「幸せにならなくていいんだ」と気付いたらホッとした
当たり前を疑い、一から考え直すことが好き。丁度いい暇つぶしになるし、改めて考えることで新しい発見があるのが楽しい。
私はこれを「日常を哲学する」と呼んでいる。
今回は【幸せ】について。
私の頭の中が駄々漏れで、何言ってるの?って感じなのですが、これを読んだ方が幸せについて考えるきっかけになればいいかなと思い、頭の中を曝け出してみます。
◇◇◇
「何気ない日常から幸せを感じる」
「小さな幸せ集め」
暮らし系YouTubeとかInstagramが好きな私はこういう言葉をよく目にする。
暮らし系発信に限ったことではないかも。
なんだか活気がない最近の日本。バブル期のように派手な幸せは望めず、慎ましく、小さい幸せを集めて生きていこうというムーブが、庶民に広まっているように思う。
そんな時代において、何気ない日常から幸せを探せる人を羨ましいと思っていた。なんか、心が豊かな感じがして、素敵だなと思って。私も何気ない幸せを感じられる人になりたかった。自分の中に幸せ軸が真っ直ぐある人になりたかった。
実際の私は隣の青い芝生ばかりを見ては幸せそうな人を羨ましがったり、逆に自分より不幸そうな人をみて安心したりといった具合。
人と比べることで自分の幸せが上下する。
この性格はなかなか変えられなかった。
そんなことを考えている時、ふと
「人は幸せにならなきゃだめなのだろうか?」
という疑問が湧いてきた。
ここからもう少し幸せを深掘りしていく。
日常を哲学する。
◇◇◇
幸せについて考えた結果、
人生の目的は幸せになることではない。
だから幸せにならなくていい。
という結論に至った。
人生は幸せを目指して歩んでいくものではない。
目指すものはもっと他にあるはず。
例えば、大好きな人と一緒に過ごしたいから結婚するわけであって、幸せになりたいから結婚するわけではない。
大好きな人と一緒に過ごした結果、幸せというおまけがついてくる。
私にとって幸せはそんなイメージ。
他にも
推しを全力で推したいとか
旅行を楽しみに日々の仕事を頑張りたいとか
子供のやりたいことを応援したいとか
マイホームを建てて家族で快適に暮らしたいとか
幸せ以前にもっと具体的な目標が人それぞれあるはず。目標に向けて全力で取り組んでたら、いつの間にか幸せがついてくるんじゃないかな。そうだといいな。
ぐるぐる考え
幸せが人生の目的ではないと気づいた時
「じゃあ、幸せにならなくてもいんだ」
と思いなんだかホッとした。
上手く言語化できないんだけど、幸せかどうかの物差しで人生を測るという考えを手放せた感覚。
全力で人生を進めていければ、幸せかどうかなんてどうでもいいんだな。そういう気づきを得られた。
◇◇◇
この記事書くのに5日かかった。
何を言いたいか何度も迷子になって、何度も添削して、やっと書き上げた文章はペラペラ。悲
頭の中を書き出すって難しい。
言語化って本当に難しい。
もっと文章が上手になりたい。
またひとつ人生の目標ができた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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