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新古今和歌集 5

 今朝は久しぶりに寒い朝でした。
 いつものように娘とゴミ捨てに出ます。ここ数日の春のような陽気のせいで、上着を着るのをすっかり忘れて。
 手を繋いでゴミ捨て場までおさんぽします。ゴミを捨てた後は抱っこ。寒い今朝は娘がぎゅっとしがみつきます。くっついているところがポカポカします。
 いつもなら上着の前を開いて娘を包み込むほどの寒さです。でも今日は上着がありません。娘には
「どうしてコート着てないの?」
と怒られてしまいました。怒りながらも寒いから、いつも以上にぎゅうぎゅうくっついてきます。
 ぷりぷりする娘を抱っこしながら、今朝のパパは幸せでした。

けふと言へばもろこしまでも行く春を都にのみと思ひけるかな

新古今和歌集 5 藤原俊成

 「立春」という題を貰って詠んだ歌です。だから「けふと言へば」は「立春である今日だというので」と言う意味。この時代にいくつも用例があります。6文字で使いやすいのかもしれませんね。何だか楽してる気もしますけど。

 もろこしは唐土。中国です。春は東からやってきて西に広がっていきます。「今日」を迎えた途端に京から大陸までぶわりと一気に春が広がるのです。歌がでっけえ。

 本歌として指摘されることもある歌があります。

遥かなるもろこしまでも行くものは秋の寝覚めの心なりけり

千載和歌集 秋下 302 大弐三位

 この「遥かなる」歌では秋の寝覚めの孤独な心が中国まで飛んでいきます。一方俊成の「けふと言へば」歌の心はどうやら都にとどまっていたようです。

 世界全体が春に染まる中で都の春のみを味わう自分を歌ったか。
 都の春のみを味わっていた自分を反省して世界全体が春に染まっていることに目を向けたのか。
 2通りの解釈があるようです。僕は後者を推します。春の京都の素晴らしさは言うまでも無いですけど、世界に背を向けて京を讃美するのってどこぞの日本万歳番組みたいで嫌なんです。
 もうすぐ春節ですね。日本も中国も春を楽しめますように。

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