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どんな立場も仕事も「ファン」あって。

皆さんこんにちは。音楽プロデューサーで作曲家の齊藤耕太郎です。季節の変わり目を感じ始めた8月末。今年はどうも、例年以上に季節以上の何か大きなエネルギーの変化を感じる日々です。色んなことがありますね。

今日は、そんな変化が多い今だからこそ、僕の生き方、特に自分の仕事へのスタンスを皆さんに伝えようと思ってこのnoteを書いています。実は書くのに4日ほどかかっています。アルバム「VOYAGER」以来、久しぶりに、本当の意味で考えに考え抜いて表現しているな。

では、行きます。


どんな仕事でも、「ファン」の概念が最重要な時代

僕はもう広告マンではないので、数値を使って世の中を提言するような真似はしません。でも確実に、間違いなく感覚として存在するのは、すごいものより、「好きなもの」の方が信じられる時代だということ。

すごいって、他人事でしかない。

自分の琴線に触れる出来事でないと、人の心は動かない。心が動かないということは則ち、モノも買わないし、モノや人のことをシェアしようだなんて尚更思わない。

「スペック(数字、立場、権威など)より"エモ"」

が重要な時代が来たなと、
コロナ禍を通じてより一層感じています。

ここにも、同じことを書きましたが、

僕自身、それをアーティスト活動という非常に難しいことを追求していて毎日のように考えます。結局僕は100万人の方にSpotifyで曲を聴かれたから注目してもらえたのか?それってただのスペックで、重要なのは、その曲のことをどれほどの人が愛してくれているのかじゃん?

懐かしいな。この記事。

そこに気づいて以来、SpotifyやApple Musicが日々リスナー傾向をまとめている統計ツール「Spotify / Apple Music for Artists」をほとんど見なくなりました。すぐ上の記事で書いたこと、最近正直、全然意識してない。

それより今は、SNSやnoteをウォッチして、どんな声、どんな人が僕の音楽や言葉をシェアしてくれているのか、そしてその内容がどのようなものなのかを知りたいなと思っています。全力で拾いに行くよ、好意的な言葉はね。


その思想の元、ふと考えた

そういえば、ここ1年くらい
僕の音楽や言葉を聴いて、見て、一緒に仕事したいとオファーをくれる
監督(演出家)、クリエイティブ、マーケ、PRなどの方が増えた。
そして、どれも僕にとっては好条件な仕事ばかりじゃないか。

これって、アーティスト業を真面目にやり続けたことで、それまでの「とある音楽屋Aさん(CMの世界では音楽を作る人のことを"音楽屋さん"って呼ぶんですよ)」から脱却し始められた証拠だと僕は感じています。

予算ありきで、やってくれそうな人を探して発注するタイプの業務から、僕を指名してくれて、予算幅を僕が見積を出し、決めてきてもらって仕事が始まる仕事、そういえば増えたんですよね。

これって、2年間かけて、そしてこれからもずっと追い求めていく「自分と世界全体の繋がり、関係性、僕ができること」の中で少しずつ、「企業の(あるいは個人で業務委託されている)担当者の方」も僕のファンになってくれているんじゃないかと解釈しています。

実はこれまではずっと

to C
表現者として = 世の中と対話してファンの方々との交流を深める

to B
業務委託者として = 「クライアント」の課題に寄り添う

という感覚(特に後者)が呪縛的に身についていましたが、別にそんな風に考える必要ないなって最近感じ始めました。クライアントの夢を叶えていくだけじゃ役不足だなと思っているんです。「他の誰でもない僕が」クライアントの夢を叶えられるようになりたいなって思うんです。


サービスと、"ファンサービス"の違い


寄り添うのは、どちらも同じ。

でも、何故か企業やクライアントと呼ばれる仕事の場合だと、「クライアントが絶対」みたいな空気になる。極論ですが、かなり乱暴にいうと「下請け」だからでしょう。役に立つこと(サービス)が前提にある関係性で寄り添おうとすると、クライアントと「精神的な」上下関係が発生する。クライアントがそう感じていたらもう悲劇。でも実際は、受注した側の方が「クライアントさまさま」っていう空気を作りがちです。

「サービス」と「ファンサービス」って、
全くもって出発点が違うんです。
相手がファンかどうか、ファンになってもらおうとするかどうかが。

僕は、これから全ての仕事を「ファンサービス」だと、勝手に思って臨みます。Kotaro Saitoという音楽家が、人間が、関わることが課題を解決すること。他の誰でもなく、僕自身がメッセージを発信することを望んでもらえる環境を僕自身が作っていきます。

誰かの視点に
自分を合わせて生きる時代なんて
もう無意味だと思ってる。
僕の音を好きでいてくれる人にも、
そんな強さや勇気を届けていきたい。


自分が生きたいように生きて、
自分なりに世の中全体に何ができるかを必死に考えながら
日々行動して、こうして音楽や言葉でメッセージを届けていく。


そっちの方が、自分そのもので生きられている気がするし、そうしたことで顔も名前も知らない誰かと繋がって、「ファン」というこの世界で一番尊い存在を知ることができた。そんな素敵な出来事を、もっと同時多発的に、ありとあらゆる場所でみんなで感じて行けたら、最高じゃないですか。そのために、僕ができることはまだまだ沢山あるし、僕自身が自分を育てていかなければいけないことは

沢山あります。到達できているなんて全然思えない。

それを追求していくことは大変かもしれないけれど、今いちばんやりがいを感じます。コロナの最中にアルバムを作りきる、しかも一切の妥協をしないアルバムを。それを経たからこそ、腹を括れました。ピンチはチャンスって言葉はあまりに陳腐ですが、ピンチに気合入れるって、魂を鍛えられるんだな。それがこの数ヶ月のなかで、一番大きな会得でした。

まだ僕の最新作を知らない方、是非聴きながら読んでね。

さて。


そんな前提のお話で、note読者に少なからずいるであろう、
企業で何かの課題に向き合っている皆さん、
または僕のように業務委託されて向き合っている
フリーランスの皆さんに質問です。


普段、音のこと、どれくらい意識していますか?


例えば、働く環境で鳴り響いている「音」。
例えば、zoom打ち合わせの時の、声の明朗さ。
例えば、日々のSNSでポストするコンテンツに対する音楽。
勿論、企業CMやイベントなどで演出目的に使う音楽など。


音楽に限らず、音という要素は地球上で生活しているかぎり、多くの生物が検知して、その度に必要に応じて神経や感覚が反応する存在です。


日々、意識していない生活音も立派な「音」です。僕は効果音の仕事もやっているのですが、二次元であるアニメーションの絵に対して生命感を付与できる一番効果的な方法は「生活音をリアルに再現してあげること」だったりします。雑踏の音、水を飲む音、鳥のさえずり、PCのキーボードを叩く音。

最近はASMR(Autonomous Sensory Meridian Response)と呼ばれる、環境音や咀嚼音を集めた心地よい音が若い方達の間で人気と言います。音楽だけでなく、「音(以後サウンドと呼びます)」そのものが生物にとってリアルに心の奥まで浸透し、結果的に心の癒えに繋がっている。面白い現象。

VRやAR、MRなどテクノロジーの進化により、より音自体をリアル、場合によってはファンタジックに演出してあげることが人の感覚を刺激したり癒したり、その世界に「没頭させる」効果を高めることは科学的論拠なくとも皆さんに共感してもらえると思います。


重要性に気付けると、操ることを考えられる

鳴らす音量、鳴る音の帯域と人間の可聴帯域の関係性。静寂の作り方、もっと言うと、会話における間の長さで作る緊張感やテンポの良さなどなど。音を発することを意識していくだけで、日常生活におけるストレスはかなり緩和され、かつ人により感覚的に意思疎通が可能になります。

いくつか例を出してみようと思います。

携帯の固定電話と、LINE電話

僕は、大切なひととじっくり語らう時、一番よく使うのはLINE電話です。zoomではなく、LINE電話を選びます。何故だと思いますか?

答えは、

「サウンドキャラクター」が会話に向いているから。

なんです。意味がわからない方のために、少し説明しますね。


可聴帯域の広さ

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皆さん、この画面を見たことありますか?これはイコライザと言って、サウンドのキャラクターを特定の周波数帯を調整することで強調、緩和するのが目的です。数字が小さいほど低域(32Hz, 64Hz, 125Hz)中間を中域(250Hz〜4KHz)数字が大きい部分を高域(8KHz, 16KHz)です。

それぞれの周波数帯でサウンドキャラがあり、

低域:壁や体を振動して体感上のパワー
中域:人の耳に対して唐辛子を食べたときのような攻撃性
高域:抜けの良し悪し、大地から空に吹き抜けるような空気感

を備えています。各周波数帯の的確な制御によって、理想的な音像体感を作り上げるのが、サウンドエンジニアは言うまでもなく、現代の音楽家、特にトラックメイカーにとっても必須事項。


話を元に戻します。

LINE電話は、他の会話方法のどれよりもカジュアルで、かつ可聴帯域が広く、集音能力も高い会話ツールだと僕は強く感じます。はっきり言いますが、日常のありとあらゆる音を細やかに拾ってくれます。

相手が水を飲み込んだ時の「ゴクっ」という音
空間の性質(残響音の具合による違いが認識可能)
相手がいる場所から電話までの距離感

などなど。これら全て、視覚的な情報を得ずとも、感覚的に瞬時に判断できてしまうのがLINE電話のすごさです。ここまで書いて、人たらしの皆さんはお気づきでしょう。

LINE電話は嘘(主に浮気や得意先への嘘)が即バレます(笑)
場所が特定されたくない方はイヤフォンマイクを使うか、
通常の携帯電話で会話する流れを作りましょう。

通常の電話回線は、高域と低域が大きく削られ、ラジオで聴いているように籠もって聴こえがちです。床を踏み進む足音が低域成分や多かったり、残響音が超高域成分を含むと聴こえやすくなるため、その両方が削られることによって「空間における音像再現力」が著しく低下します。

逆に、仮に電話回線でしか会話ができないとなった場合、電話回線での会話上どうしても際立って聴こえがちな中域成分、特に人間の耳が痛く感じがちな1KHz~3KHzあたりを立たせすぎないよう意識して話すと、語気が強くならず、喧嘩の元が減ります。

社会に出た最初の最初に「電話は声が低く聴こえがちだから高く話したほうがいい」と誰かに言われたのですが、実はそれは間違いです。電話では「喉で発声せず脱力し優しく語りかけるように」話すことで、人間の耳障りになりやすい中域成分が和らぎ、気持ちを相手に伝えやすくなります。


話し方も、音楽的知識を用いればより明朗にできる

僕の友達に、「会話する時のスピードが速すぎて聞き取ってもらいにくい」逆に「会話のスピードが遅すぎて相手が怠いんじゃないか」と心配している人たちがこれまで何人もいました。

そんな人たちのことを頭の片隅に置きながら、音楽を作っていたその時、彼らの悩みを解消でき得るアプローチに気づいたんです。


エンヴェロープという概念をご存知でしょうか?

これだけ見たらなんのこっちゃという感じですよね。

わかりやすく、図を引用させてもらいます。

要は、音が発音されてから完全に鳴り止むまでの速度、みたいなことです。エンヴェロープを構成する要素をなるべく分かりやすく説明すると

①Attack(アタック):音が発音されてから最高潮に達するまでの時間
②Decay(ディケイ):音が最高潮に達してから減衰する時間
③Sustain(サスティン):減衰後、音が同じ強さで持続する時間
④Release(リリース):音が完全に鳴り止むまでの時間

の4つが存在します。

それぞれの頭文字を略してADSRと呼ばれることが多いこの概念。シンセサイザーで音色を作る時、この原理を利用して音色のキャラクターを形成します。このエンヴェロープを操ることで何が可能になるのか。頭の良い方ならきっともうお気づきですよね。


同じ速度でも音の体感速度を変えられるんです。

例えば、喋るのが速すぎると気にする人は、発音一語一語を、丁寧に長めにするだけで同じスピードで話しても言葉の端まではっきりと相手に聴こえるようになります。特に日本語は母音が強い言語。母音の最後まで丁寧に発音すると、信じられないくらいはっきり会話が伝わるようになります。

逆に喋るのがゆったりしている人が早めるときは、変に力んだりせずとも、音の頭にアクセントをつけてあげるだけで勝手に減衰までの時間が短くなり、歯切れよくスピード感ある発音が可能になります。


実質速度と、スピード感の違い

これは音楽におけるリズムにも通じることなのですが、音楽の構成要素の中で大きなものの一つ、BPM(1分間で何回刻むか)という楽曲速度の概念。よくクライアントに「もっとアップテンポにして躍動感を持たせて欲しい」とオーダーいただくことがありますが、ここで安易にBPMを上げるのはナンセンス。(と言いつつ僕も昔はやっていました)

先ほど話したADSR、そして周波数帯域のバランスを巧みに活用する、特にリズムの柱になるキックとベースの音の長さを調整するだけで、音のスピード感=印象は劇的に変化します。人は大体の場合印象で物を判断していて、科学的根拠より実際の印象を優先するのが常。実質速度を上げても印象をスロウにすることも逆に可能で、その妙が、特にダンスミュージックなど人の気持ちを高めて踊ってもらう音楽では一番大切な要素になります。


ただ、それを知識として持っているだけでは逆効果になることも

体感している「プロ」だからできることが沢山ある

僕は、音楽評論家の方で実際に音楽を作ったことがないのにコード理論や音色の妙などを語っているであろう論調を見るのがマジで嫌いです。好き嫌い、結構激しいみたいですが、特にこれ、本当に嫌いなんです(笑)

だって間違ってんじゃんよそれ。

っていうことを平気で書いている人が散見される。音楽、そしてサウンドって明文化が非常に難しい存在であるため、とても専門性が高く、かつ体感したことを言葉にできる人は本当に少ない。

自分の知識をひけらかす目的で、今日僕が伝えたことは使わないでいただきたいです。中途半端にそれをやることで、間違っているのに間違っていると言えず困るプロが山ほどいるからです。クライアントワークあるある。

特に、あなたが第三者に音について発注できる立場にある場合は、絶対にしないで欲しい。知識だけでは、音は語れないんです。周波数の話なんて特に非常に複雑で、一流の現場でも中域を抑えるために高域を削ったり、低域をブーストするために超低域をバッサリ削った方がよかったり、ケースバイケースで最適解は変わるのです。知識以上にセンスが求められるのが音の難しいところでもあったりして、それがプロフェッショナルたる由縁。


魅力的なサウンドを生むためにやっていること

ずばり、大きくは2つ!

①戦略:どんなサウンドを用いて、何を伝えるか(プロモーションも含む)
②表現:ピュアに感情を前面に出す、戦略上の理屈を超越する

①と②の順番が入れ替わることもあります。どちらが先に来るかは、どちらでも良いと僕は思っています。


最近は、時代の空気感そのものが一番のアイデアソースになっています。どんな音をどう使って何を作るか、そのヒントは既存の情報やデータなどではなく、SNSで発信されている見知らぬ人たちの声、街並みを眺めながらふと感情に引っかかった景色、人の表情から発想します。

一つのアイデアが、日々脳内にフローし続けているアイデアと掛け算された瞬間、大きなウネリが生まれます。良いコアアイデアは秒の間もなく、なぜそれを表現すべきなのか、そしてどうメッセージして誰に届けていくべきかが、まるで世界地図を測量しているかのように景色として描かれていく。

表現とメッセージが、感性の面・ロジックの面の両方で完璧なバランスで融合した瞬間に、僕は制作を開始します。だから自分が作ったサウンドに対して、必要があれば、全てを解説することができます。上で「表現は戦略上の理屈を超越する」と書いていますが、超越したとて戦略という道をしっかりと通り過ぎているから、骨太な表現を目指せるのだと感じます。


もし僕に、お仕事相談したいと思ってくれた人がいたら

やりましょう!サイトに問合せ欄があるのでいつでもご連絡を!

お話に発展性がありそうだなと思うお問い合わせであれば、基本的にはお返事したいと思っています。

アルバム「VOYAGER」の制作が終わって、僕のテーマはB to B、B to C共に「ファンになってくれる方々との絆を深めること」に変化しました。僕ら音楽家にとって、その境目は本来ある必要がなく、企業という組織体でファンになってくれる方々の存在は個人の皆さんの声とは別の質感のエンジンになってくれるんです。

僕の業務内容をもし上申または提案するようであれば、ご相談の際に記載いただければお返事のタイミングでお送りします。サイトに載せていない内容もお伝えできます。このnoteで綴ったことは、普段クライアントやクリエイティブ職の皆さんと打ち合わせをする際にお話している内容にもかなり通じるものがあるため、このnoteを見せていただくと話が早いかもしれません。


音楽家の新たなサステナビリティの道を拓きたい

普通は業務設計者専門職スタッフが分かれていることが多い音楽の世界で、僕はプロデュースは勿論のこと自らの感性と手で音楽や効果音などのサウンド制作をワンストップで扱う機会に恵まれました。

元々博報堂にいたため、比較的規模の大きい仕事を「サウンド全体担当」としてチーム編成し、と言いつつかなり自分自身が手を動かすことを自らの意思で選択し仕事に臨むことが独立直後からできていた。

そこに、アーティスト活動によって「自らのメッセージやスタンスを持って直接課題意識を投げかける」ことを会得できた自分は、模倣困難なキャリアを築くことができたなと感じています。


しかし。
このコロナ禍で、下請的要素が強い受注産業の危うさを垣間見ました。


今まで僕の音楽活動は、クライアントワークで培った知見、そして運転資金をアーティスト活動に投資しながら成長し続けてきました。今は、このコロナでもなんとかギリギリ、自分の表現活動を本気で妥協なく行えるだけの状況を構築できている。けれど、コロナを期に、僕自身も生き方を未来に向けて大きくシフトしていきたいと強く思った。

代替可能な受注産業は、あまりにも第三者のペースで物事が回りがちです。例えば広告プロモーションは得意先企業体力に余裕があるときに積極的に行えるもので、得意先自体がピンチになると、広告産業自体がなし崩しになるのは明らか。だとすれば、いかに「自分という存在そのもの」が産業の中核を担えるかが重要で、そのために時代に合わせた場で、「自分が開発したモノコトを自らの力で送り届けるか」が非常に重要なんです。


そのパワーの源は、相手が企業だろうと個人だろうと
「ファン」の皆さんの存在なんです。

僕が考えていること、感じていること、そして
それを惜しみなく出し切った先にある表現に
共鳴し、一緒にそのメッセージを世界に届けてくれる人たちの存在。


音楽家だけじゃ、これからの時代を乗り越えていくことは困難です。音楽家で商売をする人はもちろんだし、楽器を作る人、楽器の部品を作る人、完成した楽曲を使って何か夢や目標、企業課題を叶える人が、「愛を持って音楽に接してもらえる世の中」を僕は創造したいんです。


音楽や音に関わっている皆さんへ

今回、音楽家の方々にとって、業務に結び付けるための小バナシやフレームワークとしてこの話題を使ってもらえたらいいなと思ったのもあり、この記事を書いています。音楽だけでなく、音そのものが社会を構成している要素は、人に気づかれていないだけで本当に本当に本当に大きいんです。

僕らが追求していることって、
今この瞬間の時代はお金にならないことも多々あるけれど

元々は、神様に捧げるために作られているものでもあり
人間たちが一つになり躍り狂うためのものであり
「愛してる」を伝えるためのものだったりするじゃないですか。

その価値を一緒に知ってもらいましょう。そして、知ってもらった人の周囲に伝えてもらう努力を共にして、音が本来もつ希望を届けていきませんか。


俺らがやってること、結構ヤバいことですよ。

これからの時代は、背中で語るもよし、YouTubeを前に哲学を語るもよし、僕みたいにnoteで肉筆的に気持ちをぶつけるもよし、高速で進歩するありとあらゆる方法で気持ちを届ける「努力ができる場所がある」と思う。

自分が売れたいとか、自分が目立ちたいとか、そういうのも見透かされるでしょう。自分以外の誰だっていい。誰か「他」を心から想って発信した人の声を、紡ぎあっていけたらいいなと僕は思います。僕も調子に乗らないように気をつけます。でも、それを恐れるがあまりに言いたいことも言えないポイズン野郎には絶対にならないでおきます。そんな世の中にはさせない。


今回も長文ですね。読んでくれてありがとう。



齊藤 耕太郎 / Kotaro Saito

Cover photo by Kota Sasaki

よろしければサポートをお願いいたします。サポートいただけましたら機材投資、音源制作に回させていただき、更に良い音楽を届けられるよう遣わせていただきます。