支点にしながら、歯を食いしばって上半身を起こす。

「まだです……あなたの思いどおりには……」

 だが、わずかにうわ言のように呟いたかと思うと、支えの力を失って再び倒れ伏してしまった。

「ルディア!」

 その瞬間、美羽は自分を縛り付けていた戸惑いから解放された。ルディアのもとへと脱兎のごとく駆け寄ると、苦痛に喘ぐ彼女を優しく抱き起こす。

「ルディア、しっかりして!」

「……ああ、美羽さん……まだいたんですね……。早く……逃げて下さい」

 不安を抱えながら除き込む美羽の顔を見て、ルディアは気丈にも穏やかに微笑んでみせた。その表情を見て、美羽の中でわだかまっていた感情が爆発した。 

「どうして……さっき倒れてたのだって、あいつのせいなんでしょう? どうしてあなたは……そんなになるまで戦おうとするの?」

「……守りたいからですよ……人々の願いを、あの日の……約束を」

 その言葉は途切れがちであったが、強く美羽の心に響いた。その揺るがぬ決意を示すように、ルディアは微笑みを湛えたまま優しく美羽の手を握った。

「……そして、何より……あなたを……」

「ルディア……」

 美羽はルディアの手を握り返した。そして決然として顔を上げると、ランスウィングに向かって叫んだ。

「あなたはどうして傷つけるの! どうしてルディアをこんな目に遭わせるの!」

「……突然なんだ、お前? さっきからチョロチョロしてやがってうっとうしいと思ってたが……挙げ句の果てには、人の子のくせに俺様にケチをつけるのか?」

 ランスウィングは腹立たしげに答えると、激昂する美羽を睨みつけた。

「どうしてって、そんなもん決まってるだろ? 俺様の野望のために、そいつが邪魔だからだよ!」

「……そんな……そんな理由でルディアを傷つけるなんて……」

 美羽は怒りのあまり肩を震わせていた。わずかな理性を働かせてルディアをそっと寝かせると、美羽はゆっくりと立ち上がった。

「許さない……」

 そして俯いたまま一言呟いたあと、今度は顔を上げてランスウィングに向かって叫んだ。

「あなたは……私が許さない!」

「……おい、いい加減にしろよ……人の子だから後回しにしてやりゃ、いい気になりやがって……」

 それまで熱を帯びていたランスウィングの声が、突然冷淡になった。彼はおもむろに右腕を上げると、力強く拳を握った。すると、拳の先から紅く光る光球が出現する。

「……」

 美羽はその光球を見つめつつ、無言のままランスウィングとルディアの間に立ち塞がった。

「……ああ、そうかい。反撃する力も無いくせに、俺様に盾突こうってのか」

 ランスウィングが嘲笑する間も、光球は徐々に膨張していった。やがて美羽とルディアをまとめて呑み込めるほどの大きさになったが、美羽はその場を動こうとしなかった。

「そういう態度に出るなら、お望み通りくれてやるぜ! ハッハー!」

 ランスウィングは狂気の叫びを上げると、その光球を二人に向かって勢いよく投げつけた。光球は風を切り裂き、一直線に美羽とルディアの元へと向かっていく。美羽は目を閉じ、痛みに耐えようとした。

「……そうは……させません!」

 しかし、光球が二人に当たる直前、ルディアの叫びが響いた。その直後、美羽の体は暖かい感触に包まれた。

「なにっ!?」

「……」

 ランスウィングの驚愕の声を聞き、美羽は恐る恐る目を開いた。すると、目の前が白い光の膜のようなもので覆われているのが分かった。おぼろげな視界の中に、ランスウィングの驚愕の表情が見える。

「……な、なんだってんだ……?」

 得体の知れないものを見るかのような声を聞きながら、美羽の意識は段々と遠のいていった。

つづく

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