飲酒習慣を脱しよう #23 〜アニメ「平家物語」を観た〜

赤魚の粕漬けなどという酒の肴としては最高な一品を家で味わいつつも、今日も今日とてノンアルコール。
コーヒーと炭酸水がお友達。粕漬けを調理するときに油が跳ねまくって少し嫌な気持ちになりつつも、おいしく味わった。ほうれん草やピーマンの和え物も順調に消費し、週末の外出に余分なものを残さずいけそうだ。
たった数日間でも家を空けるとなるとあれこれ使い果たして出かけたくなるのはなぜだろう?家に戻ってきて空っぽで、もう一度構築し直さなくてはならないのに、空っぽが心地よく感じる。もちろん使い果たしきれないものはあるのだけど、できる限り使い、消費していきたくなる。今回もそう。そんなこんなで着々と準備を進めている。肝心の荷造りはまだだけどな!ふはは。
外出まではノンアルコール。



先日、数年ぶりに会ったTwitterのフォロワーと飲みに行った時に、羊文学の話になった。ここ2〜3年で私がよく聴くようになったバンドだ。何年か前に羊文学がフジロックに出た時にYouTubeの中継で観てとてもかっこいいバンドじゃないか!と目に留まったことがきっかけで聴き始めた。今も羊文学を聴きながら文字を打ち込んでいる。

いつかどこかで生でライブを観てみたいなとずっと思っていた。そんな思いが通じたのか、念願叶ってこの夏にはロッキンでもサマソニでも羊文学のライブを観る予定だ。
そんな羊文学が主題歌を務めたアニメ「平家物語」のことを先日会ったフォロワーが言っていた。私は見たことなかったが、羊文学の曲「光るとき」が使われているのは知っていた。

好きな曲だし、好きな曲が使われているアニメなので観てみようと思った。早速AmazonPrimeVideoをチェックしてマイリストにぶち込んだ。11話しかなかったため、すぐに見ることができた。

私は大学受験を日本史ではなく、世界史を選択した身なので、日本史にはあまり詳しくはない。だが、小学校から、中学校、高校の途中までは授業としてあったので勉強してはいた。薄らな記憶だが、成績も悪くはなかったはずだ。歴史科目は好きだったから。


⬇︎アマプラのリンク
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B09KDMMPDL/ref=atv_wl_hom_c_unkc_1_5

ざっくり言えば、アニメ「平家物語」は平家の絶頂から滅亡までを描いた作品だ。
話の大筋は歴史的流れに沿っている。だが、舞台が所謂平安時代であり、平家の人間たちとびわ(主人公?)が中心人物として描かれており、心情が主軸にある作品だなと思った。
政略結婚を前提に世が成り立ち、どの位に就くのか、どこの家が幅を利かせるのかが中心の世界。現代社会とは全く違うけれど、恩に報いる「忠」の精神が作品のあちらこちらで垣間見える。
大学受験の時に勉強した古文の世界観。
貴族社会から武家社会への過渡期となる時代。貴族的特権的地位に就きつつも、武士としての精神性も備えた平家。そんな平家と共に過ごすびわ。平家の栄華を極めた時代から衰退までを描いた作品。とてもおもしろかった。舞台の中心は京都だが、福原へ行ったり、厳島へ行ったりと平家ゆかりの地も登場していた。
数年前、私自身も厳島へ行き、平清盛神社を観に行ったことがある。ちなみに私が行った時に厳島神社は改修中だったし、干潮だった。
自分が行ったことある場所が描かれている作品は少し気持ちを寄せてしまう。共感性が芽生える。

「先」が見える特殊な目を持つびわと平家の物語。平家と朝廷の関係。この関係を取り持つために身を捧ぐ者、栄華に胡坐をかかずにこの先どうなるのか、どうすべきかと先を見据える者、平家の中にも様々な人物がいた。そして、平家と共にいるびわ。たとえ未来が見えたとしても、何も変えることはできない。ただ未来が見えるだけ。見えるだけで何もできないことに無力感や喪失感、絶望感を味わい続けていた。どうせ何もできないのなら見えない方がいい。知らない方がいい。そんなふうに思っていたびわが実の母に会い、考えが変わる。何もできなくとも、「どうか安らかに、静かに過ごせますように」と祈る。実の母と会った時には平家の没落は始まっていた。源氏が台頭し始めていた。そう遠くない内に平家の地位が追われることを多くの人が悟っていた。びわは平家の行く末を見届け、祈ることを決めた。平家の生き様を琵琶を奏で語り続けると決めた。最後の壇ノ浦の戦いにも足を延ばし、平家の最期を見届けた。
最期に至るまでに、貴族的生き方をしていた者が武士として生きていくように転換を迫られていた。戦いが正義とされる世界、戦いを好む者が好まれ、正義とされる世界。そんな世界で戦いを好まぬ者は弱者と見なされる。だが、争いのあるところには恨みが生まれる。恨みは恨みの連鎖が生まれる。それを断ち切るために許しを見出す者もいた。世界は争いと恨みだけではない。どこかで許さねば連鎖は断ち切れない。そんな葛藤の中でいっぱいいっぱいになってしまったものは出家する。個々人の様々な感情が描かれつつも、社会システムや慣習はきちんと時代に沿っていた。自分の罪への償いや、未亡人になった者、俗世へ絶望した者が出家していた。
出家という一線を退く選択肢がある当時を少し羨ましくも思った。

頭に浮かんだことをとりとめもなく書き連ねてしまった。
ただ、漠然と思ったことは個人意思というものが尊重されない社会なのだといこと。家の名のために結婚をしたり、出陣したりと個人ではどうしようもない社会システムの中でもがく個々人の姿がよく描かれていたなと思う。傍観者的立ち位置にいるびわからも苦悩が垣間見えた。当事者になりなにかができるわけではない。何かしようにも平家の人間ではないが故に何もできない。ただ見守るだけ。見届けるだけ。そして祈る。なにもできないからこそ、祈る。この祈りに対して持たせられた意味の大きさを作品のあちらこちらで感じ取った。

祈りというとなんだか、BUMP OF CHICKENを想起してしまうな。

くれぐれも気をつけて できれば笑っていて
忘れたらそのままで 魂の望む方へ

なんだか祈りを表してるかのような歌詞だなと頭に浮かんだ。古代も現代も関係なく、祈りというのは普遍的なのかもしれないな。社会システムにしろ、自然にしろ、何にせよ、個人ではどうしようもできないものは祈るしかない。祈るしかないからこそ、祈るということに様々な意味を持たせてきたのだろう。それが人類の文明発展の営みの根源にあるのかもしれない。

昔話を描いて、今にも共通する部分を描くというのはよくある手法なのかもしれないが、それだけ普遍性があるものには感情を揺り動かされる。
アニメにしろ、映画にしろ、小説にしろ、物語はやっぱりいいね。

滅茶苦茶話が脱線したけど、「平家物語」とても面白かった。interesting的な意味でのおもしろさ。
面白すぎたので「平家物語」をマブとも呼べるたまたま電話かけてきてくれた友人におすすめした。羊文学も併せておすすめした。観た感想や聴いた感想をそのうち聞けいてみたい。

そんなこんなでコンテンツ摂取の記録として残しておく。

羊文学聴いてみてね。私のおすすめだぜ。

何回だって言うよ 世界は美しいよ 
君がそれを諦めないからだよ
最終回のストーリーは初めから決まっていたとしても
今だけはここにあるよ

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