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eps.8 茶産業について


このnoteにこの題材の文章を書くかどうか、ちょっとニッチな内容な気がして、書くか迷いましたがとりあえず書きます。(このnoteは僕の言語化能力の訓練と同時にタイピングの練習なので内容云々はご愛嬌で)

僕たちの住んでいる地域には茶畑が当たり前にあります。
そう、当たり前にあるんです。

僕は以前、茶農家としてお茶を作っていました。畑の管理から製茶まで全部やってました。当時は別にお茶に対する危機感とか興味とかは薄く、一つの業務としてやっていました。朝から畑で作業して昼は外で日向ぼっこしながら休憩して日が暮れるまでまた畑で作業する。天気予報を見ながら雨なのか晴れなのか暑いのか寒いのか、天気に追われつつ、季節を追っていました。(夏は溶けるぐらい暑すぎて、外にいることすらきつかった。日焼けもえげつなかった。日焼け止め塗ってなかった)

けれど今になって思うのは、お茶畑が近くにあることって当たり前の景色ではないんだな、と。茶農家が汗水垂らして必死で管理しているから綺麗に保たれ、その努力の結晶として、4月中旬から一番茶時期の新芽の生え揃った色鮮やかな景色になるんです。でもこれって奇跡的なことだと僕は思うんです。数十年前、お茶の単価は今と比べ物にならないぐらい良い値段がつけられ、作ったらバンバン売れる時代だったそうです。しかし今は全然違います。お茶の取引価格は下降し、お茶を作っていても利益が出ない、なんなら赤字になる農家さんも増えています。だからどんどんお茶をやめる農家さんが増え、放置茶園も増え、いつも見ていた綺麗に管理された景色が荒れ、情緒溢れる地域の産物が減っていってるんです。これって、この地域に住んでいる一人の人間として、すごく寂しく、悔しく思います。っていう状況であることに気づいていない人が多くいることもすごく寂しく思います。
わかっていても、見て見ぬ振りをする、なんとなくスルーしながら生きていく、多分それが今の普通なのかもしれません。

結局何が言いたいのか??

僕は、もっともっと地域の景色に興味を持って、懐かしさを忘れずに、自分の住んでいる(住んでいた)地域に誇りを持ってほしい、そう思っています。
知り合いの方の言葉をお借りするのですが「私たちは風景の中に住んでいる」と言う言葉をいただいたことがあります。まさにその通りです。
何もないと吐き捨てるだけの勿体無いことはせず、もっともっと、茶畑が綺麗な景色であることを感じて欲しいです。インターネットやSNSが普及してどんどん進化し変わっていく世界がある中で、廃れていくことがあると言うことにも目を向けられる人になっていけたらと、そう思います。

僕らが子どもの頃、茶畑の中を走り回って鬼ごっこした記憶が、いつかどこかで僕らと同じように茶畑を無邪気に走り回る子どもたちを見て、思い起こされるように。微弱ながら携わっていきたいなと思っています。

特にまとまりのない文章でしたが、とりあえずこの映像を見ていただけたら何かの気づきがあるかもしれません。読んでくれてありがとうございました。では、また!


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