<ネタにできる古典(14)>夕暮れについて対話する古典(和歌、連歌、枕草子より)
和歌を軸とした「秋」そして「夕暮れ」にかかわる言葉たちが織りなす、数百年をかけた対話を集めてみます。最初は平安中期に生きた藤原義孝の歌。
義孝は夭逝の歌人。百人一首の「君がため 惜しからざりし 命さへ ながくもがなと 思ひけるかな」でも知られています。「秋は尚」歌は『和漢朗詠集』(秋興・229)にも選ばれました。後の時代には後鳥羽院の命令で、藤原定家がこの歌の31字を歌頭に置いた三十一首の和歌を詠んでいます。勅撰集にこそ入りませんでしたが、愛唱されていた一首だったのでしょう。説話化もされていて、そこではこの歌は連歌だったということになっています。「秋は尚夕まぐれこそただならね」と詠まれた上句に対し、12歳の義孝少年が「荻の上風萩の下露」を付け、喝采を浴びたとか。
それから数十年後。義孝と同様の秋を味わったのが清少納言です。
それから150年ほど経った平安末期の藤原清輔の歌。
清輔は義孝や『枕草子』が秋の夕暮れを賞賛したのに対して秋の朝の美しさを歌いました。
次は清輔から数十年後の後鳥羽天皇の歌。
そして後鳥羽院から250年。連歌師宗祇らが歌います。
対話し、ことばを紡ぎ、思いを重ねる。
こうして文化は味わい深くなっていきます
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?