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自由を愛した芸術家の人生『ムーミンとトーベ・ヤンソン』

ムーミン、と聞いてどういうイメージが湧くだろうか。子供向けのアニメで人気になり、キャラクター商品もいっぱい発売されているキャラクター……というところが一般的なのでは。

ご多分に漏れず私もそういう認識だった。なにやら小難しいことやわがままを言い出すムーミンたちのアニメを見て、普通のアニメとは違うと思ったものの、その違和感を突き詰めずに成長した。

ビッグイシュー日本版 No.470号の巻頭特集はトーベ・ヤンソン。昨年末から公開されている映画「ムーミンパパの思い出」にあわせたものだった。

読んでみたら作者であるトーベ・ヤンソンの人生が想像以上で、彼女についてもっと知りたいとなってしまった。そこで手にとったのが『ムーミンとトーベ・ヤンソン』。

父は彫刻家、母は画家でありデザイナーの芸術一家に生まれたトーベ。生まれながらにして描く環境があり、幼いころからずっと絵を描いて過ごす子どもだったとか。初めて雑誌に自分の挿絵が掲載されたのは13歳のとき!そのイラストも収録されていますが、とても13歳とはおもえない、しっかりとした線と構図。

絵の才能と尽きない想像力をもった少女は、その後も依頼にこたえて絵を描き続けます。しかし順風満帆ではありません。美術学校へ進学すると「絵画的ではない」、商業的すぎる作品だと評価されてしまいます。トーベが描きたいものはひとつで、それが作法に則った絵画か雑誌のための挿絵かなんて、どうでもよかったことでしょう。

そして戦争がフィンランドに重い影を落とします。トーベが絵だけではなく物語を書き始めたのはソ連がフィンランドに侵攻した冬戦争のころ。フィンランドはソ連に割譲した領土を奪還すべく、第二次世界大戦に参戦していきます。『ムーミン谷の彗星』はこの戦乱をファンタジーに置き換えた作品といわれています。

一番驚いたのは、トーベが同性愛者だったこと。フィンランドでは1971年まで同性愛は違法、その後81年まで精神疾患に分類されており、両親はそのことを受け入れてくれなかったらしい。セクシュアリティの問題で社会にも家族にも拒絶されたような気持ちになっただろうし、フィンランドの情勢、仕事上の悩みなども表現されていると言われているムーミンシリーズ。答えの出ないような問いが物語の底を流れているのだから、「ちょっと変わった話」と子どものころに感じたのは当然だ。

もう一度ムーミンシリーズを読み返してみようと思う。

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