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国立天文台(三鷹の天文台) 50年目にして初めての訪問 1 紅葉が素晴らしい場所の一面もあった。

<天文台との出会い
家は調布だけど、三鷹の天文台を初めて意識したのは、俺が小学生の頃だ。
50年以上前の話。ある日、親父が仕事帰りに、オートバイの荷台に段ボール箱をくくりつけていた。
「おい、ちょっとこい」
中を開くとカブトムシの雄が50匹以上、大きな雄がうじゃうじゃいた。
「どうしたの?」
「天文台の外灯に飛んでくるのを獲ってきた」
「すごい、俺も行きたい」
「お前、一人では危ないから行くな、まむしがいるし、野犬もうろついているし、追いはぎもある」
そんな真っ暗な闇と空が綺麗だった三鷹市大沢の高台に、俺が生まれる前から三鷹の天文台があった。ここは日本の国立天文台の本部。
その後、親父につれて行ってもらうこともなく、俺は大きくなり、大人になっていた。

<スターウォーズのような

住んでいる場所のまわりには、JAXAもあり、飛行場もあり、当時はアメリカの基地もあり、そこから、飛行機、ロケット、宇宙へと興味を持つ子供になり得たかもしれないが、俺はそうはならなかった。

そして月日は経ち、2020年、このコロナ禍だ。
自粛中に俺はたまに散歩をした。そんなある日、新しい散歩コースを妻と歩いていると、高台へ出た。遠くに富士山と丹沢山系が見える。いい場所だ。
その道の後ろに柵があった。どこかの敷地だろう。よく見ると木々の合間ににスターウォーズのレーザー砲ような構造物が見えた。
「そうか、ここは三鷹の天文台だ」
そこで天文台のキャンパスの門まで行ってみた。
「コロナで見学中止」
だろうね。

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レーザー砲みたいだね。その高台からは丹沢山系と富士山が見える。実際は太陽フレア望遠鏡。太陽を狙っている。

<50年目の訪問
考えてみれば、三鷹の天文台の敷地に足を踏み入れたことは一度もなかった。このコロナ禍で、なかなか閉鎖が解除されなかったが、ようやく見学が可能となり、生まれて初めて訪れた。そう50年目の訪問だ。
土曜日は下見、日曜日は妻と訪れた。見学施設の屋内に入るのはまだ禁止されていた。

歴史的には、大正3年から麻布にあった東京天文台(当時)が大正13年までに三鷹に移転した。そして大正15年に東京帝国大学が観測ドームを完成させた。ここから三鷹の天文台の歴史が始まっている。
帝都防衛の要の調布飛行場を見下ろす場所にありながら、アメリカの爆撃を逃れて、色々な古い施設が現存している。建築的な面でも面白そうだ。
とにかく、身近でもブラックボックスの場所だった。
まずは、昔の三鷹の植生がここには残っているので、それから話を始めよう。

<想像以上に綺麗だった
まだ、紅葉が残っており、竹林も多く。桜の大木も多く残っていた。ある種の庭園みたいな植生とケヤキとか雑木林があった。昔の武蔵野の面影もある。50年前はカブトムシがぶんぶとガス灯とかに飛んできていたのだろ。

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ケヤキとかコナラなどの三鷹によく見る植生だ。東京府三鷹村 近藤勇が歩いていても不思議ではない。

ここは、ススキ野原で、構造物の跡があった。高い鉄塔があったらしい。

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桜や楓、京都や鎌倉を思い起こす、竹林と楓、桜と梅。ある意味、散歩の達人的に言えば、ものすごい穴場だ。
三鷹で秋の紅葉を感じてもらいたい。

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ほとんど人が入らないのか、余り知られてない。竹林の秘密。

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続く。

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