キャスフィについて語る(前)

高貴な記事が大量に投稿されているnoteには相応しくない内容及び3月31日に間に合わせるために急いで作ったため未推敲で非常に読みづらい記事となっていますのでご了承ください.......

この記事を投稿するちょうど2年前の2021年3月31日、この日中規模掲示板であるキャスフィ掲示板が19年の歴史に幕を閉じた。

掲示板としては古参格にあたり、長年多くの利用者に愛されてきたサイトであった。

ここでは現在ネット上には僅かしか残っていないキャスフィについての記述を増す目的で

概要(大まかな歴史)、特徴、問題点、閉鎖以降の5つについて三つに分割してかつて存在した電子掲示板であり私の古巣でもあるキャスフィについて詳細に記していこうと思う。


・概要

キャスフィは2002年7月7日に当時立教大学に所属していたK氏によって設立された。(本名はネットを漁ればすぐに分かるがここではプライバシーの観点上伏せておく)

設立当初は学生が運営する個人サイトや奨学金、留学支援といったお役立ちリンクをかき集めたリンク集であり、掲示板としてのフォームではなかった。

キャスフィが設立された理由については、K氏が2004年6月11日のシブヤ経済新聞内での創設者のインタビュー内に於いて「学生同士のネットワークの作成が目的であった。」と語っている。

設立当初のキャスフィは「私立大学生」「国公立大学生」「大学院生」「短大生」「専門学校生」「高校生」「中学生」「小学生」にサイトを分類してリンク集を構成していた。
わかる通り学生層をターゲットとしており、これは掲示板になってからもずっと受け継がれていくものであった。

そんなキャスフィの雰囲気が一変したのは2004年頃。

掲示板が機能の一つとして追加されたことがきっかけとなり、段々とその掲示板とリンク集の割合が徐々に変化し、最終的に2005年の終わりには掲示板がキャスフィの主なサービスと化していった。
またイメージ刷新もされ、これまでのサイトカラーの紫色から水色に変わり、これは閉鎖までの17年間続くものになった。

そしてサイトの規模拡大と共にリレー小説企画やスタッフの募集などをするようになり、最終的には10数人程度で管理をしていたと推測された。

それと同時にルールや理念といったものも追加されていく。

2004年当時学校裏サイトが社会問題となっており、「学生 掲示板」と検索するとレンタル掲示板やわざわざドメインを取得して作成された大量の裏サイトと同級生教師に対して誹謗中傷を繰り返す掲示板が乱立されていた。
また個人サイトの域ではなく最初から掲示板サイトとしてサービスを行っていたpeps!や葉っぱ天国、学校BBS、ミルクカフェ(いずれも類似したサービスを行っていた掲示板。)も同様に他者に対する誹謗中傷の内容のスレッドが乱立していた。
K氏はそのことを知り憂いたと思われ、「キャスフィをこのようなサイトとは違った、卑劣な投稿や不毛な争いのない安心な場所を作ろう」と思いついたと思われる。

掲示板を始めるにあたって、キャスフィはIPアドレスまるごとの数年程度の規制や暴言や非常識な行為、荒れを加速させる行為、URLの貼り付けの禁止など、当時の中小規模の掲示板にしては厳格なルールと対応を見せ、ユーザーなども徐々に集まっていくことになった。

2005年頃から2009年頃には姉妹サイトとしてプロフィというプロフィールサイト、写メBBSといったものを設立し、2000年代後半から10年代前半にかけて繁栄を極めることになる。

運営は2010年時点でキャスフィ内に有る板数は3000あったと標榜していた。
実際は1000程度であると推測されている。
また塾や仕事別に板を作っていたため殆どは過疎状態の場所が多かったが、それでも2chを凌ぐ数の板数であった。

その他気に入ったスレッドを登録できるお気に入り制度、気に入ったスレッドの通知をメールで受け取ることの出来る機能などが存在していた。

しかし2010年代半ばからSNSへメインユーザーであった学生は移行していき、衰退の時代に入っていった。

そして2016年6月17日、キャスフィはみんなの学校情報などを運営していることで有名な株式会社イトクロに運営を譲渡した。

これに伴い運営は更に強固なものになると思われたが、後述するサービスの質の低下などにより晩年はK氏がかつて憂いた掲示板サイトたちと全く変わらない争い、荒らしなどが起きてしまい、最終的に2021年3月31日、キャスフィはその歴史にピリオドを打つことになった。


・特徴

ここに有ることは先ほどの概要で述べたことが多いが、以下のことに大きく分類して記す。

「板」「文化」「避難所」

板は先ほど述べたように数は1000を超える。

2chでも300程度、4chでも数百あることからその多さが分かる。

板の内容は職業、趣味、相談、創作などに分かれており、更に漢検や簿記といった資格の内容専用の板もあった。

そのあまりにも細かい分類から正常に栄えていた場所は全体の2割程度だと思われ、ほとんどの板は雑談どころかコミュニティとして成り立つかどうか難しい状態であったと思われる。

キャスフィで栄えていた板は小中学生がメインユーザーである小中学生板、日記専門のプチ日記、10代がメインユーザーである10代、小説を投稿する小説投稿板、スーパーマリオブラザーズについて語ったりキャラのなりきりなどをするスーパーマリオ板の5つがあった。

また、掲示板ガテゴリと板を性質別で分けたものも存在し、10代学生世代、趣味エンタメ、大学生などといったものがあった。

文化

キャスフィでは2chのような掲示板であったため、2chの性質と似通った内容のスレッドが立っていた。

しかし年齢的に独自の文化があり、とある人物がリーダーとなって人を集めてコミュニティを形成し雑談をするものが多くあった。

「雑談学園」や「雑談バー」なるスレッドを立てて、スレ主主体のもとで雑談をしたり時にはイベントなどをしたりしてそれなりの賑を見せるところも多くあった。

だがこれはキャスフィ独特のものではなく、同じくメインユーザーの年齢層が小中学生であった葉っぱ天国やメビウスリング掲示板などでも同様のスレッドが多く見られた。

またキャスフィではコテハン(固定ハンドルネーム)が多く存在した。
これはキャスフィのルール上コテハンが事実上強制されていたためである。

コテハン自体掲示板ではよく見られるものであったが、有名掲示板とされる2chやガルちゃんなどでは自己顕示欲の塊として嫌われる傾向にあったため、掲示板サイトとしてはかなり珍しいルールが存在していたといえる。

創作については「小説ランキング」なるものが存在するほど創作活動が盛んであった。

あまり経験のない人たちが創作をすること、ケータイ小説まがいのものが大半であったため、ほとんどの作品は「駄作」という言葉で片付けられてしまうレベルのものであったが、一部の作品については新人賞レベルのものがあるほど才能のあった人物がいた。

絵についてはキャスフィには画像投稿機能が無かったため、他掲示板と比較して活発ではなかった。

避難所

簡単に言えば規制ユーザーが立ち上げた掲示板である。

キャスフィは先ほど述べたとおりルールが厳しく規制されることが多く、また後述する問題点によって理不尽に規制されて書き込めなくなったユーザーが多くいたため、その人たちがネット上での居場所を求めて設立された。

葉っぱ天国やメビウスリング掲示板はキャスフィで規制された人間専用の板を作ったり、一部のものはしたらば掲示板でオリジナルの掲示板を作成したり、jeison.bizの管理人が作ったキャスフィ避難所の様に、キャスフィとは異なった文化が成長する場も生まれた。

他掲示板に比較してキャスフィはそういった避難所の作成が多かった掲示板であった。

しかし避難所は暴言といったキャスフィで受け入れられなかった人たちの集まりである。

もちろん民度は低いところが大半であり、誹謗中傷や晒し行為、なりすましが横行し、jeison.bizでは児童ポルノやリストカットの傷晒しなどが投稿され問題になった場所も存在する。

また避難所と名乗らずに実質的な避難所の役割を担う掲示板も存在しており、ゲラフィ(mb2.whocares.jp/mbb/u/gera314/)や、海と花束BBS(cyboard.jp/newphy/)といったキャスフィ出身の人が多く居たものがあった。

これらの掲示板はキャスフィ閉鎖時にキャスフィ閉鎖で居場所を失ってしまった人々の受け皿として機能した。

問題点から先のことについては「キャスフィについて語る(後)」として後日投稿しようと思う。
なんでこんなものを書いたのかというとwikipediaに乗っていない人やサイトはどんなに栄えていても閉鎖したらネットの海に還ってしまってマイクロプラスチックのような情報ぐらいしか残らなくなるし、wikiサイトがあっても詳細まで記述されているものは少なくせいぜい数行程度しかない心許ない説明文しかなく、いつか「元々からなかったもの」にされることが少し怖かったからである。
今回の記事は一時間強で一気に書いたもので推敲もドキュメントの機能とネットの推敲サイトを通しただけのものであるため非常に読みづらかったり文法がおかしかったり語弊や記述不足の部分があるかもしれないです。
許してください。


https://note.com/kotiudon_8092/n/nb4971f7f7ecd



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