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「かへりきて」 01

  還り来て又着ます日のあれかしと
  祈りつつ祈りつつ君が衣(きぬ)たたむ

※ ※ ※ ※ ※

聖戦歌曲集《雪華》の第三曲。

歌文集『御羽車』では、
前二首についての記述は多かったが、
そこから先については
夫が戦死した後の話が中心となるため
この歌に直接言及している個所はない。

しかし、歌集『雪華』に収められている
前後の歌を読むことで、
この歌を書いた時の様子は
比較的容易に推測できる。

※ ※ ※ ※ ※


野村勇平に召集令状が下ったのは
昭和12年の9月某日。

同年7月に盧溝橋事件が起こり、
それを発端として支那事変が勃発。

召集令状もこれに呼応したものだが、
これによって陸軍兵力は12年に50万、
翌13年には倍の100万に達している。
(それまでは35~40万程度)

入営した勇平が出征前に
最後の休暇を与えられて実家に帰ったこと、
出征の直前、
玉枝は兵営近くの宿に泊まり、
夫と最後の夜を過ごしたことは前回に記した。

「十月○○日出発早朝
 ○○護国神社に武運を祈る
 ひたぶるに祈れる人を目に見つつ
 悲しみならぬ涙流れき」

出征を前にして、
夫の武運を祈るため
神社に足を運んだ人は
彼女だけではない。

むしろ数多くの人達が
その日の朝は、
同じように祈ったのではなかろうか。

やがて出征式が始まる。

野村玉枝の歌集や歌文集には
詳しくは記されていないが、
富山に召集され組織された隊は
汽車で神戸まで移動し、
神戸港から船に乗って
上海に渡ったらしい。

したがって、富山での出征式は
汽車での出発となる。
歌集『雪華』には、こう記されている。

「手に手に振り振る旗、旗、
 ひたすらに沸き起こる
 萬歳の中に身を置く
 汽車は発つ萬歳のとよみ旗の波
 うづまく中を汽車は今征く

 汽車は動く萬歳萬歳
 叫べどもつきず萬歳萬歳

 この強気この健気なる妻我と
 自らをほめ君を送りぬ」

一体どれだけの人が集まり、
この出征式で旗を振り、
萬歳の言葉で兵を送ったのであろうか。

歓声の中、己を叱咤し、
子を抱いて夫を見送る玉枝の高揚感が、
彼女の歌に見てとれる。

(続)

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