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100年後の東京の森をつくる東京チェンソーズの湯

8月26日(金)〜28日(日)に小杉湯で開催される東京チェンソーズの湯。

「東京チェンソーズ」は、東京都檜原村で持続可能な森づくりをテーマに活動する林業会社です。“美しい森を育み、活かし、届ける” を掲げる彼らは、東京の森で木を植え、育て、伐採して人々へ届けるだけでなく、1本まるごと木を活かした商品開発で付加価値を高めるなど、新しい林業のあり方に挑戦しています。

東京チェンソーズの活動をより深く知るために、今回は小杉湯のメンバーが東京チェンソーズさんと檜原村の森を巡りながら、“美しい森を育み、活かし、届ける“とはどういうことか、彼らの目指す未来の話を聞いてきました。

美しいもりを育む : 100年後の森を目指して木を育む人たち

檜原村の払沢の滝入り口から車でぐんぐん細い山道を登り、見晴らしのいい丘からツアーがスタートです。今日案内していただいたのは、東京チェンソーズの吉田さんと髙橋さん。目の前に連なる山を見下ろしながら、檜原村の山の歴史を教えてもらいました。

高台から山を眺めながら森の歴史を学びます

「ここから見える山はだいたい60〜70歳くらいの木がほとんどです。もともとは檜原の森はかつて広葉樹が大半でしたが、戦争で大量に木が切り出されました。その後、戦後の復興で建材としての木が必要になったため、杉やヒノキなどまっすぐ伸びて柔らかく、加工がしやすい木を増やそうという国の方針により、1日200本のペースで針葉樹が植えられていった歴史があります。その結果、今では山の6割にあたる面積が人工林の針葉樹林になりました。」

檜原村の山の成り立ちを話す東京チェンソーズ吉田さん

「しかし、日本が高度経済成長期に入っても戦後に植えた苗木はまだ20年ほど。人間の経済成長のスピードに、木の成長は圧倒的に間に合わなかった。その結果、海外から輸入を自由にできるようにして安い外国産の資材が市場に出回ったため、1980年をピークに、日本の木材の価格はどんどん安くなっていきました。」

輸入材が主流となり、国産の木の価値が低下するに従って林業従事者は事業が成り立たず激減。人の手で植林された後に放置された森は、密集した木を間引く「間伐」が行われず、混み合った葉に遮られて地上に光が入らないため、木がヒョロヒョロと細くなったり曲がったりしてさらに使い道がなくなってしまい、多様性が失われ山も痩せてゆくという負のループに陥っていきました。

実際に間伐されていたエリアとそうでないエリアは、木の細さや年輪の幅でも明らかな違いがありました

「一度人の手を入れて植生を変えた山は、広葉樹や針葉樹が入り混じる自然な山に戻るまでに長い年月がかかります。」と話す吉田さん。

林業は、気候や地形など木の育つ環境によって生育が全く異なるので、70年、100年経った時にどうなるのか誰にも分かりません。
今はほとんどが苗木を植えることによって出来あがった森ですが、森の中で「実生(みしょう)」と呼ばれる小さな小さな杉やヒノキの赤ちゃんが産まれているのを見つけると、「100年後これが育ったら、植生の豊かな森が生まれるぞ」とわくわくするそう。

自然と生まれた杉やヒノキの赤ちゃんである実生

10年、50年、100年後を想像しながら森と向き合うということは、自分の植えた木が必ずしも自分が生きている間に使われるかわからないということ。
次世代に繋ぐことが前提の果てしなく長い木の時間軸を感じて、人が自然に手を入れることの責任の大きさを感じました。

美しい森を生かす : 付加価値をつけ、使って守る循環をつくる

木が成長している間の経済の変化によって、木の価値もどんどん変わっていきます。70年かけて育った木でも、3mに切り出して市場に持って行った1本の平均買取り単価はなんと2500円ほど(衝撃!!)。70年で2500円にしかならないとなると、従事する人が減っていくのも頷ける気がします。

森に手を入れる作業費用や機材費を賄うためには、切った木の使い道を作り→付加価値をつけて販売し→林業従事者が生活できるようにして森を守るという循環が必要です。

東京チェンソーズでは、材木をそのまま切り売りするのではなく、「木をまるごと使い切る」という考え方で、自分達で乾燥・加工を行い、家具やおもちゃとして世の中に出して木材の付加価値を高めています。
また、建築屋さんやデザイナーなど異業種の方に森を案内し、今まで廃材として捨てていた根っこや枝も含めた木を、丸ごとを売り物にできる事例を作ることで木の使い方の可能性を広げ、新しい森の守り方に挑戦していました。

根っこなど、今まで見向きもされなかったものに価値をつけていけるのは面白いです、と髙橋さん

山を歩いた後に訪れた東京チェンソーズの材木置き場には、普通の材木置き場では見れないような、両手を回しても届かないほどの大きな木の根や、まるでアートピースのような枝を張った幹がたくさんあり、「1本まるごと使い切る」様子がとてもよくわかります。

樹齢120年ほどの大きな木の根

“間伐材“と言うと「不要な木」という印象がついてしまっていますが、実際は立派に商材となる可能性を持った杉やヒノキ。
ナラ枯れという虫害で枯れた広葉樹や、間引くために切った木々も、その後それを商品としてどう生かし、どう届けるのかのアイデアを常に考えているのがとても印象的でした。

メンバーが現場から集めてきた、「おもしろい木」がずらりと並ぶ材木置き場。奥の切り株はシシガミ様と呼ばれているそう。

美しい森を届ける : 森と街の共生をめざして

森での取り組みを人々に知ってもらうため、出張イベントや体験型のワークショップなど幅広い活動を行っている東京チェンソーズ。
廃材を利用して、おもちゃや花瓶など20種類以上の商品を作って販売したり、大きなノコギリで丸太を1本切ってみるなど、森が身近に感じられるようなユニークな体験を企画しています。

オフィス兼作業場が隣接した檜原村のおもちゃ美術館

今回、東京チェンソーズの湯に向けて特別に入れていただいた倉庫には、つるつるに磨いた木の枝や、看板になりそうな薄い木の皮など、あまり目にすることのない木のいろんな部位の素材がぎっしり詰まっていました。

小杉湯に持って帰る素材をその場で一緒に選びます
そのままオブジェになる躍動感満点の木の根

私たちの山での活動と皆さんの暮らしがつながっていると、自分ごと化する人が増えていったら嬉しい、と話す吉田さん。

吉田さんも髙橋さんも、元々は全く違う業界で働いていましたが、東京チェンソーズの活動を知り、林業業界に飛び込みました。課題もたくさんあるけれど、やりがいの方が大きいのだそう。
「まずは小さくてもいいから成功事例をつみ重ねていきたい。目指すのは森と街の共生です。政府主導ではなく、民間から100年後の豊かな森を作る生業を成り立たせてゆくことを、檜原の山で実現していきたいですね。」

旅を終えて : 林業とくらしは繋がっている

林業によってかつて植林された森に人の手が入ることで、地面に光が入り、木の下に生物が集まり、種が落ちて木の根が張る。その結果、多様な生物の森が生まれ、土砂崩れが減り、私たちの暮らしを支える栄養を蓄えた水は川となって海の生物に届く。豊かな森を守ることは私たちの生活や地球環境を守ることにも直結していました。

いつも銭湯で使っている地下水も、元をたどれば雨が降って山に染み込んだ水の恵み。都会に暮らしていると見過ごしがちですが、実は私たちは東京の山の恩恵を日々受けています。

東京チェンソーズの方々とお話していると、「70年後」「100年後」「1000年後」という言葉が当たり前のように出てきます。
100年後の暮らしを守る存在でありつづけることを目指す小杉湯と、100年後の森を作ってゆく東京チェンソーズ。全く違う職種ではありますが、次の世代にバトンを渡すことを前提とした時間軸の仕事であるところが、なんだかとても似ているなと感じました。

当日は、檜原村から届いた大きな木の根や切り株の椅子、日常に森を感じられる木のオリジナルアイテムがたくさん揃います。お風呂にのんびり浸かって、東京の森の香りを存分にお楽しみください!

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