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テイカカズラと藤原定家の話2

5月30日 くもり

本日のBGM Bill Evans

庚申窯の石垣に咲いているテイカカズラの花の匂いは、母によりますとジャスミンの匂いに似ているそうです。ジャスミンとはこんな香りだったんですな。てことはジャスミンの香水などあるのだから、オードトワレ「teika」とかもできるのでしょうか。teika〜死んだ後も束縛される愛欲の香り〜 重いっ!

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能の方の「定家」について。この演目の最後、定家に縛り付けられていた式子内親王(しょくしないしんのう)は、旅の坊さんの読経のおかげで、悟りの世界に行けたはずなのに踊りだけ踊ってまた元の墓に戻ってしまいます。


これ坊さんからしてみたら「うおい女!このやろう!お前がおれっちを墓までひっぱってきて成仏したいなんぞとぬかしやがるから わざわざ経まであげてやったっつうのに 何を元サヤにおさまってやがんでい!お前ら暇かよこのやろう!」とがなりたててしまいそうですが、

このラストは欲を捨てきれない人間の業(ごう/カルマ:人間がついついやってしまう行い。だいたい悪い方にとられる)を描いていると言われますし、

または定家の呪縛とはいうものの実際のところ まんざらでもない、式子内親王の女性性を表しているとも言われます。


しかしもう少しだけ掘り下げると

式子内親王は皇族として生まれ、10歳で斎院になり神に仕える生涯を送りましたが、裏を返せば それは生き方を自分で選ぶことの出来なかった人生とも言えます。


僧の読経により、定家の呪縛から解放された内親王は、同時に今まで自分を縛り付けていた、血筋のしがらみ神仏のしがらみに気づくことになります。

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恋心を「愛欲地獄」とおとしめて、意思を無くすことを「悟り」といって心地の良い言葉をあてがったのは誰なのか。

私は生きている間、誰かにとって都合のいい道を選ばされてきたのではないか。この一人の男から解放されたら、次は顔も見えない誰かによって気づかないうちにまた縛られてしまう。死んだ後もなお、私はどこにいたって何かに縛られつづけていくしかない。それなら私は 少なくとも自分に誰が何をしているのか肌で実感できる世界を選びたい。

という思いがあったのではないでしょうか。これは私が勝手に物語を解釈したものですが、物語は 読み手が自由に解釈することを許してくれます。


物語を受け取った人間が、発想を飛躍させ、また新たに物語をつくって次の世代につなげていく、それは物語という空想の世界を息づかせていくのに必要な作業であります。

文化人類学的には「人間は物語を食べて生きている」と言われていますから、人間にとってもまた物語はなくてはならないものであり、人間が生きている間、様々な物語もまた生き続けていきます。


金春禅竹(こんぱるぜんちく)の生きた時代が(1405〜1470)、藤原定家が生きた時代が(1162〜1241)ですから150年以上の時差があり、当時すでに藤原定家は物語の中の人物となっています。なので「定家」は藤原定家の人間性に忠実なお話ではなく、金春禅竹の思想が不可分に盛り込まれた作品です。金春禅竹もまた物語を受け取って繋いだ人物ということですね。


旅の僧が詠む経は法華経であり、それによって救われないという描写は当時考えられないものだったそうです。歌、仏教、神道に通じるインテリであった金春禅竹は、仏教の教えというもの自体もまた物語の一つであり、否定するだけではなく これまでとは違った解釈を試みて「定家」を書き上げたのではないでしょうか。その態度こそが仏教という物語を息づかせるものであると思います。


次は藤原定家自身の物語について。続きます!


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高鶴裕太 コウヅルユウタ
陶芸家
1991年生まれ
2013年横浜国立大学経済学部卒業
上野焼窯元 庚申窯3代目

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