見出し画像

うなちゃんの夏

私はそのころ27歳。今よりずっと貧乏で、ジモティーの取引にはまっていた。

ジモティーは不用品の譲渡・売買をするアプリで、他のフリマアプリに比べて価格帯が低く、無料〜数百円の掘り出し物がごろごろ見つかる。
化粧品、服、ハンドクリーム、贈答品のタオルや食器。そういうものをお得に買ったりもらったりすると、なんとなく「今日は稼いだぞ」という錯覚を得られるので、暇をもてあました無職たる私は頻繁に使っていたのだった。

その日も早朝からタオルケットにくるまって、ジモティーの新着情報を見ていた。
テレビ、冷蔵庫、バッグ、イヤリング、本棚(大)、本棚(小)、脱走犯、ハンカチ、ティーカップ、入浴剤。
見慣れた品目の中に異質なものが混じっている。

脱走犯 / 3000円
川で釣って1ヶ月ほど飼っていましたが、あまりにも脱走して困るので、売ります。全長60㎝です。

説明書きに添付された写真には、フローリングの床の上で「し」の字を描くうなぎが写っていた。
丸々と肥った身、艶々と光る皮、悠々としたカーブを描く長々しい尾。買うしかない。すぐにメッセージを送った。

「はじめまして。出品されているお品物に興味がありご連絡しました。本日午前中のお取引は可能でしょうか」

一瞬で返信がきた。

「ご連絡ありがとうございます。出勤前でしたら受け渡し可能です。8時ちょうどにJR新小岩駅改札前の待ち合わせでいかがでしょう」

「承知しました。バケツなどの容器を持参したほうがよろしいですか?」

「手ぶらで結構です。じょうぶな紙袋を重ねて、中に水をはったビニール袋を入れてお渡しします。お気をつけてお越しください」

簡潔でわかりやすく、気づかいの行き届いた文面。
常識人だ。おそらく30代後半の男性。都内の私立大学を卒業後、銀行に就職するも業界が肌に合わず社会人4年目で転職、今は中堅メーカーの係長。既婚で子どもは小学2年生、休日は家族そろってアウトドアといったところか。

取引相手の人生を勝手に予想しつつ身支度をととのえ、平日朝の総武線に乗り込む。
満員電車でしかめっ面のサラリーマン集団に圧迫されながらも心は軽く、麦わら帽子をかたむけて『ルージュの伝言』でも歌いだしたい気分だった。

わたし、これからうなぎをお迎えに行くんです。みなさんはどちらへ?あら、お仕事。そうですよね。おつかれさまです。え?いや、わたしは今日も明日もお休みです。はい、働いていないので。

新小岩駅に到着し改札を出ると、みどりの窓口の前に立つスーツ姿の男性が目にとまった。
右手に大きな紙袋を持ち、左手はランドセルを背負った男の子の肩に置かれている。自分のプロファイリング能力に感心しながら歩み寄る。

「あの、ジモティーの……」

「ああ! そうです。ふなっしーです」

「あ、やっぱり! 朝早くからありがとうございます。こちら代金です」

わが子の前で躊躇なくふなっしーと名乗った男性に好感を抱きつつ、お金を渡して紙袋を受け取ろうとすると、ぼしゃっ、と音を立てて袋がたわんだ。

「わ!」

中を覗き込むと、口をしばった透明なビニール袋の底のほうで、想像よりもひと回り大きなうなぎが跳ねていた。

「うなちゃん…………」

子どもが思いつめた表情で袋を見つめている。

「ほら、バイバイしなさい」

ふなっしー氏が優しく促すと、子どもは小さな手のひらをこちらに差しのべ、「……バイバイ。バイバイ!」と2度言った。1度目はつぶやくように、2度目は決然と。 

この子にとって、うなぎは友だちなのだ。
もしかすると、人生で初めてのペットだったのかもしれない。

少年がうなちゃんと過ごした日々に思いを馳せ、こちらもなんとなく神妙な面持ちになって頭を下げる。改札を通った後ちらりと振り返ると、親子はまだそこに立って、まっすぐこちらを見つめていた。


私はその足で、友人が働く飯屋へ向かった。

「うなぎってさばける?」
「たぶん。やってみる」

昼食はうな丼と白焼きになった。

白焼きのほうは仄かに泥臭さを感じたが、その野性味がむしろ天然物らしくて好ましい。すり下ろした山葵と合わせると格別だ。

白焼きをつまみに酒を飲みながら、自分が子どものころ飼っていたペットのことを考えた。
ジャンガリアンハムスターのキョロちゃんと、ミニチュアダックスフントのエリちゃん。どちらも一緒に暮らした期間は短く、父の気まぐれで処分された。

ベトナムや台湾では普通にネズミの肉を食べるし、韓国の犬鍋は滋養強壮に効くという。
私はそれらを好む人々に嫌悪感はないし、機会があれば自分も食べてみたい。

しかしそれはそれとして、からからと軽快な音を鳴らして回し車の上を駆けていたキョロちゃんの姿や、足元にじゃれついてきたエリちゃんの濡れた瞳を思い浮かべると、少年に対して罪悪感がわいてきた。
私が食べたのは他のうなぎではなく、たった一匹しか存在しない、少年のペットのうなちゃんだった。
しかしまたそれはそれとして、うなちゃんは美味しかったのだ。とても。

そういうわけで、私は今でもうなぎを好んで食べている。ただ、その柔らかい身を箸で割いて口に運ぶとき、脳裏にひとつの情景がちらつくことがある。

明るい陽射しのふりそそぐ川面をのびやかに泳ぐ一匹のうなぎと、少年の笑い声。青々と生い茂る草むら、入道雲と水しぶき。終わらない夏がそこにある。

この記事が参加している募集

夏の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?