4℃を考えるな。4℃を感じろ。

こんにちは。VICTORINOXの十徳ナイフを買って瓶ビールが開けられるようになって嬉しいこの頃です。

クリスマスなので、セルフですが、プレゼントということで、ね。

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値段の割に高級感のある見た目でイイ感じでございます。ただ主な出番はキャンプの時なので、ガンガン薄汚れていくんだろうな...と思わずほろり。若くてキレイなのは今だけなのよ...。


さてクリスマスプレゼントといえば、先日Twitterで『クリスマスプレゼントに4℃は如何なものか問題』が議論(笑)されて盛り上がっていました。

話題が話題なので「近寄らんとこ...」って感じだったのですが、面白いブログに当たっちゃったので、ちょっとだけお気持ち表明してみようと思った次第です。「面白いブログ」のリンクはこちら。ことのあらましとかも載ってるよ。


で、今回の件。どうやら「婚活あるあるネタ」というちょっとしたジョークのつもりで投稿したら、あれよあれよという間に拡散されて大炎上...という、まあいつものパターンだったみたいですね。インターネット怖いね。

そんなこんなで火事を対岸から眺めていたら辿り着いたのが先のブログ。散見された「4℃はないよね~」とか「プレゼントにケチをつけるな」みたいなアホくさい意見ではなく、もうちょっと踏み込んだ話のようだったので、気になってリンクをポチり。

超ざっくりいうと、このブログでは、記事の中ほどで「コミュニケーションの手段」としてのプレゼントについて考察していまして(詳しくは元記事読んでくださいな)。それを読んでいて「確かになあ、なるほどなあ」と思う反面、ある考えが頭の中で膨れていきました。それは、

「プレゼントってそんなに打算的なものだっけ...???」

という、素朴なもの。

確かに、物を贈るという行為には打算的な側面もあると思います。ただ「打算的な面もある」ということは、「打算は一面でしかない」ということが大前提なわけで。この前提を欠くと、プレゼントは打算の産物!うまく使ってあのコのハートをキャッチ!みたいな夢のない結論に落ち着いちゃったりすんのかな~とか思ったり。

先のブログも、読み進めていくと「打算としてプレゼントを考察するのってヘンだよね」というオチで結んでいるので、やっぱりその辺の分別は付けておきたいね...というお話。


そもそも論ですが、プレゼント、ひいてはコミュニケーションを考察して解明して言語化して...その先には何があるんでしょうか。

少なくとも楽しいことはなさそうです。プレゼントは貰ったら嬉しい、喜んでくれたら嬉しい、で僕は満足です。幸せの言語化なんて、そんな野暮でけったい極まりないことは、一部の物好きだけがやってりゃいいのです。

SF作家の伊藤計劃さんも「人間は言葉で規定されたりしない」という話をしていたような気がします(虐殺器官だったかな?)。人の営みや感情は言葉よりも先にあるもので、言葉が人の営みや感情を決定するのではない、という意見ですね。わかるそれなって感じ。

とどのつまり、「知らぬが仏。考えるな、感じろ」ということなのでした。

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