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現状は現状からは変わらない

最近、日本人はグローバルと比べて消極的だから変わらなきゃならないというような記事をよく見る。
だから、自分が変わるための新しい習慣だとか、嫌われる方法だとかが本になっている事が多い。

けど、本当に習慣や意識で人間は変わるのだろうか?

習慣とは過去から何度も続けてきた事だ。だから、習慣を変えるには今じゃなくて過去を見る必要があるんじゃないかと、最近思っている。

人間とは思い込みの生き物だ。
例えば、今の自分は日本人だと思い込んでいるけど、多国籍な祖先がいるかもしれない。
けど、明日親から違う事実を言われたら、「本当は日本人じゃなかったのか…」と、思うかもしれない。

そういう思い込みによって自分の意識は決まっているじゃないだろうか。

「セドナ」という世界的に有名なパワースポットがグランドキャニオンの近くにある。
元々はアメリカ先住民の聖地だった。先祖を感じる波動が出ているという事からそこに立つ事が儀式だと思われていた場所だ。
それが、近代になってヒッピーが多く集まり意識(思い込みの気持ち)が集中していく。
僕は、セドナをスピリチュアルな思いが集まりすぎてスピリチュアル度が増加した土地だと思っている。
さらにウォルトディズニーがセドナで暮らしたことによって、ビッグサンダーマウンテンを伝って世界に風景を映し出すようになり、セドナは人々の記憶に当たり前にある風景になった。

セドナは赤い。「赤」とは人間の視神経からダイレクトに入ってくる気持ちだから感覚として最も感じやすい。それを見ると論理的に考えるより感情的に意識することになる。

セドナは、赤とディズニーランドとスピリチュアルな意識の凝縮で、思い込みが加速し、世界最大のスピリチュアルな場になったのでは無いかと思っている。

人間の思い込む力というのは全くバカにできない。

日本人に話を戻そう。

日本人は何故、消極的なのだろうか?もしくは、何故、消極的だと思い込んでいるのだろうか?

それは江戸の鎖国エコシステム(生態系)に由来する。

江戸時代、日本は輸入や輸出に生活を委ねていなかった。
高価なアート作品は輸出入していたけど、庶民が使う日用品や食料は輸出入していなかった。
幕府は食料や日用品の流通を最適な形になるように管理していた。武士は道徳を用いてそれを管理していた。
鎖国した島国において需要と供給を最適に管理していたのが江戸幕府というシステムだった。
参勤交代を行い反乱も絶妙に抑えていた。

需要と供給が安定して最適化された世界において、いくら何かを生産しても大金持ちにはなれない。
江戸は階級も制御していたので少なくとも中期までは士農工商は最適に働いていた。

需要と供給が安定された世界のおいてお金を儲ける方法は不正をする事以外になかった。
それが、時代劇で見る、お代官様が「悪(わる)」をするってやつだ。
江戸時代、極端な権力者か不正をした人にしかお金持ちになれなかった。
だから、日本人はお金を稼ぐ人が好きでは無いように思い込んでいるのだと思う。

その後、輸出入が出来るようになって、物を国内需要以上に生産してもいいようになった。
不正以外でグローバルな生産性として儲けている人は、本質的に人の役に立っているので悪く無い。
そう考えてやっと、我々日本人はお金持ちを悪い目で見なくてよくなるのでは無いのだろうか?

僕らは生まれた時に親や祖父母が過去の道徳的に良かったことを「今の時代にもいいこと」だと言われ、刷り込まれ思い込んで生きている。
思い込んでいることは正当化したいから、スピリチュアルな自分に都合の良い正解を人間は選びがちだ。
でも、自分を正当化したら変えるのも難しいとも感じてしまう。

「何故、それを思い込んでいるのか?」を、考えると、思い込んでいた原因が理解できてくるので、「自分が変わる」方法がわかってくる。

そこがやっとスタート地点だ。じゃあ、僕らは「今」からは進めないんじゃ無いだろうか?
「過去」を理解しないと「今」がわからないから「未来の自分」になれない。

だから、「今の日本人がよくないよね」とか話しても意味がないとも思うし、今の日本人が進めない事は過去に向き合わない限り出てこない事だとも感じる。

僕らが立っている世界はいつだって今だけど、未来を作れるのは過去に向き合った人だけなんだと思う。

怖いけど、ちゃんと過去とも向き合わなきゃいけないんだろうな。

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