見出し画像

その転職、ちょっと待った

私の所属する会社は転職していく方、中途入社の方が非常に多い。
IT系の業種は総じてその傾向があるのだろうと思う。

最近は転職も割と一般的ないし現実的な選択肢として、誰の視界にも入るようになったように思われる。私も現職は転職組だ。

したがって、転職自体については私は悲観的ではない。
むしろ、特に専門的なスキルを持った人々にとっては、待遇が上がり、さらなる挑戦の機会も得られる素晴らしい仕組みだと思っている。

ただ、転職という仕組みの利点と、特定の転職の良否は直接結びつくものではないのではないかとも思う。

転職・派遣といった人材ビジネスが隆盛し、それを勧める広告や論評が増えたと思うし、事実として市場規模はコロナの時期を除けば右肩上がりである。

しかし、だからと言って、それに乗っかることが転職の成功を保証はしない。

短絡的に今の職場が嫌であり、次の職場に夢見がちとなって辞めるのは良いことなのだろうか?

もちろん、心身を壊すような環境であれば、今すぐ対処が必要であり、それはむしろ短絡的であることが重要ですらある。

しかし、中にはどこへ行っても続かない人がいるように思うし、その人は転職の度に同じような不満をいただいているように思う。

ありていに言えば、そこでは自分との向き合い方が足りないように思う。すなわち、自己分析と理想の直視である。

転職は、何かしら今の環境に不満があって行うと思う。もちろん、グラデーションがあり、ポジティブな転職と評価されるものもあるが、それも結局は何かが足りないからそれを埋めるために移動するのではないだろうか。

今評価されない、今苦しい、今伸びしろがない、今理想像とギャップがある。

なんでもいいのだが、何かが足りないのではないだろうか。

さて、この不満を見つめたとき、それはどのような不満なのだろうか?

  • 職場に起因することなのか?

  • 自分に起因することなのか?

  • 理論的に存在しうるものなのか?

  • すべてが同時成立するものなのか?

職場に起因するなら、職場を変えれば不満は消えるだろう。しかし、自分に起因することならどこの職場でも起こり得ることだ。特に人間関係の問題は、どこの職場でも一定規模を超えれば多様な人がおり、合わない人も一定数出てくる。

そういう、自分側の問題、現実の解釈や問題整理・対処法。自分に足りないことは本当にないか、振り返ってからでも遅くはない。あるいは、仮に転職が決まっているとしても、次はもっとうまくやれるだろう。

また、理想の職場というものがそもそも存在し得るのかも考える必要がある。

理想の経営者、理想の事業、理想の組織、理想の仕組み、理想の上司、理想の同僚、理想の部下。

人間は業が深く、何一つ不満がなければそれはそれで飽きるのだ。あるいは、それほど素晴らしい場所に受け入れられるだけの人間性を自分は持っているのだろうか。

皮肉なことに、理想の上司の下では優秀な部下は育たないことがある。

優秀な上司の下で自分は最大限力を発揮し、成長する機会がないかもしれない。逆に怠惰に過ごしたいと考える人と理想の上司は折り合いをつけて、面倒を見てくれるだろうか。

放任と裁量的は紙一重だし、整っていることと堅苦しさも表裏一体だ。

理想は本当に理想だろうか。それは完璧であるということなのだろうか?

結婚相談所で言われることに、普通を組み合わせていくとほとんど存在しないような人になる、というものがある。

〇〇cm以上・以下の身長で、年収は〇〇万円以上で、話を聞いてくれて、予定があって、気立てがよくて、年齢はいくつで、結婚歴がなくて、長子ないし末子でなく、、、、

一つ一つが仮に平均であったとしても、組み合わせると数が減る。

入社は結婚に例えられることがあるが、結局のところ他人を変えることはできないし、完璧なものもおそらく存在しない。

では、何をあきらめ、何を必要とするのか。この優先順位を決めない限り同じことを繰り返してしまうのではないだろうか。

仕事は、人生の一側面のはずだが、自分とは切り離せない一部でもあると思う。

だから、自分自身と向き合うことなしにきっと上手くはいかないのだろう。

補足
そもそも、新しい人間関係のストレスや仕組みの理解も多いから、今理解している場所を離れてまでやることなのかの比較検討も必要だと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?