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失われゆく庭という体

お久しぶりです。
2年程更新せず放置していました...
やはり、続けていくことの大変さが改めて分かりました...

エビデンスをしっかり取って、校正をちゃんとして、記事のネタを考えて...
何て固く考えていたら日々の事に追われて、完全に忘れていました。笑

これからは素人なりに、ブログを書く感覚で更新出来ればと思います。
(そもそも見てくれる人がいるのか分かりませんが)


さて、今日の記事なんですが、最近「庭」について考えたというより「精神」、「身体」、「脳」について考える事が多く、その気付きを「庭」に当てはめた時に見えてきた(気がする)事を書きたいと思います。
エビデンスがしっかりしている訳でもないので、あくまでもエンタメとして読んでもらえると...
また意見や感想などが貰えると嬉しいです。


失われゆく庭という体

庭は脳的である

まずここで言う「庭」は「日本の庭」であるという事が前提としてあります。
「日本庭園」ではなく、「日本に作られる庭」です。
というのも、「庭」は誰が作るのかという事を考えた時に、勿論、「人」が作る訳で、その人が育った土地の環境や文化が強く庭へ反映されるものと考えています。
つまり、日本人の僕が純粋にアレコレ考えられる範囲も「日本の庭」にほぼ限定されるものと考えていいかと。

では、庭はどうやって作られるのか。
手や脚など体を使って庭づくりをするのですが、「こんな庭を作りたい」という発想や思想は「脳」からくるものであり、脳が庭をつくる(創る)と言っても良いと思います。

そんな脳がつくる庭ですが、日本で初めて作ったのは誰なんでしょうか。
日本最古の庭は三重県にある「城之越遺跡」だそうです。
古墳時代の3〜4世紀(300〜400年代)に作られたとされています。
当時の一般庶民が「オラ、庭なるものがつくりてぇ!」と言い出した可能性はゼロでは無いと思いますが、おそらく当時の権力者が何か思い描くものがあり、作庭した(させた)と思います。

権力者や思想家の思考(脳)から自然物を使って私有地につくるもの。それが庭なのかと。
お城の庭も寺院仏閣の庭もこの点は何も変わらないと思います。

では、「庭」はいつ体を手に入れたのでしょうか。


体となった庭

「庭」が体を手に入れた瞬間。
それは近代以降、庶民が庭つきの一戸建てを持つようになった時ではないかと思います。

色々調べると、江戸時代でも一部の庶民は庭(坪庭)を持っていたようですが、植木鉢で植物を育てる観葉ブーム的なものだったようです。
なので、観て育てて楽しむという点についてはまだ「脳的」なのかと。

では、何故近代以降の庶民の庭が「体」を手に入れたのか。
それは庭の所有者自身の「手入れ」が関係しています。

庶民も人間ですので、「縁起の良い松を植えたい」、「有名な石でも据えたら栄えそう」など、思考(脳)で庭をつくります。
しかし、権力者や裕福な家柄と違って、日常生活において庭を維持・管理しなければなりません。
掃き掃除から草むしり、枝が伸びれば剪定等、所有者自身で「手入れ」を行う必要があります。

この庭をそのまま自身の体に置き換えて考えると「髪が伸びたから散髪をする」、「無駄毛があるので抜く(剃る?)」、「汚れたから風呂に入る」などなど。
自然に起こる体の現象を当たり前に自分で手入れする。自然と共生し、生活していく。
それはいくら脳で考えても、思想があっても実際に体を使わなければつくれない、手入れをしなければ維持できない。
この営みによって、庭が体になったと考えています。

まぁ、近代以前でも権力者自身が庭仕事を率先していたのなら、それは間違いなく体となった庭になりますね。
庶民でも庭師に任せっきりだと「脳的な庭」のままだと言えます。


現代の庭事情

さて、現代の庭はどうでしょう。

お庭の終活なる「庭じまい」と言う言葉が出来るほど、庭はめんどくさいものになってしまいつつあるようです。

代々庭師が知恵と技術をもって仕立ててきた植木達も伐採されたり、幹や大きな枝をズバッと切り落としてスッキリ(ぽっかり?)させている庭がチラホラと。
新築の家では、雑草防止のシートが張り巡らせて砂利敷き。またはコンクリートの土間で固めて、元気のない植木が1、2本ひっそりと耐えて生きている。
そんな光景をよく見ます。
人間の体と同様、ムダ毛処理の為に永久脱毛しているような感覚なんでしょうか。
(実際のところ、永久ではないようですが笑)

そんな中、朝早くから草むしりや掃き掃除をしている田舎のじいちゃん、ばあちゃん(確率高め)、休日に首にタオルを巻いてホームセンターで買ったであろう刈り込み鋏で剪定をしているお父さんの姿を見ると、何だか安心する自分がいます。

利便性やお金や時間。
手間要らずで、綺麗な状態を維持したいと思う僕らの脳がそうさせているのか。
自然をそのままに、「え?庭あるんだから草も生えるでしょ」くらい簡単に思えなくなって来ている。そんな気がしています。



以上、こんな事を考えてみました。
言葉足らずで理解しにく文章になりました...
補足しまくると迷子になりそうなので、出来る限りの努力をした次第です...

まぁ最近、どこぞの底辺仕事ランキングで堂々の1位を獲得した「建設関係作業員」に含まれるであろう造園業のサラリーマンの独り言なので。笑
この件に関しても、外仕事という地味で泥臭い仕事を毛嫌いする人間の「脳」の作用の結果なのかなあと考えていたり...

あ、結局今回の記事のオチは?何が伝えたかったの?と思われたかも知りませんが、
簡単に言うと無駄毛ボーボーが良いよね!ってことですかね!笑
何故、無駄毛ボーボーが良いのかについては、次回の記事(手入れについて)で書きたいと思います!

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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