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いつもの毎日

 ずっとイライラしている。
 原因はわかっている。でもどうにもできない。
 また、結果は出なかった。
 俺はあいつみたいにならない。高校を卒業したらちゃんと就職して働く。だからそれまでは、好きなことをする。そう決めて一年間やってきた。好きだから、眠る時間を削ってもやってこれた。
 それなのに、イライラする。
 あと半年。
 ……本当は就職したくない。好きなことを、漫画を描くことを仕事にしたい。だけど、応募したコンテストは、ことごとく落ちた。
 ベッドに飛び込み、枕に顔を押しつける。
「ー!」
 声を殺して叫ぶ。気持ちが落ち着くまで何度も叫ぶ。

 息苦しくなって顔を上げた。リビングの笑い声が聞こえる。毎日家でダラダラしている兄ちゃんの声だ。
「突然だけど、絵の勉強したくなった」
 そう言った次の日から、兄ちゃんは大学に行かなくなった。それに対し、父さんも母さんも「そうなの?」の一言で済ませた。
 何があったのか知らないけど、兄ちゃんは経済学部の2年生を、突然放り出した。兄ちゃんが大学に行くようになって、父さんはビールを減らし、母さんはパートを始めた。それは今も続いている。
 兄ちゃんと違って、俺は頭が良くない。だから、就職することにした。それなのに。
 落ち着いたイライラがぶり返してきた。

「なぁ翼、ちょっと画材貸してくれよ」
 兄ちゃんがいきなり部屋のドアを開けた。
「ねえよ! 絵なんて描いてないし」
 とっさに嘘が出た。漫画を描いていることは、家族には内緒にしていた。
「隠さなくてもいいのに。昔から絵好きだろ。翼が画材切らすはずがない」
「今はもう描いてない」
「嘘だね。この前翼が描いた漫画見たよ。絵も上手いし面白かったぞ」
「何勝手に見てんだよ! それに漫画なんて描いてないからな! 出てけよ!」
 兄ちゃんを部屋から追い出した。
 漫画を見られた恥ずかしさと怒りが、身体から飛び出そうと、ぐるぐるしている。兄ちゃんへの怒りじゃない。堂々と漫画を描いていると言えない自分に腹がたつ。
「ほんとムカつく!」
 顔を枕に埋め込んで叫んだ。
 大学受験のため、夜も休みもなく勉強していた兄ちゃんが、ぐうたらしながら絵だなんて、この先どうするんだよ。
 だいたい、絵はそんなに簡単じゃないんだぞ。あームカつく!

***

 駅を出て友達と別れると、気持ちがワンランク軽くなる。学校では今日もいつも通り、みんなに調子を合わせて過ごした。
「翼くん」
 振り返ると穂乃花さんがいた。
「圭太、家にいる?」
「いると思いますよ」
「大学やめる理由知ってる?」
「絵を描きたいみたいですよ」
「そっか。一緒に行ってもいい?」
「もちろん」
 寂しそうな顔してる。しばらく合ってなかったみたいだしな。同じ大学に、こんな可愛い彼女がいるのにやめるなんて、あいつは本当にバカだ。

 家に着いたが、兄ちゃんはいなくて『北山病院にいる』と、母さんの字のメモと一万円札が置いてあった。
「病院? 母さんに何かあったのかな」
「本当に何にも話してないんだ……とりあえずタクシー呼ぶね」
 タクシーを待つ間、穂乃花さんから兄ちゃんが病気になったことを聞いた。脳の病気。筋力が低下するよくわからない病気。治療法はないらしい。
 兄ちゃんが病気だなんて信じられなかった。ずっとサッカーやってたし、風邪をひいたこともなかったのに。 
「急に教室で倒れて、しばらく起きなくて。目が覚めたら、夢を見ていたって言ったの。翼君と絵を描いていて、楽しかったって」
 そういえば、昔はよく一緒に絵を描いていた。
「同じような毎日が続くのが、当たり前だって思っていたけど……」
 穂乃花さんはそれっきり口をつぐんでしまった。タクシーの中でも無言だった。自分の心臓の音だけが、やけに耳にうるさかった。

「お? 穂乃花も一緒に来たんだ」
 病室のベッドに起き上がっていた兄ちゃんは、家にいるときより元気だった。
「母さんはちょっと出ているけど、すぐ戻ると思うよ。ところで穂乃花、あれ持ってきてくれた?」
 穂乃花さんが取り出したのは、一冊の本だった。
「これこれ、サンキュー。で、これは翼にプレゼント。ずっと前にテレビで見た、ミュージシャンのPV映像あっただろ。翼がすげーって感動してたやつ。あの絵、当時中学だったA3ってヤツが描いたんだってな。今は翼と同じ高校生らしいぞ」
 兄ちゃんから渡されたのは、最近発売された、A3の画集だった。
「こんなの、きっとコネとか環境がいいんだろ。高校生が画集出すなんて、普通無理だし」
「翼だってまだまだ可能性あるだろ。毎日諦めずに描いるの知ってるぞ。俺は翼の絵が好きだよ」
 不満と怒りと不安が押し寄せキレそうになる。
 奥歯を噛みしめて病室を出た。
 なんだあれ。フラグなのか? 兄ちゃん死ぬのか?イライラだった感情に任せて画集を投げつけた。しばらく動けなかった。その中身が目に入ったからだ。一歩ずつ近づく。拾い上げる。
 すごい絵だった。圧倒された。どれを見ても、絵が好きだ! と訴えてくる。ページをめくるたびに悔しさと感激に満たされた。
 俺は……絵が好きだ。ものすごく好きだ! 
 繰り返す毎日は、いつも同じじゃない。
 負けない。絶対負けたくない。
 変えてやる。
 画集をしっかり抱え、兄ちゃんの病室へ戻った。

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