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noteを読んで欲しいけど書けない〜イップス未満のウップス〜

前回の投稿から1ヶ月以上が経った。

忙しすぎて書く時間が見つけられなかったわけでも、書くネタがなくなったわけでもない。
書くモチベーションを急激に失ってしまったからだ。

というのも、どういうわけか、ある日の投稿から”スキ”が一つもつかなくなってしまった。理由はわからないが話の内容がつまらないのかもしれないし、そもそもの読者の母数が少ないカテゴリー(田舎暮らしやハンドメイドなど)だからかもしれない。

しかし、noteを初めて3年目になり毎週投稿を続けていたら最近は読んでくださる方や読んだ後にスキをくださる方が一定数現れるようになっていた。

とどのつまり、それが自分が自覚しているよりも大きな喜びであったのと同時に、全くもらえなくなった時に倍返しの絶望として作用してしまったのだ。

考えてみれば至極滑稽な話だ。

友人やリアルな知人のいるSNSで文章を書くと、どうしても彼らの目に触れることを意識しすぎるあまり忌憚なく思いを発露できないことから、誰にも知られずに済みそうなnoteで書き始めた。
そこからは自分の考えを整理したり、需要そっちのけでしょうもないことでも書き残しておきたいことを書き殴ってきた。

そしたらいつからか少しずつ投稿に”スキ”が付くようになり、自分の記事が会ったこともない誰かに届いていると承認欲求がじんわり満たされていく感を無自覚的に覚えた。

けれどそのハートマークが一切つかない日があった。
最初は「まぁそういう日もあるよね」と気に留めていなかったのに、2回3回と続いた時自分の中で確実にダメージになっていることを認めざるを得ないぐらい落ち込んだ。

というか、新しい記事を書けなくなっていた。なんか典型的なSNS中毒の若者みたいで、そんな自分にも落胆した。

プロ野球選手などが突如として今までできていたプレーができなくなる症状をイップスというが、私のこの症状をブロガーでも作家でもない私がイップスと呼ぶのは憚られるので、ここはウップスと呼ぶ。

毎週noteを開こうとする手が、「どうせ誰にも読まれてないしな・・・」と机の前でウップスになって、PCを閉じた。

これは憶測に過ぎないが、イップス同様ウップスも誰にでも起こる。

こんなふうに書くと、さぞ多くのスキをもらっていたのだろうとお思いかもしれないが、私が各記事でもらえるスキはたいてい片手で収まる程度か、バズった!と勘違いする時ですら20程度。世の中で活躍されている人からするとずっとずっと少ない。けれど、だからこその威力もあるのだ。

この1ヶ月の間に、所詮自分は自意識の塊にすぎないというほかに、もうひとつ気づいたことがある。

昔どこかで読んだ行動経済学の本に書いていたが、人間は至極不合理な生き物で、例えば壁に落書きをされる家主が、その落書き現場に出くわしたとしよう。その犯人にわざと「その落書きは良い」と褒めてお小遣いをやる。次の日も、その次の日も「描けよ増やせ」とばかりに小遣いをやる。そうしてある程度の日数が経ってから「もう金はやれん」と小遣いの支給を止める。
すると、犯人はそれまでイタズラ心でやっていたはずの落書き行為に途端に面白みを失い、小遣いをもらえないなら描くのがバカらしくなったといって落書きがなくなった、という話。

これは人間が興味や関心に基づく動機を、いつの間にか金銭的な報酬にすり替えられてしまうという行動心理だそうで、アンダーマイニングという。

私は自分の「書きたい」という内なる動機をいつの間にか「誰かに認められたい(スキがほしい!)」という欲求にすり替えてしまっていたのだろうか。

それならいっそインターネットの海に晒さず、オフラインで自分のローカルドライブにでも保存すべきかとも思うものの、やはり誰かの目に触れるかもと考えるからこそ生まれる力学があるのもまた事実。

こんな感じで1ヶ月の間にメタ認知という合理化で自分の中の不合理さを昇華させたので、今後も一介のnoteユーザーとして内なる動機を忘れずにこれからもゆるりと更新しますので、お付き合いのほどよろしくお願いします。



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