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仲良し四兄弟、四姉妹。

石原慎太郎さんが亡くなられた。昔はよくメディアにも出ていて元気なイメージがあったが、享年89。私の中では元気なイメージのまま旅立たれた。昨日も今日もTVではそのニュースの中で息子たち4人の会見が流れ、長男の伸晃氏、次男の良純氏、そして四男である延啓氏。
・・・あれ?三男は?と思っているうちに次のニュースに変わっていた。

伸晃氏は今は議員ではないけど元テレビ局勤め、良純氏は芸能人だから当たり前に放送されたとして、画家である四男の延啓氏の言葉まで放送されたのに三男の宏高氏の言葉は画面越しに放送されることはなかった。(もしかして現役の議員だから逆に放送できなかったのか?)実際の現場にいたわけではないから何とも言えないが、おそらくカットされたのだろう。

なぜ三男に興味があるかというと、私自身が四姉妹の三番目だからだ。
若草物語ではベス。細雪では雪子のポジション。
同性4人のきょうだいの3番目として宏高氏にシンパシーを感じているのだ。初めて四兄弟が揃うのを見たけれど、石原家の中での宏高氏の“キャラ”はどんな感じなのだろう。
ちなみに私は家庭内では静かなキャラ。
ふざける姉たちにツッコミをし、妹と遊ぶより一人で遊ぶこと、TVを観ることに集中しているような子どもだった。それが学校に行くと逆転し、友人たちの前では常にふざけ続け、笑いをとりにいき、授業中もハイハイ!!ハーイ!と積極的な明るい子どもだったと思う。
今でいうところの”陽キャ”と”陰キャ”を使い分けていた。
過去形にしたが、実は今でも変わらない。だからSNSは家族に入ってきて欲しくないという理由からブロック。いまだにしつこく申請してくる母親も、都度ブロックしている。(LINEグループではほぼ毎日連絡を取り合っているので不仲というわけではない。)

高校生の頃、同じように四姉妹だという同級生と同じクラスになり四姉妹あるある話に花を咲かせた際、彼女は長女だったので
「妹さん(三女)に訊いてきてくれない?私は家と学校でキャラが違うんだけど。」
と言ったら次の日
「うちの妹もキャラ違うんだって!!!笑」
と報告してくれた。やっぱりねーー!となぜか勝ち誇った気がしたのを覚えている。三番目はそうなのだ。知らんけど。(本当に知らない、わからないの意で。)

接客業をしていた時にも四姉妹のお話。
「あらあなた四姉妹なの?私も、四姉妹なのよ」とおっしゃるご婦人に
「お客様は何番目なんですか?」と訊ねると、
「私は次女。あなたは?」と逆質問。
「三番目です。^^」とこたえると、
「そうなの‥。私の妹(三女)は数年前に亡くなってね。今は三人なのよ。」
続けて、
「年齢順に結婚するとは限らないし、年齢順に死んでいくわけでもないのよね。長女は離婚して戻ってきたから親と同居してて実家で集まって今でも楽しく女子会やってるわよ」
帰り際には四姉妹仲良くね。と微笑みかけていただいた。

同じ親から生まれて血液型が全員同じでも、全員性格が違う。でも、きょうだいって同じ親を持っていることで波長はピッタリなんだよなぁ。
昔の記憶なので定かではないけれど、神田うのサンが結婚式のTV放送をしていて花嫁の手紙の中の言葉に共感して涙したことがある。
(確認したくてyoutubeなど、自分できる範囲で探したけど見つからなかった)

【結婚することはうれしいけれど、大好きな”神田家”というチームから抜けなくてはいけないことが辛いし、不安。もうあの楽しい日々がなくなる。】

そんな感じの内容だった。

おしゃべり好きの長女が定位置に座りコーヒー好きの次女がコーヒーを淹れ、家では陰キャの私よりもっと静かな妹と四人で授業参観にきた時の母親のあるある話や父親の天然エピソードを笑いながら夜中までリビングで語り合った日々。お風呂の順番待ちの時間だったのに、どんどん遅い時間になって結局一緒にお風呂に入ったり。。
母が大病を患った時も、父の事業が失敗した時もそうやって笑い飛ばしてみんなで支え合った。

子どもたちが大きくなった今、
時間の自由を手に入れたら戻らないと思っていた日々が戻ってきた。
結婚した時はもう戻れないと絶望していたけど
生きていれば、
変わらなければ、
アノ時間は戻ってくるものなのだ。
ご婦人のいう通りだった。

家族に心配をかけたくない一心で、
家族の前では自分を隠しがちな三番目。
宏高氏は抱えていないだろうか。
かなしい理由ではあるけれど四人が集まった今、
またと無い”時間”をどうか大事にしてほしい。
赤の他人のその人に勝手に思いを馳せ、
勝手にそんなことを思ってしまった。
知らんのに。
(本当に知らない、わからないの意で、)

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