見出し画像

レオノーラの髪型

5年ほど前に主催公演で
ヴェルディの「トロヴァトーレ」を上演した時の話。

レオノーラ役のソプラノが
4幕牢獄の場面において
それまでお団子にしていた髪を解き
長い髪を流したままの姿で
舞台に登場していた。

公演の幕が上がる前の舞台袖で
一応チェックはしていたのだが、
その時は髪をきっちりとお団子にして
その上に帽子とヴェールを被っていた。

3幕まではそのスタイルで通していたのだが、
4幕ではフードつきマントを被る都合で
帽子を外すことになっており、
その時に結っていた髪も解いてしまったらしい。

後悔しても後の祭り、
来場された観客の反応は良かったが
私にとっては臍を噛む公演となってしまった。

※ ※ ※ ※ ※


ちなみにこの時代(この時代だけではないが)、
きっちりと髪を上げて結っているか否かは、
生まれや育ちを如実に表すことになる。

良家の子女はもちろん
隙なくかっちりと結い上げる。
結った髪を解くのは寝る時だけ。

髪を結いも縛りもせず、
生(き)のままにして人前に晒すのは、
素っ裸で人前に出るのと同じ。
それができるのは、
頭のおかしい狂女か、
もしくはセックスを商売にする売春婦のみ。

だからルチアが狂乱の場で
髪をおろしているのは正しいし、
リゴレットの2幕でジルダが
マントヴァ公爵の寝室から飛び出すときに
髪を振り乱しているというのも
演出としてはありになる。

逆にトロヴァトーレの終幕・牢獄の場面で
マンリーコの前に現れたレオノーラが
その髪をおろしていたらどうなるか?

「私、もうルーナ伯爵と寝てしまいました」
と宣言しているようなもの。

ルーナとの二重唱で
隠し持った毒を飲んだことも
マンリーコの前で
貞節を守ったと訴えたことも
マンリーコの腕の中で
死ぬことさえも
全てが、ちぐはぐなものになる。

知る人がそれを見たら、
思わず噴き出してしまうほどの
ギャグになってしまうのだ。

(喜劇バージョンでこうした演出をするならば、
 いっそのことマンリーコにも
 兜に「牛の角」をつけたら面白くなるだろう。)

※ ※ ※ ※ ※


オペラを観て楽しむ側の人であれば、
そうした「物語の時代背景・風習風俗」を
知る知らないは自由だとおもう。
知らなくても楽しめるし、
知っていればより深く・面白く楽しめる。
それがオペラというものだ。

しかし
オペラを演じる側の者が
物語の時代の
ドレスコードを知らず
関心も持たず
調べ研究することもせずに
その場の思い付きだけで
髪型を変えたりするのは
オペラ歌手として
なにより舞台人として
問題があると思う。

(演出や舞監の意図せぬことを
 その場の思い付きで行ってしまう
 昨今の歌手達については
 別の機会に述べることにする)

※ ※ ※ ※ ※


私が学生の頃に伝え聞いた話だが、
長門美保や大谷冽子など大御所先生たちは、
そうした舞台上での着こなしや
仕草などには大変厳しかったそうだ。

でも80年代初頭、
私が音大生の頃にはもう、
そうしたことを厳しく指導される
硬派な先生たちは既に廃れていたし、
今に至っては、大学は無論のこと
市井のオペラ団体や研修所のどこにも、
そうしたことを口うるさく言う先生はいない。

(もしかしたら新国の研修所と
 スタジオ・アマデウスのアカデミーでは、
 そうした指導がまだされているかも。)

学ぶ側・伝授する側というのは
その世代・世代での回り持ちなので、
もしかしたら、私達の世代はもう
「たとえ口うるさいと思われても
 指導すべきことを指導し
 伝えるべきことを伝授する側」
に突入しているのかも知れないな。

演奏や舞台に対する姿勢を
「個人のもの」として
門外不出にするのではなく、
「伝承」を考える時期に来ているのかも。


注:
桜新町のスタジオ・アマデウスで行われていた
「オペラアカデミー・イン・スタジオアマデウス」は
2016年の後期修了公演をもって活動を停止している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?