戦争について考える

毎年夏になると、日本に生まれ、日本人としてのアイデンティティを持った1人の人間として、この事をちゃんと考えなければと改めて思います。

戦争の加害国として、原爆を投下された唯一の国として、あらゆる立場であらゆる人々の死とそこにある人々の思い出と歴史の地続きの上に私たちが生きていることを改めて思い出すようにしています。

そして、あの歴史を繰り返さぬ未来への選択を私達はきちんと出来ているのかを考えます。
ただ、いつも考えていて思うことは、偶発的な何かはただのきっかけであって背後にあるものは意図されたものであれば、結局私達の小さな選択で変わってゆく未来を信じることなど私にはできないということです。

ですが、私達は未来に教訓としてのこの思い出と歴史をきちんと紡いでいかなくてはいけないと思います。
そこで、私が危惧するのは今後分かりやすい物語ばかりが残ってゆき、それの全てが被害記録になってしまう事です。
伝えるべき核の部分は、その場に起こった出来事と背景であって、そして、再度それを繰り返さない為の思考力と、民意という抑止力を発揮する為の個と個の行動だと思います。

新しい戦前と言われることもある今。
もし今後、ある国があの時の日本のように突き進んでゆくことがあった時、今度は日本があの時のアメリカやイギリスのような方法で介入する事をせず、きちんと未来の選択をすることができるのか。
白熱する民意とそこに乗っかり民意を煽り立てるマスコミとそれに流されてしまう政府ではいけないと思うのです。

いつもこの事を考える時思い出すのは、私の大好きな漫画の「夏のあらし!」で、最後に方舟で主人公がみつける、店長の手紙です。
私は、この本に出会わなければこんなこと考えもしなかったし考えるようにはならなかったと思います。

いつだって美しい物語が好まれます。

私が教えられた歴史も、私が本や他媒体を通して見たことも聞いたことも、そこに絶対的な正しさも真実もないと、あらゆる目を通して見られた事やものには湾曲された真実があると言う事をきちんと理解してみなければいけないと思うんです。
そして、ただそこにあった湾曲された真実でさえも受け止めて未来へと紡いでいかなくてはならないと思います。

そして、ちゃんと私は選挙に行こうと改めて思うのです。

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