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自分の顔の99.9%は妄想でしかない

自分の顔は自分では見られない。
見えても鼻の先くらい。それは顔の0.01%程度。
残りの99.9%は鏡や写真という虚像をもとに作り出した妄想でしかない。

それは顔だけかと考えてみれば、実は顔だけではなくて、自分すべてがそうなんじゃないか。自分の思う自分なんて99.9%は妄想。そうかそうなのか。そういう前提で思ってみればいろいろとしっくりくるし、楽にもなる気もする。

「他人は自分を映す鏡ですよ」と使い古されたような言葉を持ち出しても、噛めばまだ味がするから、そうなんだろう。でも鏡というのは左右が反対に映る。虚像だ。
その虚像をもとに作り出した輪郭線は気を抜くとぼやけていくので気が気じゃない。だから血液型占いとかどうぶつ占いとかMBTIとか。ある程度の統計に裏打ちされた揺らぎにくいえんぴつで輪郭線を縁取ってもらうとはっきりくっきりどんどんと自分がその形であるように感じることができて安心できる。(ちなみに僕はO型のチーター、INFJで土星人-の真昼らしい)

さてそんな中、妄想力で作り出す自己認知にはゆがみがあったりする。実像以上に自分を評価したり、実像以上に自分を卑しんだり。まぁ先のように実像は0.01%しか見えないなら、自己認知なんて歪んでいるのが普通で、歪みがないのが異常なくらい。それでいい。ただ極端な自己認知のゆがみは悲劇を招きかねないので、定期的に評価を外部委託してみるのがいい。「最近自分イケてると思うんだけどどうかしら」「私みんなから嫌われたと思うんだけどどう思う」「俺足短いと思わない」などなど他人に評価を委託してみる。興味がないか、よっぽどの悪意でもない限り正当な評価が返ってくると思う。「うん。僕もイケてると思うよ」「え、そうなの。気が付かなかった」「確かに足が長くはないよね」と。
そして外部委託してホクホクしたらホクホクしたらいいし、思ったものと違っても「でも」と思わずに自己認知と他者認知の差を感じたらいい。差分を感じるだけでも大きな成果が得られると思う。問題は外部委託を誰に投げるかだ。気の置けない、おべっかも使わない、悪意にも満ちていないそんな交友関係が気付けていたらいいよね。これまでもこれからも。

色々な鏡を使って様々な角度から自分の輪郭線を縁取っていけば、自然と実像に近い自分の姿が見えてくるに違いない。ただ輪郭線がはっきりすればするほどに、他人と自分の境界線がくっきりしてくるのも事実だ。それが悪いかよいかはさておき、輪郭線がはっきりしてくれば「自分と他人は違う」という気持ちが芽生え、芽の成長とともに特別感が増していく。この特別感というのがとても厄介。「自分は他人より優れている」という認知も「自分は他人より劣っている」という認知もどちらも厄介。「あなたそんなに特別じゃないよ」って誰かが言ってくれて、ハッとできればいいのだけれども、不機嫌になってしまうケースが多いから、そんな声もかけづらい。それは自分自身が「特別感」を意識してきたから痛いほどわかるし、もう抜けたのかと聞かれれば「現在進行形です」と答えることしかできないくらいまだ特別感の渦中にいる。ただ41%くらいは抜けたんじゃないかな思っている今、考えるのは、特別感から抜け出せた方が楽だということ。やっぱり他人と自分に線を引いて、棚に上がって高い位置に行くにせよ、穴掘って地中に埋まるにせよ、まぁ楽じゃないよね。できることなら自分にとっても、周りにとっても気楽でいられる自分でいたいじゃない。と思っている最近。

じゃあどうしたらこの特別感を捨てれるのかということを考えてみる。
まずベタなのは公衆浴場に行くのはいい。いろいろな人が裸でふらふらしている。そして自分もその中に混ざってふらふらする。お湯とともに他人と自分の境界線は溶け、それぞれ違った裸がそこにはあるだけ。それってなんだか素敵なことじゃないかと思う。

そして比較対象を変えるというのもデカい。何かやってるとついつい他者との比較で自分を見がちになってしまう。容姿も、才能も、能力も、性格も。それは仕方がないことだけれども、自分を見るときはことさらに意識して、今の自分と過去の自分との比較できるように移行していきたいよね。さらに言えば、相対評価そのものも取っ払って、今の自分オンリーの絶対評価になれたらいいよね。今の自分がいいと思うからいい。違うと思うなら違う。それが難しいから悩むんだけど。まぁ到達目標にそれがあると思うくらいでもいい気がする。

あとはやっぱり外部委託に頼る。もう正直自分の事は自分が一番わからないのだと、あきらめて、白旗を降って戦線離脱しよう。で、他人に聞く、「僕はどんな形をしていますか」って。そして言われたことを信じる。だからこそ「相手の鏡に合わせた姿でいないといけない人間関係」ではなくて「ありのままを映しあえる人間関係」を築いていきたいよね。

さらに言えば何かを発信するというのはとても大事。
今を生きて何を考えているか。暮らしの中で何を感じているか。何を生み出し、何を消費しているのか。そんな今の自分を発信していく。それは現在地の確認みたいなもので、明日になれば変わってしまうかもしれないけど、先に述べた自分と自分を比べる材料になる足跡を残しておくことになる。変わらないことも変わっていくことも大切だから、その小さな今を積み重ねた先にきっと“自分の事が好きな自分”がいるんじゃないかと思ったりする。

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