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「死にたい」気持ちと向き合う瞑想の実感 ー1ヶ月瞑想を続けてみたー

この記事はただ一言、「瞑想は死にたがる自分の気持ちと向き合うのに良いぞ」ということを自分のために言い残しておきたいがために書いている。
おかげでただひたすらに文を垂れ流すことになっていることはご容赦いただきたい。
内容も何かのエビデンスに頼ることもなく、自分が感じたことを書いているだけであり、全員がそんな感覚を受けられるなどということを保証するものでもない。

瞑想やマインドフルネスが昨今流行っている。
著名人がホットヨガしたり、宣伝したりと「流行りを作っているから流行っているのだ」という面ももちろん否めないが、個人的にはそれなりの背景と効果をともなっているからこそ、これらが注目されているのだろうと感じる。

要は瞑想などで自己と向き合うことで自分の心を鍛えなければ、この厳しい世の中を渡っていくのがことさら難しくなっているのだ。世知辛いのじゃ。

かく言う私も3回ほど職場でメンタルを破壊し、退職している。
「死にたい」という希死念慮は小学生からずっと抱えて、実際に数度自殺を試みることもあったが、社会人となってからは仕事の辛さと、辞めた後は自身の情けなさと無力感に打ちひしがれ、殊更にひどくなった。

誰からも必要とされず、何の光も見えない暗闇の中でぐったりと倒れ込み、「死にたい…死にたい…」と呟き続ける心の地獄は、当人と実際に味わった人にしかわからないだろう。

そんな中でも、少しでも何か一歩、いや腕のひと掻きでも前に進めないか。
もがいた中で一つ見つけることができたのが、私にとっては「瞑想」であった。

現在、私は「メントレ」というアプリを使って瞑想を行っている。

きっかけはニコニコ動画でDaiGoのチャンネルを一時期見ていたことだ(今は中身に嫌気がさしてしまったので解除しているのだが)。
このアプリは、iPhoneのカメラに指をかざすことで心拍変動を測定し、集中度合いを測定してくれる。
…それが本当に正しい値かはわからない。
しかし実際に使っていて便利だなと感じるところは多い。
例えば、瞑想中に集中できているかどうかを「鳥のさえずり」などの音でそれとなく教えてくれる。
また、アプリ起動中には常に「海の潮騒」や「焚き火のパチパチ音」などのリラクゼーション効果のある環境音を流してくれるので、それとなく「瞑想やろうかな」という気分をキックしてくれる。
さらに日々の瞑想時間や集中度を記録した上で自分でメモも残せるので、日課にできているかのチェックや「その日に何を考えたか」などを残しておけるのも良い。
無料アプリならそれだけあれば十分だろう。私はかなり満足している。

さて、瞑想のやり方は上記のアプリに譲るとして、私なりの瞑想による効果を言葉にしてみたいと思う。
私は1ヶ月、1日10分の瞑想をなんとか続けてみようと思い、実践した。
もちろん、それすら辛い人は週に1回、5分とかでもきっと問題ないだろう。
試しにやってみることが一番大事なことだからだ。

1.自分の中の「子供」と向き合うことができるようになった。
私の中には「小学生の頃から誰にも、自分にすら大事にされなかった子供の自分」がいる。
普遍的な言葉ならば自尊心であったり自己肯定感といった感じになるだろうか。
ただ、それらだけで表すのはちょっと難しい。私にとっては、私の中にいるもう一人の私といった存在だ。
その子供は最初に出会った時、全身ズタズタに切り裂かれ、身を守るためにあり合わせの鉄板を何重にも重ねて鎧を形成し、体に触れることすらできなかった。
当然だろう。いつの間にかその子供を私自身が切りつけてズタズタにしていたのだから。

私にとっての瞑想は、この子との和解を目指す作業だった。
私はひたすらに呼吸に意識を向けた。

1日目の10分ではまるで効果はなかった。

7日目の10分で、次第にその子の鎧が剥がれ、顔が見えるようになった。

14日目の10分では言葉を交わし、その子の思いを少しずつ汲み取れるようになった。

21日目には頭の中で二人で今日あった出来事やどう感じたかを笑って話せるようになった。

28日目には一緒に座禅を組み、お互いに呼吸を見つめるようになった。

1ヶ月を達成し、毎日の強制はしなくなったものの、死にたくなったり自分の声を聞いてみたくなった時にはできる限り瞑想をするようにしている。
おかげで以前と比べて、相当に自分の心と向き合いやすくなった。これは本当に瞑想を始めてよかったと思うことだ。
「瞑想」がその人にとってどんな効果を及ぼすかは人にとってそれぞれ違うだろう。私にとっては上述のような心の動きがあったと言うことで、参考になれば幸いだ。

2.脳が「押し拡げられた感覚」を得て、気持ちよくなった。
これはもっと肉体的な変化だと思う。
呼吸に意識を向けていると、途中から息を吸ったり吐いたりする度に、脳が内側からググーッと押されるような圧力を感じるようになった。
特に前頭葉付近でこれを顕著に感じるのだが、これが肩を揉むマッサージのように気持ち良い。
その気持ち良さに意識を向けてみるのも効果的で、脳が直接揉み解されるような感覚になる。そしていつの間にか10分、15分が過ぎてしまうのだ。
医学的なエビデンスはここでは貼らない(私が詳しいわけでもないので)が、実感として、脳になんらかのポジティブな変化が起きているのではないかと感じる。
確かに集中力であったり、「怖いけど一歩踏み出してみよう」といった次の一歩への勇気は、実感として瞑想前よりも明らかに上がった。

それでなくても脳がマッサージされるような快感を、とても簡単に得られるので、やって損するといった感じはまずないのではないかと思う。

おそらく、こう言う開放感は瞑想修行で言うところの「偽涅槃」の入り口であり、本来の修行はこれで止まってしまうことは誤りなのだろう。が、別に私は悟りの境地を開きたいわけでもないので、現実として快感を得て前向きになれるのであれば、そこで止まって何ら構わない。

私は今でもプレッシャーを受けたり、過去がフラッシュバックしたりして「死にたい」と感じることは多々あるが、立ち直りは少しばかり早くなったように思う。
(同居する父にも「最近は大分引きずらなくなってきたように見える」と言われたので、外から見てもそうなのかもしれない)

もしこれをみている貴方が「死にたい」「生きづらい」といった苦しい気持ちを抱えていて、ちょっとでも興味を持ったのであれば、1回5分だけでも挑戦してみてほしい。

もしかしたらあなたも一歩だけ、腕のひと掻きだけ、前に進めるかもしれない。

ニンジャスレイヤーTRPGを盛り上げるために、もしよろしければドネートを…!聖戦の継続の為に…!