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逃げたあの日、僕のワーホリは始まった。

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僕は2016年9月、オーストラリアワーホリを決めました。 そして2019年某日、僕のワーホリが終わります。 これは、僕がワーホリを決めたあの夜から、そのワーホリを自分で終わらせ… もっと読む
ワーホリへ行きたい人 ワーホリへ行くか迷っている人 ワーホリへ行きたいけど、不安な人、怖い人 ワー… もっと詳しく
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第六章 ブリスベンの空は大切な事を教えてくれる。

物語の始まり、プロローグはこちらから↑↑無料です。 * * * マッサージの仕事にも慣れてきて、再びのブリスベン生活を楽しんでいたオーストラリア2年目のある日、僕はある決断をした。 残りのワーホリ生活をブリスベンで過ごすということだ。 元々ワーホリ2年目に入ったら西オーストラリアの都市、パースへ移動する予定だった。オーストラリアへ来る前、学校を調べていた時に知ったパースという都市。西オーストラリアでは一番大きな都市で、シドニー、メルボルン、ブリスベンに次ぐ

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第五章 貯まらないお金。溜まっていく不安とストレス。

プロローグ(無料)はこちらから。 * * * 2018年7月某日、ファームでの3ヶ月間の修行と、ひとり旅を終えて、再びブリスベンの地に戻ってきた。 ここからはいよいよワーキングホリデーの、ワーキングがメインになってくる。気持ちは、あくまでもホリデーだけど。 ブリスベンでの滞在先はすでに決まっていた。語学学校に通っていた時に住んでいたシェアハウスに戻るのだ。バッパー生活の時、幾度となく夢にまで見た快適なあの部屋に。 ちなみに2019年5月のこの時点でも、

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第四章 人生は旅のようだと言うけれど。

プロローグ(無料)はこちらから。 * * * 2018年6月27日、3ヶ月に渡るファーム生活が終わった。 ファーム最後の日は、午前中で終了。 あまりの嬉しさに、にやけが止まらなかった。 いよいよ僕の旅が始まる。 オーストラリアでは初めてのひとり旅。 旅の前はいつだってワクワクしている。 出発前のパッキング、バスや宿のブッキング。旅全体の流れは決めていても、具体的に、どこで、何をするのかは決めていかない。 情報は基本的に現地調達。

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第三章 僕の名前はMr.スティッカー。

2018年3月9日、オーストラリアに来てから4ヶ月間通った学校を卒業した。 最高の学校にうしろ髪ひかれながら、僕は次なる目的を果たすため、ブリスベンを後にした。 その次の目的とは、セカンドワーキングホリデービザ。 特定の条件をクリアすると、2年目のワーホリビザを取得できる。 その条件というのは以下のようなことだ。 ・ 指定された地域で働く ・ 指定された期間働く ・ 指定された職種で働く ・ セカンドビザの申請が1回目 ・ 31歳になっていない

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第二章 リスニング0点!?三角関係を育んだ語学学校。

2017年11月2日木曜日、オーストラリア・ブリスベンに到着。 金曜日にエージェントのオリエンテーションに行き、土日を挟んで、いよいよ月曜日から語学学校が始まった。 オーストラリアのワーキングホリデーでは、最大17週間(4ヶ月間)学校に通うことができる。 何度も言うように、僕の英語はからっきし。小心者の僕は、仕事をする勇気なんか到底持ち合わせていなかったので、当然のように4ヶ月間の語学学校を申し込んでいた。 日本で仕事に疲れてしまっていたこともあり、すぐ

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第一章 ジュリーとロングブラック。

2017年11月2日。オーストラリアに到着。 最初についた空港は「ケアンズ空港」。ブリスベンへの国内線に乗り換えるためだ。 僕が最初に選んだのは、ジェットスター。とにかく費用を抑えたかったので、当時はLCC以外の選択肢はなかった。 カンタス航空の方が安い場合もあると知ったのは、これから1年後のこと。成田⇄ブリスベン間は、タイミングによっては、カンタス直行便の方が安いから覚えておいてね。荷物の量にもよるけど。 英語がからっきしだった僕は、ここでトランジット

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第ゼロ章 ワーホリを決めた夜。

◁ プロローグ ワーホリの終わりはこちら。(無料) ✱ ✱ ✱ 2016年9月、僕は金沢にいた。見知らぬ外国人が隣に座り、僕はただ、ひたすらに英語という未知の言語を聞いていた。 今振り返ると、この時に僕のワーホリは始まっていたのかもしれない。 ✱ ✱ ✱  2016年8月、精神的に追い込まれて会社を休職。社長と話をして、しばしの時間をもらった。 当時の僕は地元のインテリアショップで働いていた。最初こそ順調で、だんだんと売り上げもあがり、お客様からの信頼も得られ

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