見出し画像

私の不幸の順番はいつ来るんだろう

年始の地震、飛行機追突事故、自動車事故や殺人事件、有名人の訃報や闘病生活の報告。

アンハッピーなニュースを見ていつも思うのは

「私の不幸はいつやってくるのだろうか」

ということ。


今回の事件事故はたまたま私じゃなかっただけで、誰の身にも起こりうること。いつか私の順番が来るのかなと思ってしまう。

そう、たまたま私じゃないだけ。


皆が皆、事故や災害に巻き込まれるとは限らない。事故事件に巻き込まれず、大きな病気にもならず、天寿を全うする人もいる。これは運がいいのか確率的にそういう人が一定数いるのかよくわからないけど、ずっと恵まれてる人っているよね。

皆に均等に幸運と不幸が割り当てられるわけではない。私もずっとこのまま平凡に暮らしていけるかもしれない。順番なんてあるはずがない。

そうわかってはいるけど、頭の隅で「私の不幸の順番はいつなんだろう?」と考えてしまう。


◇◇◇

この思考に至ったのには、きっかけがある。

中学2年の時に父親が亡くなった。
人生のどん底は?と聞かれたら、間違いなく中学2年生の夏が一番のどん底だったし、それから数年は人生ずっと低空飛行だった。

人間ってね、本当にどん底になった時の記憶ってなくなるんだよね。あの頃どうやって毎日過ごしてたか全然記憶にない。母・妹と泣いたり、言い合ったり、支え合ったり、なんとか生きてきたんだと思う。

そんな時「なんで私のお父さんなんだろう?」と何度も思った。そして行き着いた思考が「みんなに不幸が順番に来るんだな、今回は私の番だったんだ」というもの。そうやって自分に言い聞かせないと乗り越えられなかった。


最近の私はというと、恵まれている。

事故にも遭わず、病気もなく、愛する家族も元気で仲良し。祖母の死はあったが、年齢考えると仕方ないことだったし、祖母の死を不幸だとは思わなかった。



イメージとしては
父の死以降の私は幸福ポイントを積み重ねていて、幸福ポイントでパンパンになった風船のようなものがバンッ!と弾けた時、これまでの幸せが弾けて一気に不幸に落ちていくんじゃないか。

そんな妄想をしてしまう。

要は幸せになればなるほど、落ちる時が怖いのだ。それが不慮の事故とか、災害だったらと思うともっと怖い。治らない病気になったらどうしよう。

次のどん底はいつ来るのか。
次の私の不幸の順番はいつ回ってくるのか。

◇◇◇

世の中のたくさんの死を伝えるニュース。毎日のように目にする【死者〇〇名】という数字。数字で表現されるとどうしても死が薄れてしまい、実感が沸きにくい。

当たり前だが死者1人1人にストーリーがあって、愛する家族や友人がいるはず。でも、なんとなく遠い話のような、ドラマでも観てるような感覚になる。


本人達もまさか自分が!と思っていただろう。どんな気持ちだったんだろう。死人の話は聞けない。


今日も私は生きている。

毎日生きてることに感謝する…なんて気持ちはつい忘れてしまうけど、アンハッピーなニュースを見たときだけでも、生きてることに感謝することを心掛けよう。


不幸の順番妄想なんてしてないで、毎日を大事に生きる努力をしていきたい。


最後まで読んでも頂き、ありがとうございました。

よろしければサポートお願いします。いただいたサポートは、コメダ珈琲代にして手帳時間を楽しみます♪