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「ははのみの」 01

  母のみの手に育つともつよかれと
  父が門出につけしこの名ぞ

※ ※ ※ ※ ※

平井保喜(康三郎)が
昭和十八年に発表した
野村玉枝の歌による
聖戦歌曲集《雪華》の第九曲。

野村玉枝の歌集『雪華』においては
第41首目がここで歌われることになる。

彼女の書き記した歌の横には
「毅(つよし)と命名す」
の但し書きがついている。

これは、
長男誕生にまつわる
3曲のうちの2曲目、

そして「毅」の名は
夫・勇平が出征の前夜、
手帳の紙に書いて妻に渡した
生れてくる子の名前、

ここでは、その名と共に
その名に込められた
父・勇平の願いが詠われている。

※ ※ ※ ※ ※

第八信
『本日小包を手にし、
 寶(たから)の包を解く様な
 気持で開きました。(二個到着)

 皆様の心盡し深謝致します。

 眞心を送つて下さつた皆様に
 宜敷(よろしく)と傳へて下さい。

 皆も息災でお正月を迎へて下さい。

 年賀状は一切出しませんから、
 年賀に来られた人があつたら、
 支那の何處からかお目出度うと
 答へてゐるとお傳へ下さい。

 お正月は圓陽と常州との
 中間を行軍中です。

 特に秩父の方へは
 手紙を出しませんから
 玉枝の方から宜敷傳へて置いて下さい。

 中隊には東山見の島田康二君、
 千秋君の二名共に元気で居ります。

 石黒政雄君は大分以前に負傷しました。

 石黒光輝君、石黒重正君には
 二三囘(回)面會しました。

 但田静美君も南京には入つてから
 一二囘會ひました。

 斎藤良誠君も
 南京攻撃の始に會ひましたが
 現在も健康だらうと思ひます。

 他の各位には會ひません。

 何れ蘇州へ行つたら
 大部分の人に會へると思ひます。

 蘇州到着は正月六日頃の豫定です。

 蘇州へ行つたら又
 便も出来る事と思ひます。

 御両親様始め皆様御身大切に。
(野村玉枝『雪華』より 原文ママ)

(続)


注訳:
常州
上海市と南京市のほぼ中間に位置する都市。
南京攻略の後、周辺地域の掃討に出ていたと思われる。

蘇州
上海の西に位置する、太湖に面した都市。

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