Angel Wing ~1~ 「激突する翼」

 空は分厚い漆黒の雲に覆われ、不穏な空気を醸し出していた。辺り一面に散らばる瓦礫が、周囲の荒廃を物語る。その光景はまるで、世界の終わりを表しているかのようだった。

「……ハァッ!」

 そんな重苦しい静寂に包まれた空間を切り裂き、鋭く高い声が鈍い打撃音と共に響き渡った。

「チッ、意外としぶといじゃねえか!」

 それに呼応するように、今度は吐き捨てるような低い唸り声が聞こえる。

 二つの声の出所には、新雪のように真っ白な翼を纏った少女と、闇を思わせる漆黒の翼を携えた男がいた。二者は空中を自在に飛び回り、互いの拳を突き合わせ、お互いを攻撃している。

「貴方の好きには……させません!」

 少女は肩まで届くブロンドの髪を振り乱しながら、必死に男性を迎え撃っていた。その攻撃には、彼女の色白の肌と細身の肢体からは想像できないほどの迫力がある。

「言ってくれるじゃねえか。けど、オレは好きなようにやりたいんだよなぁ!」

 筋肉で引き締まった肢体を鋭く振り回しながら、男が叫ぶ。その声は、雷鳴のように辺りに轟いた。金色の瞳が、少女の遥か後方を見据える。

 男は黒い革のジャケットとパンツを合わせたような体にフィットする服を着ていて、少女のほうはローブのようなゆったりとした白い外套の開かれた前の部分から、膝下までのスカートと白いタイツが見える。言い換えれば、男はパンクロック調で、少女はこの一言で表せる。

 天使。

 そして彼女は、実際に天使だった。

「ここから先に……通すわけには……」

 男性の攻撃を受け止めながらそう口にする少女の後ろには、周囲の情景とは場違いなほどに美しい泉があった。男はその泉を目指し、少女はそれを男性から守るために戦っているのである。両者は互いに一歩も譲らなかったが、発する言葉には違いが表れていた。先程のように、少女の言葉は悲壮感に溢れ、途切れ途切れに発せられる。

「オラオラ、どうした! その程度かよ!」

 対して男の声には余裕が表れていた。語気を強めた言葉を発しながら、少女に襲い掛かる。二人の心境の差は徐々に戦いにも表れ始め、少女は次第に劣勢を強いられていった。

「ハッ、こいつでどうだ!」

 優位に立ったと確信した男性は、両手の指を絡ませるようにして拳を握りしめ、頭の上から振り下ろして少女の首筋を捉えた。

「ガアッ!」

 攻撃をまともに受け、少女は瓦礫の山に強かに叩きつけられた。砂塵が舞い上がり、華奢な体に降りかかる。

「くっ……」

 少女はすぐに飛び立とうとしたが、ダメージが大きく、片膝を立てるのがやっとだった。

「ハハハハ! 所詮お前はその程度なんだよ!」

 男性は勝ち誇ったように両手を広げ、空を仰いだ。その姿は、さながら廃墟に降臨した破壊神のようだ。頭上を覆う雲も、彼の優勢を祝うように一段と厚くなり、周囲に影を落としていく。

「せっかくだ。お前も他のお仲間のようにしてやるよ……」

「!?」

 男性の嘲りに、少女は反射的に辺りを見回した。彼女と男が戦う周囲には、彼女たちと同じ様に翼を携えた人々の石像が静かに佇んでいた。少女のエメラルドの瞳に映るそれらの像は、芸術作品と呼ぶには余りに写実的で、あたかも先程まで動いていたかのように見える。

「……しかし、意外とあっさりしたもんだったなあ。お前ら天使は、やっぱりただの甘ちゃんだな」

 男性はそう言うと、自身も石像に目をやり、侮蔑するような笑みを浮かべた。

「貴方に……」

 少女が喘ぐようにして呟いた。そして気力を振り絞るようにしてゆっくりと立ち上がると、男性に射るような視線を向ける。

「貴方に何が分かるというのですか!」

 そう叫ぶやいなや、少女は火の粉が弾け飛んだように男性に突進した。

「ガハッ!」

 そのあまりの速さに男は回避が間に合わず、少女の肩をまともに顎に喰らってしまった。

「ハアアァァーーッ!」

 その隙を逃さず、少女は矢継ぎ早に何発もの拳と蹴りを繰り出した。

「グアーッ! ギエーッ!」

 攻撃は次々に男性にクリーンヒットし、男に叫び声を上げさせる。

「セヤーッ!」

「ギャーッ!」

 ラッシュの最後に少女がローリング・ソバットを見舞うと、男は体をくの字に曲げて吹き飛んだ。そのまま後方にある銅像に激突するかに思われたが、男は慣性を無視するかのように空中で急停止した。

「……ああっ! 何なんだよ、テメエ! いきなりテンション高くなりやがって!」

 毒づきながら、男は未だ闘志の萎えぬ目で少女を睨みつけた。ダメージは相当負ったはずだが、まだ体には余裕はあるようだ。一方少女のほうも、抜かりなく体勢を構え直す。

「貴方に侮辱されるいわれはありません。私たち願いの天使は、決して悪には屈しない!」

 その言葉は力強く、朗々として辺りに響いた。

「おお、おお、そのカラ元気がいつまでもつかな……」

 口では嘲りながらも、男の目は笑っていなかった。今はまだ余裕があるが、このまま攻め込まれたら勝算は薄い。そう考えた男は、ゆっくりと飛翔しながら、打開策を練るように辺りを見回した。しかし、瓦礫に埋もれた世界の中に適当な策がすぐに見つかるはずもなかった。

 少女はしばらく男の様子を観察していたが、やがて静かに口を開いた。

「……もういいでしょう。さあ、秘宝を返して下さい」

「これのことか?」

 男は一旦視線を少女の元へと戻すと、戦闘体勢のまま右手を高く掲げた。すると、その手の先から金色に輝く光球が現れた。光球は男の目の前にゆっくりと降下し、その場で制止した。その光に照らされ、少女の表情が僅かに和らいだ。

「そうです。さあ、それをこちらに渡してください。貴方には必要の無いものです」

「やなこった。誰が渡すか……」

 男は少女の視線が光球に向けられていることを察すると、また密かに周囲を見渡しながら、気を逸らすように会話を続けた。

「こいつはもう俺のもんだ」

「いいえ、それはこの天使の園に伝わる大切な宝物です。貴方も分かっているでしょう?」

「そりゃあ、知ってるさ。だから欲しいんじゃねえか。で、こうして手に入れた。だから、返さない」

「何を分からないことを!」

 場当たり的な会話が続き、ついに少女が激昂した。同時に、忙しなく動いていた男の視線が静止する。

「……それにな、絶対に勝てる秘策も思いついちまった」

 男の視線は少女の後方にある石像の付近に向けられていた。彼は妖しく微笑むと、素早く光球を収束させて回収し、急に猫なで声で話し始めた。

「綺麗な翼が丸見えだよ~ん……おチビちゃん!」

「何を……?」

 不意を突かれた少女がしばし呆然とする間に、男は右手から先ほどとは異なる緋色の光球を作り出し、ゆっくりと膨張させていった。少女はすぐに我に返り、男に飛びかかろうとしたが、瞬間的に違和感を覚えてためらった。男の視線が少女のほうを向いていなかったのだ。

「……まさか!」

 不安に駆られ、少女は男性の視線を辿った。その先の石像に目を移すと、彼女の眼に小さな純白の翼が飛び込んできた。

「あの翼は……ジェシカ!?」

「あ、あわわ……」

 少女の驚嘆に応えるようにして、翼の持ち主であるオリーブ色の長髪の少女が、石像ごと吹き飛ばされるのを避けようとして這い出てきた。しかし、恐怖からかそれ以上動くことができず、ただ膨張していく光球を見つめるのが精一杯だった。

「さあ、くたばりな!!」

 男が叫びとともに光球を放った。

「危ない!」

 絶体絶命の状況の中、少女は疾風の如くジェシカの元へと飛んだ。間一髪で間に合い、背中で光球を受け止める。翼の羽根が周辺の瓦礫と共に舞い上がり、雪のように辺り一面に散らばった直後、少女はその場に倒れ伏した。

「ルディア、しっかりして! ルディア!」

「……」

 少女は名前を呼ばれても微動だにしなかった。

「よくも……」

ジェシカは目に涙を浮かべながら、男を睨み付けた。

「なんだよ、やるのか?」

 男はドスの利いた声とともに睨み返した。

「ヒッ!」

 ジェシカはその声と視線に怯え、目を逸らしてルディアに覆い被さった。

「ハッ! それでいい。今度こそ終いだな」

 男はそれを見て勝ち誇ると、二人の可憐な天使に背を向け、泉へと向き直った。

「そうやって仲良くおねんねしてな。俺は急ぐからよ。じゃあな~」

 男は捨て台詞を吐くと、自らを光に包み、泉に向かって飛び立った。

「……貴方の、好きには……」

「……あん?」

 微かに聞こえてきた声に、男が訝しげに振り向くと、満身創痍のルディアがよろめきながら立ち上がるのが見えた。

「……貴方の好きにはさせないと、言ったでしょう!」

 ルディアは声を高らかに響かせると、自らを光に変え、猛スピードで男に襲いかかった。

「マジかよ、どこまでしぶてえんだ!!」

 男は狼狽しながら先を急いだが、ルディアの光が男性の光に追いつき、二つの光はほぼ同時に泉に突入した。その衝撃で、水面から強烈な光の柱が立ち上り、天空に向かって真っ直ぐに伸びた。

「ルディア……」

 その様子を遠くから眺めたジェシカは、不安げに呟いた。やがて光は収まり、周囲は再び静寂に包まれた。未だ雲は厚く、不穏な空気が辺りを支配していた。

つづく

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