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地下で育てる江戸っ子の楽しみ「東京うど」【東京都立川市】

今回は前回の岩手県陸前高田市からのしりとりで、東京立川市とその名物についてご紹介します。

東京と言われれば都心にばかり注目がいきますが、その他の街にもたくさん名物や魅力はあります。

立川市には江戸時代から江戸っ子が初ものを楽しみにしていた野菜がありました。


立川市ってどんな街?

東京都立川市は東京都の中心よりやや西側、多摩地域のほぼ中央に位置する街です。

江戸時代までは甲州街道と五日市街道沿いの小さな村でした。
明治以降になり発展を遂げ、今では便利で賑やかな街へとなっています。

人口は約17万5千人。

中心部は多摩地方の中でも随一の賑わいを見せつつ、周辺部には緑豊かな記念公園もありとてもバランスの良い街です。


江戸っ子の楽しみ「東京うど」

立川市で有名なのが「東京うど」と呼ばれる“うど”です。

“うど”はタラの芽などと同じウコギ科であり、日本原産の植物です。

“うど”の国内での栽培は元々京都付近が発祥とされ、そこから今の愛知県や三重県方面に広がり、江戸時代後期に江戸にも広まりました。

江戸では初ガツオなどと同じように初ものを楽しみにする方が多かったようです。

当初江戸では武蔵野や小平などで栽培がされていました。

その後武蔵野で行われていた「室」と呼ばれる地下での栽培には立川市の地質が向いているとされ、昭和30年頃からは立川市での栽培が盛んになります。

江戸時代から江戸っ子に愛された“うど”は、その後「東京うど」と呼ばれるようになり立川市の名物になります。

今では立川市では、うどが突然変異で怪物になった「ウドラ」というゆるキャラと共に愛され続けています。


地下での栽培

うどは大きく分けて「山うど」と「軟化うど」の2種類に分けられます。

「山うど」はそのまま山で育ったもので、うど本来の緑色をしています。

それに対し「軟化うど」は日光を遮り光合成をさせないことで、色が白く、柔らかさとエグ味がないうどになります。

元々は武蔵野地方などで畑に盛土をすることで日光を遮っていました。

しかしそれではうどの栽培に適した温度である17°〜18°の温度を保つことが難しく、それで考案されたのが「室(むろ)」と呼ばれる地下に掘った穴での栽培です。

地下で栽培することで日光も完全に遮りつつ温度も安定して保つことができるようになりました。

そして立川市の地質はこの「室」を作るには適しており、粘り気のある粘土質の土が崩れにくく手入れの必要が少ない「室」を作ることができました。

ちょうど時代は養蚕業が衰退していく頃で、養蚕を辞めて“うど”の栽培に転向した農家さんが多かったのも、うど栽培が盛んになった要因です。

現在では都内で“うど”は立川市と小平市と国分寺市で作られていますが、生産数では立川市がダントツで多いです。


“うど”を使った料理

立川市で作られる“うど”は山うどに比べアクが少なく、歯触りもシャキッとしています。

食物繊維も豊富であり低カロリーのため、ダイエット食としても向いています。

実は「東京うど」は穂先、茎、皮までほとんど捨てることなく食べることができます。

生でも食べることができるため、皮を剥き短冊状に切ったものを酢水に浸けてアク抜きをすれば、サラダや酢味噌和えにしても美味しいです。

味噌汁などの汁物にしたり、鍋で煮込んでも良いですし、
天ぷらにするとサクサクとした味わいになります。

向いた皮はそのまま水に浸けてアク抜きをした後は炒め物などにして楽しむことができます。

“東京うど”があれば炒め物とサラダと味噌汁などで一通りのおかずが揃ってくれます。


贈答用にも!「立川こまち」

東京うどはそのままだと持ち運びしづらいほどの長さがあります。

その「東京うど」を短くしたものが、
「立川こまち」です。

茎が短く、お値段も手頃で、贈答用にはぴったりのサイズになっています。



今回は東京都立川市と、その名物である「東京うど」についてご紹介してきました。

立川市にはまだ紹介しきれていない魅力がたくさんあります。

ぜひ調べてみてください。


次回は立川市からのしりとりで、「わ」から始まる街とその名物をご紹介します。

ここまで読んで頂きありがとうございます。

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