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感情電車 #0「2つ目の誕生日」

今日は2021年10月21日。十三年目の10月21日は、ワクチンの副反応と一緒にG1決勝を観戦した。37度の微熱ではあるが、大人になるにつれて発熱することがなくなったからか相当しんどい。
10月21日というのは私にとって、誕生日よりも大切な日だ。昨年の誕生日に何をしていたか思い出せないが、昨年の10月21日のことなら思い出せる。
昨年の10月21日の私は、「学生大量募集!」と謳っていたトイザらスのアルバイトの面接を受けに行ったら、普通に落とされてブチギレていた。
昨年に限った話ではない。何年前であろうが、10月21日の出来事なら覚えてる。
高校三年の10月21日は、ハロウィンが近いということでミスター・ポーゴのメイクをしてみた。あまりの完成度に、誰かに見せたいという感情が芽生え、隣町に住む中学時代の友人の自宅まで自転車で走った。顔見知りばかりの街で、誰かの目に留まらないように、なるべく暗い道を走っていたのだが、五年前に持病で店を閉めて以来、街に姿を現さなかった駄菓子屋のばあちゃんを驚かせてしまい、もう二度とポーゴメイクで夜道を歩かないと誓った。
高校二年の10月21日は、学校の研修で高山まで行った。帰りのバスの中で誰とも話さず、最後列の端で一人ACHのDVDを観た。
帰宅した後はサムライTVで新日本プロレス後楽園ホール大会を生中継で観た。メインイベントのヤングバックス対ACH・石森太二組を観て、今日もプロレスは最高だと思った。
生中継を見終えた後に地上波にチャンネルを切り替えると、真壁刀義がアイドルと大食い対決をしていた。

「あれからちょうど7年か…」

10月21日が私にとって大切な日になったきっかけは真壁刀義にあるのだ。

***
2009年10月14日、午後十時四十分。自宅のリビングでのんびり『爆笑レッドシアター』を見ていたら、固定電話から着信音が鳴り響いた。こんな時間に電話かよと思いつつ、ソファーから起き上がって子機を取ろうとしたら、先に母が親機を手に取った。
「はい……はい……」と途切れ途切れに相槌を打ちつつ、受話器の向こう側にいる相手の話を真剣に聞く母。ときどき私のほうを見つめてくる。
まずい予感がした。母の真剣な表情と話を真摯に受け止める姿を見るに、学校か同級生の親からの電話だ。確かに今日、私はクラスメメイトと喧嘩した。このあと怒られそうな気がした。
でも待てよ。違う。母の顔は反省しているというより困っている人間が作る表情をしていた。もしかして、あの話かもしれない。

10分近くの電話を終えた母が私のもとにやってきた。

「週刊プロレスから電話だった。あんた、ハガキ出したんだってね?来週、プロレス行くよ」

その年の7月。深夜に放送されていたワールドプロレスリングを観て、大好きな漫画・キン肉マンの世界よりも実際のプロレスの世界の方が狂っていたことを私は知った。その日から毎日プロレスに触れるようになった。
プロレス団体のホームページや有名なファンブログだけでは情報が足りなかった。より多くのプロレス情報を仕入れるために、週刊プロレスという雑誌を購入してみた。知らない団体や選手の試合レポートが沢山載っていることに高揚感を覚えつつ読み進めていたら、ある記事が目に留まった。

「アナタの夢、叶えます。」

秋に1500号を刊行する週刊プロレスが、ファンの夢を叶える機会を作り、その様子を記事にするらしい。
10月21日に新日本プロレスが地元の富山にやってくることは知っていた。富山大会の会場でファンの夢を叶えられるのなら、試合レポートを書くためにプロレス団体の巡業に帯同している週刊プロレスにとって、一石二鳥なのではないか。そんなことを考えながら葉書を購入した。
夏休みの宿題で学んだ葉書の書き方を見直して、表面に宛先と自分の住所を書いた。裏面には「真壁刀義選手と会話がしたい」と夢を書いた。生まれて初めて葉書をポストに投げ入れた。
どうやらその葉書が採用されたらしい。富山大会の試合前に真壁と会話できるらしい。50円が大きな夢になって帰ってきた。

「あの憧れの真壁に会えるのか…」

現実を受け止めきれなかった。真壁刀義は数ヶ月前に深夜のテレビで見つけた私だけのヒーローだ。今まで見た大人の中で一番格好良いと思うほど、深夜のテレビの中で光り輝いていたレスラーだ。「会話したい!」と書いておきながら、話したいことがたくさんある訳ではなかった。只々真壁に会ってみたかった。



10月21日。あっという間に当日を迎えた。試合会場の指定された場所で待っていると、週刊プロレスの湯沢記者がやってきた。いくつか質問を受けた後、「それでは今から」と言い残し、真壁を呼びに「関係者以外立ち入り禁止」と書かれたラミネートされた紙が貼られたパーテーションの奥へと消えていった。
出てきた湯沢記者の後ろには本物の真壁がいた。オーラとはこのことを言うのだなと思うほど、憧れの真壁刀義は格好良かった。真壁の話を聞くことと、真壁に逆質問されたことに声を震わせながら答えることしかできなかったが、真壁刀義と会話をするという夢はしっかり叶った。

終始緊張していた真壁との対談は、自分がどんな応答をしたかもはっきりと思い出せないほど緊張しており、後で週刊プロレス1500号を読み返して自分の受け答えを確認した程なのだが、一つだけ、真壁に言われて強烈に印象に残った言葉があった。

プロレスファンって、オマエくらいの歳に好きになると、ずっと好きなんだよ。俺もそうだったよ

この言葉を真壁から受け取った時、「僕はそうは思いません」という言葉を呑み込んだ。今まで夢中になったものは全て飽きが来ていたのだった。戦隊モノも、東京吉本の若手芸人も、ポケモンも、園児の頃や小学校低中学年時代に嵌ったものは全て飽きていた。プロレスに出会う前に嵌っていたキン肉マンだって、既に飽きていた。
小学校に入った頃に未だに戦隊モノを好きでいるのはダサいと判断して戦隊モノから卒業したように、キン肉マンに夢中になったことがきっかけで吉本の芸人のライブ映像やブログを見る時間がすっかりなくなったように、プロレスに嵌ったことでキン肉マンやポケモンを追う時間がなくなったように、人生の何かしらのターニングポイントできっとプロレスも飽きる日が来るのだろうと思っていた。
新たな趣味ができたからなのか、恋人ができたからなのか、プロレスを見続ける上で嫌な思いをすることがあったからなのか、きっかけは推測できないが、取り敢えず何かをきっかけにプロレスにも飽きるのだろうと漠然と思っていた。
今プロレスを楽しめている時間こそが大事であって、今大好きな真壁を応援している時間に意義があるだけであって、大人になってもプロレスをずっと見続けようなんて、憧れの真壁を目前にしても思えなかった。
***

あの言葉をもらった日から今日で丸十二年。私は今日もプロレスが好きだ。飽きるどころか日々「好き」が加速している。
「『ずっと好き』って、こういうことだったのですね」と、今の私なら真壁に言える。
これから私がするのは、そんな十二年間プロレスファンで居続けた一人の少年の、特に思い出深い五年間の話である。
これだけ真壁の話をしておきながら、五年間の思い出の中に真壁は登場しないことだけは言っておきたい。強いて挙げるなら、2017年9月の新日本プロレス富山大会だが。
その日のファンクラブ撮影会に登場したのが真壁だった。あれから八年の年月が経とうとしているのに、未だに大切に保管していた当時購入した真壁Tシャツを着て参加した。

「おー!懐かしいTシャツ着てるね!それ、俺のTシャツの中で一番売れたやつだよ!当時買ってくれたの?」

「そうです。これを買った頃、真壁さんと週プロの企画でお話しさせてもらったことがあるんですよ」

「すまねえ!全く覚えてねえわ!」

「それでは撮りまーす。はいっ、チーズ!」

スタッフの声が私達の会話を終わらせた。
人の記憶というのは時に残酷だ。でも相変わらず、十二年前に真壁と出会えたことは、私にとって最高の思い出だ。
時に先輩に虐められながら、時に仲間に裏切られながらも、それら全ての時間を自分という人間の物語にしてリング上で闘い続け、日本プロレス界の頂点に立ったのが当時の真壁刀義だ。辛い過去さえも全部曝け出して、リング上で対戦相手と対戦相手の向こう側にいる世間とプロレスする真壁刀義は本当に格好良かった。
人間が形成される段階にある10代に突入したばかりのあのタイミングで、あれほど格好良いレスラーに出会えたからこそ、今日までプロレスを観続けることができたと思う。あの時真壁に出会えていなければ、ここまで長くプロレスを観続けることはなかったと思う。私は死んでも10.21を思い返すことだろう。

正直な話をすると、現在は真壁よりも熱心に応援しているレスラーが沢山いる。でも、私の胸にはあの頃の真壁が生き続けている。己の全てを曝け出して、対戦相手と対戦相手の向こう側にいる世間とプロレスし、自分とも闘い続けたあの頃の真壁の魂が私の胸の中で息をし続けている。
当時の真壁がG1 CLIMAXで優勝した直後の控え室で記者陣に囲まれながら語っていたことをよく覚えている。

「俺もよ、こんなちっちぇえ時によ、プロレスラーに夢を見て育った。現に俺がレスラーになったろ?誰に夢を見せるんだよ?見てる奴にだろ。あとは自分自身だ。人に夢を与えるやつがよ、テメェで夢見なかったらよ、夢なんて与えられねえんだよ。俺がどうして今日決勝に上がって優勝したか分かるか?客の後押し?俺の実力?もちろんそれもあるよ。あとは何だ?時代はよ、俺みてえな馬鹿な奴を必要としてんだよ。夢のねぇ時代だろ?だから夢を持つんだよ!

夢のない時代だから夢を持つ。コロナ禍に必要とされる姿勢を2009年の時点でプロレスラーの真壁は言っていたと思うと、本当に偉大な人間だなと思う。真壁に夢中になったあの日から十二年が経った今、私の胸の中であの頃の真壁が更に輝きを増している。
あの頃テレビに映る真壁に惚れた小学四年生も、今や大学四年生だ。これから始める話は、真壁を好きになった十二年前から現在に至るまでの間の話である。最初は辛かったけど、今は憧れを抱いてるあの五年間の話をする。
五年間の高専生活が恋しい状態のまま、二年間の大学生活の終焉を迎えようとしている。次の春で高専から三年次編入した大学も卒業だ。
二年間の大学生活は何もなかった。何も頑張れなかった。あの濃密な五年間をきっちり振り返って、次に進みたい。あの五年間の思い出を振り返っておかないと、また次に進めない気がする。高専の思い出達に一旦別れを告げたい。
夢のない時代にも夢を持って前に進むために。

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