koppi
25年間とこれから マジ真面目な話。 初めから読んでも、遡っても。 時系列が順になるよう、ちょこちょこ書き足しあります。
生まれてから、本当に流されて流されて生きてきた。 ここを私の本音を言える場所にしたい。 ずっと、職場の人にも友達にも恋人にも家族にも、言いたい事が言えないから。 夢では言えるのに。 無限に頭の中でシミュレーションしてるのに。 言えない事にもモヤモヤするのに。 言うのが怖いのか。 言えない事が楽なのか。 未だに分からんのです。 家族構成 頭の片隅にでも。 私 会社員 (母の会社) 、言語聴覚士(ST) 妹 生活介護通所。 (重度知的障害、自閉症) 母
あと2か月弱で 障害者手帳の更新なのだが。 更新すべきか、頭悩まされている。 更新するメリットは 娯楽施設などの割引があったり、税金控除がある。 1つ、懸念しているデメリットは 住宅ローンが通りにくいこと。 団信なしのローンは通ると聞いたが、果たしてそれでいいのか? (団信(団体信用生命保険)とは、住宅ローンを返済中に、死亡や高度障害など万が一のことがあった場合に、住宅ローンの借入残高をゼロにして、家族の住居を確保することができる保険) 実際問題、正社員とは
年が明けて早1か月。 早すぎる。 20代でこの時の流れなら、30、40代になったらどれだけのスピードなのか。 ところで。 前回、愚痴をぶちまけたが、 年末、 自閉症スペクトラム、最重度知的障害、強度行動障害 の妹が荒れに荒れており いつも通院している病院から、婦人科受診(決まって生理前に荒れるので)を勧められ、 低用量ピルを飲み始めた。 生理前の大荒れはなくなり。 排卵痛もなくなり。(排卵日付近にお腹を強くさすっていた) 支援学校時代から今まで服薬していた4
家の中でも、店の中でも、どんなに人目があっても 他害行為は止められないようだ。 人目があるとき、やり返したいのを、グッと抑える。 家の中だと、やり返しているかもしれない。 母は、怒った。 今まで家の中ではあったが、初めて公共の場で、母は叩かれた。 即座に家に帰り、帰ってからも火は消えなかった。 床に頭を打ちつける。 食器をテーブルに強く叩きつける。 服薬していても、落ち着かない。 何を制御しても不穏になる。 「施設放り込みたいわ」 母は何度もそう言って
私は、発達障害ではなかろうか? -「君、ASDだね」 実習が終わってからも悩み続けたこと。 指摘されたのなら、本当にそうなのかも。 あらゆることが整理されていって、この事だけが片付かないままだった。 このままでは一生の悩みになってしまうと、通っていた心療内科でそのまま相談をした。 「じゃ、受けてみる?」 結果がきた。 やっぱり、そうだった。 知能には問題ない、むしろなんか微妙に変に高いことは分かっていたが、 あるASDの検査で、33点以上が自閉傾向が高いと
国家試験を控えた最後の大切な年。 そんな時期に脅かされたのが、コロナウイルスの流行だった。 軽音楽部のイベントも飲み会も、個人的に楽しみにしていたライブも、4年の実習も、全て白紙になった。 そんな時に、うちの事業所は対応に追われ、忙しかった。 子供相手の仕事である。 皆学校が休みになり、朝からの対応。 今までとガラリと変わった。 大学はオンラインに切り替わり、卒業論文や国家試験対策。 この先の見通しも立たないまま、課題を永遠に出されている。 周りでは、バイトが
そこからは、フル単強要の学科と部活とバイト2つ(うち1つは母の会社)の大学生活を順調に過ごしてきた。 大学3年冬。県外の6週間実習。 朝7時に下宿先を出て、実習のためだけに買ったチャリぶっ飛ばし、実習へ向かう。 昼休憩が2時間と長かったので、その間に帰って風呂に入ることもあった。 終了は早くて19時、遅くて21時を回った。 そこから課題のデイリーを仕上げるのに3時間はかかる。 実習後半からは症例報告書も重なる。 毎日毎日、真っ赤な添削、助言、ダメ出し。 1時に
無口だった 幼稚園の頃くらいから、喋らなかった。 やっと口を開いたかと思ったら、「…うん。」 緘黙に近かった。 俗に言う"陰キャ"だった。 髪型も相まって、「野口さん」と呼ばれていた。 中学では、周りの言動に流され問題児扱いされ、反省文を2度書かされた。 先生の会議室での尋問の内容がテンパって頭に入らず、無言だった。 この頃家族の関係も、良くはなかった。 中1の終わり頃、母が会社を立ち上げ、忙しくしていた。 高校入学とともに、父は家を出た。 父もまた、無