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北の海 上下 井上靖         読書感想文 2021年2月4日

「北の海」は、「しろばんば」 「夏草冬濤」 自伝三部作の三作目と言うのは解説文で知った。他の2作も読んで見たいと思い、BOOKOFFで注文した。

さて、年代順で並べると「北の海」は一番最後で、大正15年、旧制高等学校一高を滑って、浪人した主人公の洪作の青春期となっている。
地元の沼津の町で、浪人中、暇なので卒業した中学校において、柔道をやり続ける洪作。彼がたまたま知り、何故か惹かれる北陸にある四高柔道部。
その柔道部のモットーが凄い。
「学問をやりにきたと思うな」
「柔道をやりに来たと思え」
「練習量が全てを決定する柔道を俺達は作っている」
3年間高専柔道大会で勝つために高校生活を送る。そして卒業したら、柔道を止めて大学へ行く。
この潔い生活、自分を律するというか、単純化、目的化された学生生活。それに興味を持った洪作は、浪人中の身ながら、柔道部の夏合宿に参加する。そして四高に入るため、勉強をするため、親のいる台湾へ旅発つ。

洪作の生まれ故郷で、墓参りしていたときに会った爺さんの言葉が印象的だ。
「ワシは思うんだが、人間という奴は、一生のうちに何かに夢中にならんとな。何でもいいから夢中になるのが、どうも、人間の生き方で一番いいようだ」
「柔道か、よりによって面白いものを選んだなぁ、親の脛をかじってやるなら、それもいいだろう、こんな所で子供と遊んでいるよりよかんべ」
親の金を使っても、夢中なっていれば、その生き方も是正する。
この青年達への寛容さは今の大人にあるだろうかと思う。

明治、大正時代の教師は口の利き方とか、大人であれという態度で学生に接していた。だから厳しく叱った。友達先生はいない。そして卒業した生徒とは、対等の付き合いをする。
今は何でも平等とかあるけど、人生には句読点とかケジメが必要と再度思う。
読後感は爽やかさしかない。単純化された生き方を出来るのは若い子の特権だな。

当時の高等学校
昭和前期は、中学校は4年(義務教育ではない)を卒業すると、旧制大学部への進学のため、その予備教育のための学校が旧制高校。つまり一高は東大の教育学部となっている。
ここに出てくる四高は、金沢大学となる。

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