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韓国代表 レジェンド完全格付け

noteずっと放置気味でどうしようかなと考えていた最中、『中国代表 レジェンド完全格付け』がとても面白かったので、今回は同企画を丸パクリしました!(すみません!)
どうぞ暇なお時間に拝読してみて下さい。

それではいきましょう!

10位:ファン・ソンホン 황선홍(Hwang Sun-hong FW):103試合55得点[1988〜2002]

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1968年忠清南道礼山郡出身。日本ではセレッソ大阪と柏レイソルでプレーしたことで知られている。1990年のイタリアワールドカップから2002年の日韓ワールドカップまでワールドカップ4大会を経験し、“コウノトリ”の愛称でファンから長く愛された。34歳で挑んだ日韓ワールドカップでは、グループリーグ初戦のポーランド戦で先制点を挙げて、韓国大躍進のスタートを牽引した。しかし、結果的にこの大会ではイタリア戦でのザンブロッタの脚破壊シーンの方が悪目立ちしてしまった。現役引退後は、現役最後に所属した全南ドラゴンズで指導者デビュー。昨季途中まで大田ハナシチズンの初代監督として指揮を執っていたが、成績不振でシーズン途中に辞任した。

9位:キム・ジュソン 김주성(Kim Joo-sung MF):76試合14得点[1985〜1996]

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1966年江原道襄陽郡出身。1986年のメキシコワールドカップに弱冠20歳で出場し、その後1994年のアメリカワールドカップまで3大会連続出場を果たした。90年代の韓国代表のスター選手で、IFFHS(現AFC)が選ぶアジア年間最優秀選手賞を3年連続で受賞した。1992〜1994年に在籍したドイツ・VfLボーフムでの活躍が有名だが、キャリアのほとんどを釜山ロイヤルズ・釜山アイコンズ(現釜山アイパーク)で過ごした。釜山アイパークはキム・ジュソンが背負った背番号16を永久欠番にしている。現在はKFAの事務総長を務めており、現役時代のトレードマークだった長髪からすっかり寂しい頭に…。

8位:ユ・サンチョル 유상철(Yoo Sang-chul MF):124試合18ゴール[1994〜2005]

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1971年ソウル特別市出身。韓国サッカーが誇るユーティリティプレイヤー。もともと守備的MFのポジションを主戦場としていたが、攻撃的MF、FW、CBなどGK以外のポジションを円熟に熟すことができる。ワールドカップは2大会(1998年フランス大会、2002年日韓大会)を経験しており、特に日韓大会では韓国のベスト4進出の偉業に大きく貢献。ユ・サンチョルはこの大会のオールスターチームに選出された。現役引退後はKリーグで指導者の道を選択。2019年、シーズン途中に低迷する仁川ユナイテッドの監督に就任。しかし、同年10月にステージ4の膵癌であることが発覚し、現在も闘病中。韓国や日本など国内外から彼を応援する声が多く寄せられている。

7位:イ・ウンジェ 이운재(Lee Woon-jae GK):133試合0得点[1994〜2010]

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1973年忠清北道清州市出身。韓国サッカー史上最高のシュートストッパーの呼び声高いGK。優れた反射神経を武器に、PKストップで数々の名場面を作った。韓国代表として4度のワールドカップを経験しており、特に2002年の日韓ワールドカップでは神業のようなセービングショーを毎試合披露。韓国のベスト4躍進を後方から支えた。2007年アジアカップ・インドネシア大会期間中の宿舎無断離脱・飲酒事件(後1年間の代表資格剥奪)がなければもう少し代表のキャップ数を伸ばせたはずなのに勿体ない。。現役引退後はバルセロナでの指導者研修を経て今季から全北現代のGKコーチに就任。現役時代のほとんどを過ごした水原三星に戻らなかったことは、周囲をかなり驚かせている。

6位:キ・ソンヨン 기성용(Ki Sung-yueng MF):110試合10得点[2008〜2019]

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1989年光州広域市出身。2011年アジアカップ・カタール大会での“猿真似”で日本ではすっかり印象が悪くなってしまったが、韓国では今尚ソン・フンミンと並ぶ人気選手。スコットランドの名門セルティックに入団以降、スウォンジー・シティやニューカッスル・ユナイテッドなど主にイギリスで活躍した。昨季古巣のFCソウルに復帰したが、母国復帰後は父の逮捕や少年時代の性暴力騒動に巻き込まれてピッチ外が忙しい。それでも最近復調し、主将としてチームを牽引している。実家が「超」がつくほど裕福で、中学時代に語学力向上を兼ねてオーストラリアにサッカー留学した経験がある。

5位:イ・ヨンピョ 이영표(Lee Yong-pyo DF):127試合5得点[1999〜2011]

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1977年江原道洪川郡出身。名実共に韓国サッカー史上最高の左サイドバック。果敢なオーバーラップと無尽蔵のスタミナを武器にPSVアイントホーフェン、トッテナム・ホットスパー、ボルシア・ドルトムントなどの欧州のビッグクラブで活躍した。代表での活躍は日韓ワールドカップ・ポルトガル戦での2アシストの活躍が語り草。代表キャップ数は歴代韓国代表で3番目に多い127キャップだ。現役引退後は辛口の解説者として有名に。日本で言うと戸田和幸とセルジオ越後を足して2で割ったイメージ(?)。ベンチャー企業の経営をしながら今年から自身の故郷・江原道に本拠地を置く江原FCの会長に就任している。

4位:ホン・ミョンボ 홍명보(Hong Myung-bo DF):136試合10得点[1990〜2002]

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1969年ソウル特別市出身。自他ともに認めるアジアサッカー最高のDF。リベロタイプのDFで、鋭い読みのディフェンスに加えて卓越した攻撃力とミドルシュートが自慢の選手だった。ワールドカップには合計4回の出場を果たし、2002年の日韓ワールドカップでは主将として韓国のベスト4進出に貢献した。Jリーグのベルマーレ平塚、柏レイソルに在籍歴があり、選手として国内外の複数クラブでプレーした中でも、柏レイソル時代が最も情熱を注ぐことができたと後に回想している。現役引退後は韓国代表監督や中国の杭州緑城の監督を歴任し、今季から昨季アジア王者の蔚山現代の監督に就任。監督業以外では「ホン・ミョンボ財団」を設立してサッカー教室支援や若手選手への奨学金支援などを行っている。

3位:パク・チソン 박지성(Park Ji-sung MF):100試合13得点[2000〜2011]

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1981年全羅南道高興郡出身。2002年の日韓W杯以降、約10年ほど韓国代表を牽引したアジアのスター選手。J2リーグの京都パープルサンガでキャリアをスタートさせたパク・チソンは、以降PSVアイントホーフェン、マンチェスター・ユナイテッドなどで活躍。特に2005年から2012年まで在籍したマンチェスター・ユナイテッドでは、英プレミアリーグ、UEFAチャンピオンズリーグ、FIFAクラブワールドカップなど、合計13個のタイトルを獲得した。現役引退後はマンチェスター・ユナイテッドの公式アドバイザーにアジア人として初めて就任。KFAの役員を経て、今季から全北現代のテクニカルディレクターに就任。現役時代含めてこれが初めてのKリーグ入りとなった。ちなみに、現役時代共にプレーした選手の中で尊敬している選手は「ポール・スコールズ、ライアン・ギグス、三浦知良」だとか。

2位:ソン・フンミン 손흥민(Son Heung-min FW):89試合26得点[2010〜]

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1992年江原道春川出身。現代表の絶対的エース。ハンブルガーSVの下部組織出身で、バイヤー・レバークーゼンでの活躍を経て2015年から英プレミアリーグのトッテナム・ホットスパーに移籍。イングランド上陸以降は常にワールドクラスの活躍を続け、英プレミアリーグでのアジア人最多得点記録を更新中。2019年には、チャ・ボムグンが保持していた欧州でプレーするアジア人選手の最多得点記録を更新した。ただトッテナムでの活躍と比較して代表での成績はやや劣る。格下相手に本来の力を発揮できないときがある印象。今回のランキングでは、今後の代表での更なる活躍を期待!ということで2位に。

1位:チャ・ボムグン 차범근(Cha Bum-kun FW):136試合56得点[1972〜1986]

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1953年京畿道華城市出身。かつてドイツで“褐色爆撃機”と呼ばれたドイツ・ブンデスリーガ及び韓国サッカーのレジェンド。全盛期はアイントラハト・フランクフルトとバイヤー・レバークーゼンで活躍し、この2つのクラブでUEFAカップを1回ずつ、DFPポカールを1回優勝した。個人成績ではキッカー・ブンデスリーガの年間ベストイレブンに2回選出され、ブンデスリーガの歴代外国人選手最多得点記録(98得点)を10年間保持した。韓国代表としては、136キャップでホン・ミョンボと並び歴代キャップ数でトップ。しかも内100キャップは24歳までに達成したキャップ数だという。加えて代表での58得点は韓国代表歴代最多得点記録だ。現役引退後は1997年に韓国代表監督に就任。しかし、その後メディアの取材でKリーグの八百長を暴露し、KFAから5年間の懲戒処分を受け、その間中国のクラブで指揮を執ったりもした。2017年には韓国のスポーツ英雄殿堂入りを果たしている。

【番外編】

チェ・ジョンミン 최정민(Choi Chung-min FW):47試合22得点[1952〜1961]

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1930年現北朝鮮平安南道大同郡出身。幼少期から高校卒業まで現在の北朝鮮で育ち、北朝鮮の地でサッカー選手として名を馳せた。その後、朝鮮戦争が勃発し、1950年「1.4後退」のときに南側(現在の韓国)に逃れた。1952年に韓国サッカーの父キム・ヨンシクによって韓国代表に初招集されたチェ・ジョンミンは、日本との地域予選2試合で3得点を挙げて韓国のワールドカップ初出場(1954年)に大きく貢献した。その後は韓国代表のエースとしてアジア大会2大会連続銀メダル獲得(1954、1958)やアジアカップ2連覇(1956、1960)などを経験。現役引退後は陽地サッカー団の初代監督に就任し、1969年にはチームをACL準優勝まで導いた。1983年12月、53歳で持病の悪化により息を引き取った。

イ・ドングク 이동국(Lee Dong-gook FW):105試合33得点[1998〜2017]

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1979年慶尚北道浦項市出身。“ライオンキング”の愛称で親しまれたストライカー。1998年に高卒ルーキーとして浦項スティーラーズに入団すると、そのまま同年のフランスワールドカップのメンバーに招集された。しかし、以降は代表の常連メンバーに定着するも、なぜかワールドカップとは縁がなく、彼の場合どちらかと言うと代表よりKリーグでの実績が評価されている。特に2009年、イ・ドングクが30歳のときに入団した全北現代では、10年以上エースストライカーとして君臨し、全北現代で356試合162得点を記録。これまでKリーグ年間MVPには4度選出され、ACLの歴代最多得点記録を保持している。昨季2020年に現役を引退し、最近はテレビ番組で見かけることが多い。彼の2人の娘さんがかなり有名で、双子の長女ジェシちゃんはモデルの卵で次女のジェアちゃんは女子テニスの有望株なんだとか。

アン・ジョンファン 안정환(Ahn Jung-hwan FW):71試合17得点[1997〜2010]

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1976年京畿道坡州市出身。かつて「指輪の帝王」「テリウス」などの愛称で呼ばれ、美しい個人技と正確無比の右足、そして甘いマスクで多くの女性ファンから人気を博したアタッカー。Jリーグの清水エスパルス、横浜F・マリノスでもプレーし、日本のファンからも高い人気を得た。韓国代表では日韓ワールドカップで主力として活躍し、韓国のベスト4進出に貢献。同大会アメリカ戦での“冬季ソルトレークシティ五輪での判定”を皮肉ったゴールパフォーマンスは国内外で物議を醸した。現役引退後は主に解説者の仕事を中心に多くのテレビ番組に出演。しかし、2018年ロシアワールドカップにて「日本は醜く16強入り」発言で炎上、先月の日韓戦にて「腹が立つし残念だ、日本と実力差はないのに」で炎上。解説者としても評判悪く、どことなく城彰○さんっぽいなと思う。

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