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『葬送のフリーレン』はリフレーミングである

大好きだったアニメ『葬送のフリーレン』が終わってしまいました(完結はしていないので続編が楽しみ)。
『葬送のフリーレン』は魔王討伐が終わった後から、物語が始まる斬新な設定で話題を呼びました。私自身、現在53歳で、人生のピークを過ぎていると言えるかもしれません。でもピークを過ぎた後の人生も長いですし、とても大事なものです。それを思い起こさせてくれます。

魔法使いの主人公フリーレンは、勇者たちと魔王討伐の旅を終えて凱旋した後、別の仲間たちと2回目の旅をします。フリーレンは、不器用で鈍感です。1回目の旅で、仲間たちの気持ちに気づいていません。しかし、2回目の旅の行程で、1回目の旅を思い出し、リフレーミングするのです。リフレーミングとは見方や捉え方を変えることです。過去を変えることはできませんが、過去の捉え方は変えることができます。受け取り方や意味づけは変えられるのです。

1回目の旅で、勇者ヒンメルに「僕たちは君が凄い魔法使いであることを知っている。それでいいじゃないか。」と言われますが、素直に受け入れられません。しかし、2回目の旅で弟子のフェルンの「私たちはフリーレン様が凄い魔法使いであることを知っていますから。」という言葉を素直に受け入れられます。そして、1回目の旅での勇者ヒンメルの同じ言葉を思い出すのです。

1回目の旅で、寝坊して新年祭に参加しなかったフリーレンは、勇者ヒンメルに「何故来なかったんだ。君にも楽しんでほしかった。」と言われます。フリーレンは、新年祭がそんなに楽しいものか疑問視していましたが、2回目の旅で一応新年祭に行ってみます。そして勇者ヒンメルの言葉の意味を捉えなおすのです。

後輩だった自分が先輩になり、子どもだった自分が大人になり親になり、部下だった自分が上司になり、傍観者だったのが参加者になり、参加者だった自分が運営者になり、フォロアーだった自分がリーダーになることがあります。そのときに、過去の捉え方が変わることがあるでしょう。

1回目で分かればよいではないかと思うかもしれません。しかし、1回目で分からないからこそ、他人に寛容になれるのではないでしょうか。人の不器用さや未熟さを許すためにも、むしろ時間をかけてリフレーミングすることにこそ、価値があるのではないかと思うのです。

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