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マヤのピラミッド(1030文字)

この景色は、きっと太古の昔から変わらない風景なんだろうと思うと、胸にジーンとくる感動を覚えた。目の前に広がる緑の濃淡だけのジャングルは、全く人の気配を感じさせない。これが素の地球なんだ。しばし無言の時間。マヤのピラミッドの頂上で、悠久の時に思いを馳せた。

メキシコ・ユカタン半島の真夏はかなり暑い。それでも、ピラミッドの頂上から見る広大な景色をもう一度見たかった。暑さでとろけてしまいそうになっても登りたい。

しかし、以前に登ったチチェンイツァーのピラミッドは、今は登ることが出来なくなっていた。落下死亡事故があったと何かで読んだ。それで、2018年の夏、2回目のピラミッドはコバ遺跡で登ることにした。

チチェンイツァーのピラミッド
今は下から眺めることしか出来ない

コバの崩れかかったピラミッドを一段一段登っていく。荒削りな石段の傾斜は急ではあっても、目の前の視界は頂上へと続く階段だけで恐怖は感じない。ところが、半ばまで登ったところで後ろを振り返った瞬間、登ってきたことを悔いた。想像以上の急な階段。見下ろす視界に足が震えた。登った以上は降りなければならない。

チチェンイツァーに登った時、下りの恐怖はそれほどでもなかったのに…コバでは階段の中央を上から下まで貫くように設置されたロープが手放せない。まさに命綱。踏み外して地上まで落下したら、それこそ死亡事故になりかねないという要らぬ想像力が恐怖心を増幅させる。

コバのピラミッド
座っている人は、景色を見ながら休憩しているわけではない

見回すと「行きはよいよい帰りは怖い」で、登る人は立って歩いているのに、下る人は大半が座りながら一段一段降りている。皆、怖いのは同じなんだな。

ここからなら例え落ちても死ぬまい、そう思える辺りまで降りてきてやっと安心して足を前に出せるようになった。そして下まで降りてきて地に足がついた時、無事に生還できたことに胸を撫で下ろした。

なるほど、「地に足をつける」とはこういうことか。大地に立つ安定感。安心感。時には冒険して、今まで見たことのない景色に出会ったり、未知の世界でチャレンジしてみることは素晴らしいと思う。でも、それだけでは疲れてしまうし、心が休まらない。頑張ったあとには地に足をつけられる場所に戻って安らぎ、次なる冒険と挑戦に向けて元気をチャージする。人それぞれ、自分に合ったこれらのバランスを保つことで、また人生を積極的に謳歌し、前向きに挑戦し続けることができるのではないかと思う。

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