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古書のこしょこしょ話③ 〜語るなら未来を…〜

 歳の離れた人と会えば必ず「これからじゃん!羨ましいな」と言われる。私は返答に困り、「そうですね。頑張ります」とざっくり決意の言葉を口にする▶︎「昔は〜、私の頃は〜」という話もよく耳にする。その話の末尾には「恥ずかしいけど」がつく。その言葉を意識するようになったのがここ2年ほどのことだ。意識してみると、自分も後輩に使っていたことに気づいた。齢18の自分が発するその言葉に座りの悪さを感じた。そこで自分なりに、この言葉の隠された意味を読み解いてみようと思った▶︎人に自分のことを話すとき、学業や仕事、趣味については避けて通れない。この学校に入って、あの仕事に就き、あんな生活を送る。語る未来には選択がつきまとう。そして選択をするときには一つ以上の選択肢がある。この選択肢は可能性と言い換えることもできる。つまり、選択をする行為は可能性を潰すことと同義と言っても過言ではない。一方、振り返る過去には戻れない。振り返る過去は、すでに選択をしたあとのこと。過去にあった可能性は現在にはない▶︎第一志望の大学に合格した僕。今更、他の大学なんて考えていない。そこで、自らが他の大学に入るという選択肢を潰して今ここにいることに気づく。そのとき、タラレバが頭をよぎった。成功も失敗も、見知った思い出も見知らぬ思い出も。一気に、先に期待と不安が見えてきた。でもそれはどれも取るに足らない気がした。今はただリスタートに乾杯。

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