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映画「イエスタデイ」 が教える欠如の大きさと温かさ

10月11日より公開中の映画『イエスタデイ』は「もし、地球上で自分以外、誰もビートルズを知らなかったら」という仮想世界を描いたドラマ。「誰もが知っているビートルズの音楽」という世界の共通理解にアンチテーゼを投げかけ、公開前から話題となっている。ストーリー、出演者、映画に散りばめられたビートルズの楽曲の3つの切り口からダイジェスト。

【STORY】 「ビートルズって誰?」 強すぎる歴史へのアンチテーゼ

「昨日まで、世界中の誰もが知っていたビートルズ。今日、僕以外の誰も知らない―。」と、鑑賞前から誰にとってもわかりやすい本作品のメッセージ。
それゆえ「世界が変わる」という重要な部分があるが、その「世界が変わる」シーンは世界が大停電になり、12秒間の停電の間に交通事故にあった主人公の生きる世界が変わるという、少々強引な展開だ。

その後、普通に営まれていく日常生活でどうも「世界が変わった」感がしないのだが、主人公はビートルズ楽曲に多少のアレンジを加えた「盗作」(悪気で盗もうとせず、良い音楽を奏でたいという純粋な動機)でスターダムにのし上がっていく。

「ビートルズって誰?」に始まり、主人公のジャックがたとえ話で引用する会話において、イギリス象徴的人物や、資本主義象徴的商品らも「知らない」ものとして登場するので注目してほしい。

と言いながら、私はなぜそれらが隠蔽されているのか知らなかったのだが(先日の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」を鑑賞するまで「シャロン・テート殺害事件」を詳しく知らなかったミーハー若年層「あるある」に通ず)。

【CAST】ビートルズの風景にはいない背景を持った「イギリス人」の起用

ビートルズというレジェンドを担う責任重大な人物は、4人グループではなく、1人という思い切り。物語の中でさえ「ルックスがいけてない」「ダサい」と揶揄される存在を、あえて主人公としいることは誰もが気づく作品の特徴だ。

そればかりではなく、どう考えてもビートルズのメンバー存在しなそうだけれども、しっかりと聞き取れるイギリス英語を話すインド系イギリス人、ヒメ―シュ・パテルにビートルズ楽曲の演奏者を担わせていることが印象的である。

キャスト起用の視点に「これでもか」とばかりイギリス出身俳優/アーティストのアピールが甚だしいことも「イギリスらしい」ポイント。
旬の俳優、エド・シーランは本作で「友情出演」以上に「友情出演」だったことに観てから驚かされる。等身大のエドそのもの、映画の役どころで仮想現実を演じていたことから、彼がプライドを捨てて演技に臨んだことが解る。

【MUSIC】 メロディだけではない、楽曲の適正配置

シーンごと、音楽(メロディ)の適正配置がなされていることは全ての音楽映画に通ずる「作法」のようなものであるが、本作ではメロディばかりでなく、タイトルや歌詞で連動しているシーンも多い。

殊にビートルズの楽曲についてこれまで何十年ものあいだ多くの人によって曲の解釈が語られてきたはずであるが、後から意味づけるということが、後付けの解釈とは映画の製作チームでさえ難しく、そして深みが増すのだということを観客に教えてくれるだろう。

例えばビートルズ楽曲にいくつかシンボリックに存在する「日常(とその平和さ)」を切り取った「イン・マイ・ライフ」がTVショーで生活者の茶の間に届けられ、ジャックがスター生活から平和な日常に戻ったエンディングで「オブラディ・オブラダ」が陽気に流れるのも必然的に感じられる。

ちなみに「ラブコメ」にお決まりのラブシーンは少なく、二人の関係はとてもあっさりしているため、情熱的なシーンがお好みの方には少々物足りないかもしれない。ただし「愛こそすべて」を始め、ビートルズの楽曲のコアテーマである「愛」は、しっかり盛り込まれているのでご安心を。

コアテーマはなんだったのか

ここからは内容に踏み込んだ部分が入るため、出来る限り鑑賞前に本作に期待を寄せる方々の気持ちを逆なでしないよう心がけ、参考までに鑑賞後の方の振り返りに寄せた一意見とする。

正直に言うと、私が真っ先に感じたのは歴史に名を残すビートルズの楽曲に対して登場人物がすべて高い視点からコメントする本作の所々のシーンにおいて、往年のビートルズファンにはいい気持ちがしないのではないだろうかということだ。

劇中でエド・シーランは(ジャックの歌声を通じて)いちアーティストの視点で音楽性を賞賛するが、一般人があっけらかんと「いい曲だ」などと言う台詞でさえ、歴史的なグループへの高い視点からの評価は最後までどうも気になる(後半には、名アルバムカバーのデザインを揶揄するシーンすらある。)

「本当に、最後までパクリがばれないのか?」
「もはや自白しても無意味なのではないか?」と、冷や冷やしながら観る。そうしてストーリーを追い、歌に身を任せているだけでは気づきにくいが、「この映画の本質は何なのか」と向き合った時、周縁から見えてくる要素がある。それはコアテーマである「ビートルズの無い世界」という欠如から「いつもそこにあるはずの大切な存在の欠如」「ビートルズの楽曲を囲む人の温かさ」

公開前のとある評に昨秋公開の『ボヘミアン・ラプソディ―』、今夏公開の『ロケットマン』に続き「音楽映画のヒット作」と期待される見どころとも書かれていたが、本作品はそれとは異なる毛色を持ち、むしろ最後まで結末の解らない「推理小説」的な印象。観賞中はひたすら頭を働かせながら観るという作品との向き合い方から、それらと全く違っていたと振り返る。

同じ楽曲を知り通じ合っていても、親子二世代で、祖父と孫三世代でこの映画を鑑賞した際、世代ごとに様々な捉え方となるだろう。

ただオマージュするだけでなく、英国出身シンボリックな旬のアーティストの登場や、デジタルツールでの拡散など、若者文化を所々に散りばめ、おじさん文化とヤング文化のカルチャージャムを意図的に生み出す制作意図もあったのかもしれない。

「もしも」の壮大なジョークに「世界が変わる」と行き過ぎたファンタジーで描かれたこの作品に、さらに「もしも」をつけて筆者も総括するならば、もしも、万が一この映画を知るまで「ビートルズの楽曲を一度も聴いたことがなかった」という人がいても、この映画から楽曲群を学びなおすことをお勧めするだろう。楽曲の価値を広める伝道師が増えていくことは、ポール・ジョン・ジョージ・リンゴも賛同するに違いない。

映画「イエスタデイ」の鑑賞は映画館で完結せず、往年のファンにとっては鑑賞後に原曲を聴きなおし、リプレイすることで感動を反芻するという第二の愉しみが待っているのだから。

作品情報
監督:ダニー・ボイル
脚本:リチャード・カーティス
製作:ティム・ビーヴァン and エリック・フェルナー
原案:ジャック・バースandリチャード・カーティス
音楽:ダニエル・ペンバートン
出演:ヒメ―シュ・パテル、リリー・ジェームズ、ジョエル・フライ、
エド・シーラン(本人)、ジェームズ・コーデン(本人)
配給:東宝東和
製作年:2019年
製作国:イギリス
上映時間:116分
公式サイト:https://yesterdaymovie.jp/