【創作】代役
冬の色だ。
ふと自分の吐く息が白いことに気が付きそんな風に思う。白い息は目の前でフワリと舞うとすぐに消えた。急に冬を意識したせいか寒さを感じて身体が震える。スマホに目をやると約束の時間まで5分を切っていた。
スマホを右ポケットに入れて少し考えてから時計台を離れた。時計台から十数メートル離れた自販機で熱い缶コーヒーを買う。もちろん僕が飲むためじゃない。缶コーヒーを左ポケットに入れてまた時計台に戻る。
時計台は駅の北口の階段のすぐ下にある。時計台の前、それが彼女とのいつもの待ち合わせ場所だった。時計台の時刻を見ると約束の時間を過ぎていた。彼女が来る気配はない。ただ彼女が待ち合わせに遅れるのはいつのもことのだった。
ふいに右ポケットのスマホが振動る。ポケットから取り出すと画面には彼女の名前があった。
LINEを開くと彼女のお決まりのセリフがあった。「了解。気をつけてきてね」そう送ってまた右ポケットにスマホをしまった。カイロ代わりに買った缶コーヒーを左ポケットから取り出す。
きっと冷めちゃうよな、そう思いながらギュッと握って悴んだ自分の手を温めた。
缶コーヒーなんてまた買えばいい、待ち合わせに遅れたっていい。
彼女の側にいられるならそれだけでいいと思っていた。
たとえそれがアイツの代わりでも。
****
彼女を初めて見たのは5年前の入学式だった。周りの景色が色褪せるほど彼女は一際輝いて見えた。”一目惚れ”そんなチープな言葉で片付けたくないけど僕は一瞬で恋に落ちた。
そんな彼女に少しでも近づきたくて彼女を追うようにやったこともない吹奏楽部に入った。後ろから彼女が演奏する姿を見ていると何度もティンパニを叩き忘れて先生に怒られた。そんな僕を見て彼女は笑ってくれた。
初めての告白は高校1年の冬休み前。
部活終わりに誰もいなくなった音楽室で気持ちを伝えた。
「ごめんね。今付き合ってる人がいるんだ。橋本くんとはこれからも友達でいようよ」
少し困った顔をして彼女はそう言った。
アイツと付き合ってることもフラれることも分かっていた。
分かっていて告白をした。
日に日に大きくなっていく彼女への気持ちに苦しくなっていた。
「告白してフラれたら気持ちの整理がつく」と何かの雑誌で読んだ。
自分の気持ちを彼女に伝え、そしてフラれることで彼女を僕の中から消したかった。フラれて落ち込むだけの無意味な告白にしたくなかった。
けれど雑誌に書かれていたことは結局ウソだった。
フラれても彼女は僕の中から消えてくれなかった。それどころかその存在はどんどんと大きくなっていった。
それからも彼女はこともなげに僕と接した。
勉強や部活のこと、昨日見たTVの話など他愛のない話を無邪気に話してくる彼女が悔しいけどやっぱり好きだった。
学校帰りの電車の中。
「アイツ、多分浮気してるんだよね…」思いつめた顔で話す彼女に胸が苦しくなった。彼女にそんな思いをさせたアイツが憎らしかったけど、同時に淡い期待も抱いた。
「アイツなんてやめて僕にしなよ」喉まで出た言葉を飲み込んで、バカみたいにアイツをかばった。彼女がアイツを好きなことは分かっていたから。「橋本くん、優しいね」涙目で言う彼女が愛おしかった。
夏合宿。
思うような演奏ができなくて泣いていた彼女。そんな彼女を本当は抱きしめて慰めたかった。でも僕にはそんなことは出来なくて彼女が泣きやむまでただ側にいた。「橋本くんに話したらなんかスッキリした」笑う彼女が眩しかった。
真夜中。
「もうアイツのことは忘れる」彼女から急に送られてきたLINE。勇気を出して2回目の告白をした。彼女の側にアイツはいない。今なら僕を見てもらえると思った。「ありがとう。嬉しい」イエスなのかよく分からない返事にやっぱり彼女はズルいなぁと思った。それでもフラれなかったことが嬉しかった。
…2ヵ月後、彼女の側にいたのはアイツだったけど。
彼女とアイツが3回目の別れをしたあの日。
「今からこれる?」と彼女から連絡が入った。薄暗い彼女の部屋、二人きりの僕ら、僕の胸に顔をうずめる彼女。彼女を抱きしめたかった。でも出来なかった。もう僕は分かっていた。アイツが側にきたら。もし彼女の側にきたら。彼女は僕から離れてアイツを捕まえるんだ。きっとその繰り返し。だから彼女は僕を手放せない。
それから彼女とアイツは何度も別れた。数えるのが馬鹿らしいくらいに。
そして。
僕は今も彼女の側にいる。
僕は今も彼女を想っている。
****
冬の色か。
いつの間にかちらつき始めた白い雪にそんな事を思う。右ポケットからスマホを取り出して時間を見る。ふいに右手に持ったスマホが振動た。
画面に彼女の名前が表示される。
可愛らしいネコが親指を立てて「OK」と言っているスタンプを1つだけ彼女に送った。なるべく重くならないように。これが日常だと自分に言い聞かせるように。
左ポケットから缶コーヒーを出した。プルトップに指をかけてふと思い留まる。すっかり温くなって役目を失った缶コーヒーに自分を重ねて、また左ポケットにしまった。
地面に落ちた白い雪が跡形もなく消えていく。
こんな風に想いが消えたら楽なのにな、なんて望んでもいないことを思う自分に少し笑った。彼女からの返信がないことを確認して僕は時計台を離れた。
おしまい
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