時間貧乏性は時間を愛していない

これは別に、主婦だとか会社員だとか属性ではなく紛れもなく『性分』と言われる類のものだろうけど、私という人間はとことん時間貧乏性だなと感じる。

時間を何か生産的なものに使っていないと、損している…そんな感覚につきまとわれているのだ。それはもう昔からずっと変わらない思考で、多忙な時ほどスケジュール帳を眺めて分単位で自分の空き時間がないか確認してしまう。そして、埋めてしまいたくなる。

パズルのようにスケジュールが組み立てられることで、全ての時間が私の支配下にあるような気持ち良さを得ることができる。そんな気がする。

果たして、そんな性分の私が子どもを授かりいわゆるワーママすることになった今…時間貧乏性は加速度を増して悪化している。(貧乏という表現だから多分悪化なんだと思う)

どうやって有効活用しよう?どうやれば無駄にならないだろう?そんなことを日々考えてるし、そうやって作戦立ててる時間がもったいないんじゃ…と思うほどには悪化している。

そんな中、先日会社では珍しく女性陣のみで食事に行く機会があった。私以外にはママもいたし婚活中や婚約中の方もいて、普段はなかなか突っ込めないいわゆる女子トークも展開されて本当に楽しかった。

そこで盛り上がったテーマのひとつが『習い事は何かしてる?次にやりたいことはなに?』というものだった。なんと驚くべきことに、私以外の3人は『関心のある習い事』に対して次々と意見を出すことができたのだ。そしてそれが本当に楽しそうで、踊ったり奏でたり歌ったり…『余暇の時間を楽しいことに使う』ことを当然のように受け止めている感じ。

本当にびっくりしすぎて、自分の回答を適当にでっち上げることすらできなかった。聞かれたことに答えられなかったことだけじゃない、私は『時間を楽しいことに使おうとする人』じゃないことをついに自覚したことに衝撃が走ったのだ。

なんだよ、意識高い系のイヤミかよ…と思わないでほしい。私は紛れもなくネガテイブにショックだったし、人生を楽しむための『性分』が欠けていると本気で感じたのだった。といっても実はこの経験は初めてなわけじゃない。

『苦行こそ人生を豊かにする』どこかでこんなことを思いながら生きてきた私に、そんなことないよ、もっと豊かな生き方があるよ、と周りにいる友人や家族にたくさん教えてもらってきたはずなのだ。

あーまた忘れていた。また私は『生産的に時間を使わねばならない、堕落してはならない』ということにがんじがらめになっていた。そう思い出して、ショックと同時に目が覚めたのだった。

努力すれば、今頑張れば、頑張り続ければ、素晴らしい人生が待っている。でも、じゃあいつその実りを実感できるんだろう?いつの未来が『わたしの今』になるんだろう?

そんなことを思ってセンシティブになっていた思春期のあの頃から、結局全く成長してないんだなと呆れてしまう。時間を大事にしているようで、時間をいつも後回しにして消費し続けてきた。時間の貯金ばかりして、時間をほんとうの意味で活用していなかった。

36歳にして、またもやこんな基本的なことに気づいてしまって恥ずかしいというより人間味があるな…とすら思ってしまうほどだ。

とりあえず、今度の週末は意味のないことをしてみようと思う。自分がリラックスしたりただただ楽しんだりすることを『スケジュール』してみたいと思う。時間を正しく大切にするために。

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