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解き放ちたい時は

「生い立ち」まで振り返らないが、2015年までのブランクで考えていたこと
物心ついてから好んで三年番茶をすすったり、AORの帝王ボズ・スキャグスを聴いたり、暇があれば成城石井を眺めたり、麹菌を培養したりもしていた高校生だったので、何かが変わった自覚もありませんが、ある時、世間的にも自己実現のためにも「レディの嗜み」みたいなものを習得せねばと思ったのです。理想像はあろうと、リアルではこの先永遠に続く過酷な試練と戦いの予感がしました。  

一方いつの時代もメジャーへの反抗から生まれたポップやロックには、国境を超えて心打つものがあるとビートルズ音楽を語る人々やアートに関わる人たちが再生産して教えてくれています。自分を解き放ちたいとき、10代の私は物を壊したり、夜道をぶらついたり、アブない恋愛に走ったりするような衝動を持たない少女だったので、ストレスが溜まって蕁麻疹を出すくらいで体内レベルで自己完結。反骨や反抗の文脈では社会的影響力を一切持たないような半生でした。ただ一つ思い当たるカウンター・カルチャー的な節は、ここまで5年ほど気になる社会ごとを独善的に綴り続けた「ブログ」という発信物の存在です。

オーガニックガールを卒業し、新たな気持ちでもう一度ブログに帰ってきた
好きなものを何度も食べ、好きなショウを十年見ていればさすがに何らかの思いが蓄積していく。ライフスタイルにおける偏愛は、同じ本を幾度も読み返すように幾度も反芻し、だから書いていく。ありのままでものを書くことは、2014年まで手元の白紙ノートに綴るのみでしたが、今また更新ボタンの懐かしさに心が動き、このように画面の世界に戻ってきました。あの頃標榜していた「POP」のコンセプトもそろそろ卒業かと思いきや、30歳まで時間はまだあるし、"大人POP宣言"をしなくては長続きしないようです。願わくば70年代、80年代から素敵なものを見てきた目上ジェネレーションのおじさま達の心にも通用するPOPを謳いたいけれど。

ちなみにディズニーに時めく感覚が持てる限り「ガール」と自称・公称してよいと自分なりの基準を設けてきましたが、今のところ答えは見つかっておらず。アラウンド90年生「ガール」の皆様にはご意見を募集したいと思います。

2015.1.10