プリンセス・クルセイド #7 【ココロの試練】 3
そこはアキレアの寝室だった。しかし、親しみのある自室でありながら、どこかに違和感がある。部屋の家具はどれもまったく同じ見えた。天蓋付きのベット、洗面台にクローゼット。天井のシャンデリア。
「……あのシャンデリア、あんなに遠かったか?」
天井を見上げたアキレアは眉根を寄せた。視線を落とし、もう一度注意深く部屋を見回すと、おかしいのはシャンデリアだけでなかった。部屋にある何もかもが、僅かにサイズアップした感覚がある。
「まさか……?」
アキレアは戸惑いながら、クローゼットの前にある全身鏡の前へ足を運び、疑惑を確かめるべく己の姿を見た。
「バカな……どうして?」
そこに映っていた自分の姿に、アキレアは目を見開いた。いつの間にか変装が解けている。しかし、それ以上に衝撃を受けたことがあった。背が縮んでいるのだ。正確には、最後に見た己の姿よりも幼い姿に変わっていた。時間で言えば、10年近く前だろうか。
「これは夢なのか? それとも……」
アキレアが思考を巡らせていると、突然部屋のドアがノックされた。アキレアは警戒し、腰の剣に手をかけたが、意に反して口が勝手に動き出した。
「……どうぞ」
扉を開くと、黒髪の女性が入室してきた。
「……何だい、妙に構えちゃってさ」
「いや、何でもない。ただ……緊張していて」
アキレアの口がまた勝手に動いた。剣にかけた手も独りでに離れる。
「緊張……ふふっ、そんな大層なもんじゃないさ」
そんな彼の様子を見て、黒髪の女性は軽く吹き出すと、つかつかとアキレアのもとに歩み寄ってきた。
「じゃ、早速やってごらん。その聖剣でやるのかい?」
「ああ」
アキレアは腰から聖剣を抜くと、一度深呼吸をした。そして魔力を集中させ、剣から光を発生させると、それを纏わせた。光が晴れると、アキレアは赤毛で緑色の瞳をした少女へと姿を変えていた。
「……どうだろうか?」
変身を終えたメノウが戸惑いがちに尋ねた。
「へえ、なかなか可愛いじゃないか。大したもんだよ」
黒髪の女性がメノウの赤毛を撫でた。
「よしてくれ。恥ずかしい……」
メノウの口が勝手に動き、頬が赤く染まった。
「ふふっ、照れちゃって。まったく、アンタはさ……」
黒髪の女性は朗らかに笑った。
(同じだ、あの時と……)
メノウにはこれと同じ場面の記憶があった。これは初めて変身の魔術を使った時のことだ。黒髪の女性は、その魔術を教えた師――ジェダイトだ。
「しかし、王子様ってのは不便だね」
ジェダイトが気安くメノウの肩を叩いた。
「そんなことしないと街も歩けないとはさ」
「本当だな。ジェダイト、お前には感謝している。ありがとう」
メノウの口は機械的に動いていた。あたかも醒めない悪夢のように、意識は持っていながらも、身体が言うことを聞かない。
「いいってこと。それがアタシの……役目だからね」
ジェダイトが記憶どおりの台詞を口にした時、もう一度扉がノックされた。
「……どうぞ」
メノウは今度は素直に入室を促した。この後の展開を思い出し、心臓が小さく波打った。
「……ああ、ジェダイト。もう来ていたの。私も楽しみにしていたのに」
入室してきた女性の姿を、メノウは直視できず、鏡のほうへ向きなおった。アキレアと同じ茶色の瞳をしたその女性は、今は亡きウィガーリー国の王妃、アメリアだ。
「申し訳ないね、王妃様」
ジェダイトが軽く会釈してアメリアに挨拶した。
「いいのよ、遅れた私が悪いのだから。どう、アキレア? 上手く出来たかしら?」
アメリアが自分の背後に移動してきたのを、メノウは鏡越しに確認した。彼女の姿は、思い出の中の姿と同じだった。色白の肌、長いブロンドの髪、茶色の瞳。そして、腰には聖剣を差している。
「……母上?」
「上出来よ、アキレア。でも、これだけじゃ、まだダメね……」
アメリアはそう言いながら、おもむろに腰の聖剣に手をかけた。
「……私が仕上げをしてあげる!」
アメリアの聖剣が抜き放たれる刹那、メノウの肘打ちが彼女の腹部に炸裂した。
「ぐっ……」
「作戦失敗だな!」
呻くアメリアに向き直り、メノウは聖剣を剣を鞘走らせた。目の前でアメリアの姿が変貌していき、やがてアレクサンドラが現れた。
「くっ……なぜ気付いたの?」
アレクサンドラは片膝を着き、恨めしげにメノウを見上げた。
「城の聖剣はひと振りしかないからな。それに、この日のことはよく覚えている」
体格が元に戻ったメノウは、剣を構えてアレクサンドラを威圧した。身体の自由を取り戻し、真っ直ぐに相手を見つめる。
「でも、ジェダイトとは楽しそうに話していたじゃない……なるほど、そういうことね!」
アレクサンドラはそう言うと、剣を抜き、瞬時に刃を光らせた。
「またか……!」
咄嗟に目を閉じたメノウが目蓋を開けると、そこは城のバルコニーだった。再びアキレアへと戻った身体を一瞥すると、今度は先程よりも成長しているのが分かった。おそらくは2、3年程前だろう。彼の目の前には、こちらに背を向けて立つジェダイトの姿があった。
「……あたしをどうするつもりだい、王子?」
ジェダイトは背中を向けたまま、アキレアに問いかけた。
「どうって……きっと何かの間違いだ。私からも話をする。だから……」
アキレアは記憶どおりの台詞を口にした。
「いいや……全部本当のことさ、王子様。確かにアタシは盗賊だ。あんたの母親に取り入ってこの城に侵入したわけだが……」
ジェダイトは妖艶に微笑んだ。
「その王妃様が死んだんじゃ、立場が悪いからね。正体もバレたことだし、計画は失敗だ。お暇をもらうとするよ」
「私のことも騙していたのか? あんなに色々教えてくれたじゃないか!」
「……ああ、何もかも嘘さ。もう少しで皆があんたみたいに信用してくれるとこだったんだけどね。まあ、しょうがないさ」
「そんな……」
アキレアは剣を取り落とした。これも記憶にあるとおりの行動だが、今度はアキレア自身の意思とも同調していた。
その時、ジェダイトが突然振り向いた。
「……隙だらけよ!」
そして聖剣を抜き放ちながら飛びかかり、無抵抗のアキレアの腹部を切り裂く。
「ぐっ……」
「……本当は聖剣を狙いたいところだけど……欲張りはいけないわよね。実際チャンスも少なそうだし、今回はこれで勘弁してあげる」
ジェダイトの姿から元の姿に戻ったアレクサンドラが、勝ち誇ったように微笑んだ。アキレアはその顔を視界の端に捉えたが、すぐに広がっていく光に遮られていった。
4へ続く
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