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いつもの教室

「オレら話すの初めてじゃね?」
「たぶん」
 森山さんは短く返事をすると、黙ってしまった。篠原君みたいなタイプが苦手なのだろう。クラス替えから間がない。まだ探り合いの期間だ。
 目立ちすぎないように。
 でも、存在感を示せるように。
 キャラ作りに失敗しても、やり直せないところが、ゲームと違う。でも、死んだら復活できないのは、人生がゲームより優れている点だと思う。
「オレが担任に呼び出しくらう理由はいくらでもあるけど、なんで森山と委員長もいるの?」
「私は委員長だから呼ばれただけだよ」
 親しみは込めず、だけど拒絶感は出さないように気をつける。篠原君は、土足で踏み込んでくるタイプだろうし、森山さんは、すがってくる感じがする。
 これ以上、余分な荷物はいらない。
「私は、タブレット管理の係だったから。犯人じゃないかって、誰かが言ったみたい」
 森山さんがためらいがちに答える。小さな声が、放課後の教室に吸い込まれると、再び沈黙が訪れた。
 沈黙は苦手じゃない。むしろ心地良い。

 指定時刻から十五分が過ぎたが担任はまだ来ない。三人で話し合えという意図なのか。
「つまり、この呼び出しは、あの詩ってことだよな。オレじゃないんだけどな~」
「でしょうね。操作に詳しいようには見えないから」
 ひでぇと篠原君がむくれる。名前だけの囲碁将棋部員。夜遅くまで、駅周辺をうろついていると、聞いたことがある。
「詩って言えばさ、YELLOWって知ってる? 天才的詩を書く人。オレ、あいつの詩好きなんだ。噂じゃ、ここの先輩らしいぜ」
「その人が書いたって言いたいの? 仮にそうでも、クラス全員のタブレットにどうやって送ったの?」
 少しイラッとした。

「違う違う。っていうか、委員長って意外と怒りっぽいんだな。オレが言いたいのは、あの詩が好きだってこと。YELLOWの詩もそうなんだけど、いい詩を読むと曲が浮かぶんだよね」
「篠原君、作曲できるの?」
 それまで黙り込んでいた森山さんが、いきなり入ってきた。
「まあな。幼稚園からピアノ習ってるんだ。今も駅前の教室に通ってる。似合わないだろ」
「そんなことないよ。楽器できる人尊敬だよ。音楽は好きだけど、演奏はまるでダメだから。私だったら、朗読したい、かな。……実は、声優目指してるんだ」
「朗読いいね~。声優か、すげーじゃん! 森山って、声可愛いしな」
「えっ、……ありがとう。結局あの詩って、誰のなんだろうね。この前の課題だよね」
「あの課題はきつかった。……全員に送信されてたってことは、もしかして、あれを見習えってことじゃね? 模範解答的なやつ」
「それなら納得。内容も良かったし、テーマにも合っていたし。そうなると犯人は先生だったりして」
「まさか先生が作者? いや、ないな。あんないいの書けないだろ」
 二人の会話に、口もとが緩んでいたようだ。
「あれ? 委員長もあの詩、好き?」
「……私もいいと思った」
「へ~、委員長ってお堅いイメージあったけど、意外と話せるんだな。短気だし」
「短気は余分」

 中学でクラス委員を務めてからずっと、真面目な自分を演じてきた。それを求められていると思っていたから。それは高校に入った今も同じだ。最初のクラス委員を引き受けて以来、名前で呼ばれることは少ない。常に委員長と呼ばれてきた。このまま卒業するんだと思っていた。
 現代文で、詩の作成が課題として出された。テーマは若者の日常。
『採点する以外には使わないから、自由に書けよ』
 読むのが先生だけなら、何を言われても創作を言い訳けにできる。自分のイメージを気にせず自由に書いた。
 その詩が、クラス中のタブレットに送られていると知って震えた。私のだとバレたらどうしようと不安になった。私のイメージから外れ過ぎていたからだ。
 そのとき初めて、私は自分のキャラから外れることを怖がっていると、気がついた。
 委員長のキャラは、臆病を隠すための仮面だった? 周囲と距離ができたときの言い訳だった?
 誰がなんのために全員に送ったのか気になった。犯人は私のことを知っている。あれからずっと心が落ち着かないまま。毎日、見知らぬ教室に入り込んだ気分で過ごしていた。
 だけど犯人が先生だったなら……。

「あの詩が分かるってことは、委員長もたいへんなんだな」
「私……力になれないかもしれないけど、話し聞くだけならできるから」
 普段と違う顔。それを二人はためらいなく出していた。いや、キャラを決めつけていたのは、私だ。仮面をつけて、周りを知ろうとさえしてこなかった。
 これが二人の、当たり前の姿かもしれない。
 恐怖と期待の間でためらった。仮面をつけていたから、距離の縮め方もタイミングもよく分からない。でも、今なんだと思う。
 委員長という役割が仮面だと意識してから、息苦しさが抜けなかった。仮面を外したかった。
「それなら……名前で呼んでくれるかな」
「うん、小早川さん」
 森山さんに名前を呼ばれた瞬間、委員長から、自分に戻った気がした。仮面が外れたのだろう。私がいるのは見知らぬ場所ではなく、見慣れたいつもの教室だった。
「委員長って、小早川っていうんだ」
「篠原君、その発言サイテー」
 二人に向けた笑顔はぎこちなかった気がする。
 委員長の仮面をつけなくても、大丈夫だろうか。
 周りの音は、良く聞こえた。今までより、世界が明るく感じる。
 ……きっと大丈夫。やっていける。
「あらためて、よろしくね」
「オッケー。それにしても先生遅いな~。そうだ、来るまで森山朗読してよ」
「え? ……う、うん」





『呼吸 

 朝起きてスマホのチェックをすると
   LINEの未読は200件
 個性を消すための制服に手を通す
 駅からは、記憶に残らない会話をしながら学校へ向かう

 教室では
 さかりのついた男子がイライラを放ち
 発情期の女子が
   1オクターブ高い声を出して
 周囲に聞こえるように推しについて語っている

 肉食も草食も
 無関心な振りをして
 お互いに見張り合っている

 ひとりでいたいのに
 ひとりじゃ痛い

 私の笑顔は上手にできている?

 生きるのに不要な授業を
 マニュアル通りに進める教師
 小さな集団の中で生け贄になった人形は、
    黒板も見ずにうつむいたまま

 ここはまるで水の中
 息ができない

 画面の向こうの偽物と悪意が、
   ノイズの波となって寄せては返す

 昔若者だった人達の目は泥水と同じ
 くすんだ色を隠そうともしない

 おまえのためだ
 あなたのためよ
 世間の評価しか考えない
    両親の有り難い言葉

 くだらない
 そう思いながら昔のロックを聴き、
    数学の本を開く

 大人の身体に変化をしつつ
 心はまだ大人になりきれない
 いつから大人になるんだろう
 くだらないものに
 私もなっていくのか

 明日も同じ朝が来る
 繰り返し繰り返し繰り返し

 息苦しさに窓を開けると
 夜空で三日月が笑っていた

 今日初めて、呼吸ができた』

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